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久永草太『命の部首』(本阿弥書店)

 第一歌集。大学在学中から卒業後の400首を収める。宮崎の地で大学に通いながら幼稚園でアルバイトをする日々。専門は獣医学科で、現在は獣医師として働いている作者。動物や子供たちと身近に接する日常から多くの歌を生み出している。それは命そのものに接する日常だ。食べることが命に繋がることからの歌集名に作者の思いがこもる。

呼び捨てにされてあなたをはたと見るここか私の分水嶺は(P12)
 名前を呼び捨てで呼ばれた時、相手と自分の距離が決まったような気がして、思わず相手を見てしまう。「はたと」は「はっと」に近い感じで取った。相手との関係性が決まる瞬間を「分水嶺」と表現しているところが巧みと思った。

皮膚という袋縫う午後 漏れそうな命はきっと水みたいなもの(P16)
 獣医師として皮膚の縫合をしているのだろう。皮膚は身体全体を覆っている袋だという認識だ。その袋から漏れそうになっている命を思う。命はきっと液体で、水のようなものなのだ、今この袋からこぼれてしまいそうになっている。それがおそらくは死ぬということなのだろう。

母牛の乳より生(あ)れてその美(は)しく白きを母乳と呼ぶひとのなく(P28)
 仔牛からするとそれは母乳以外の何物でもないのだが、人間はそうは呼ばない。人間の母親からその子に与えられるものだけを母乳と呼ぶ。牛のそれは、牛乳と呼ばれ、ミルクと呼ばれている。日常の飲み物としてはいいが、子育ての時には母乳の方が優れているように言われることも多い。乳牛に近く接する者としては少し屈折を感じるところなのだ。

治す牛は北に、解剖する牛は南に繋がれている中庭(P38)
 歌壇賞受賞作「彼岸へ」の一連から。治療して治す、つまり今後も生かす牛と、解剖する、つまりもう殺してしまう牛が、離れたところに繋がれている。今後の牛の行方を知る者からすれば一目瞭然なのだが、牛の方はそんなことは分からない。どちらもおとなしく草を食んでいるのだろう。それが却って、動物といえど他者の命を扱う主体には、命って何だろうという思いを感じさせるのだ。

採算と命の値段のくらき溝 鶏の治療はついぞ習わず(P38)
 前歌と同様「彼岸へ」から。牛は、人間が治療するしない、を選択する対象であるが、鶏は治療しない。病気などになれば廃棄処分、つまり殺すだけだ。鶏を治療していたら採算が合わないのだ。牛も鶏も、また人間も、一個の命を与えられ生きていることは同等のはずなのに、人間の価値観からすれば、治療する値打ちの無い命、という考え方が生じてしまう。獣医師という立場の一番苦しいところだろう。

未だ見ぬ東京ドームで計られてとにかく古墳群広いらし(P111)
 東京ドーム何個分、という大きさの説明は非常によくなされる。広くなければ使えない単位だし、非常にざっくりとした大雑把な単位であることも間違い無い。それでもその単位の説明に何となく納得してしまう。分かるのはとにかく広いらしい、ということでしか無いが。東京ドームという現代建築で古墳群という古代の物の広さを計っているところが何とも面白い。

好きなのを選んで良いと言われれば竹の棒にも生じる個性(P119)
 人間の心理の不思議なところを突いている。ただの竹の棒であっても、何かに使うことになって、好きなのを選んで良いと言われた途端、「価値」が生じる。最も自分の好みに合う、出来れば使用目的に叶う棒を選ぼうとする。今まで見向きもしなかったものであっても。それぞれが、これが良い、と思った根拠がその人の個性なのだ。

送るとは手を離すことニューロンの発火のような投函をせり(P133)
 初句二句の箴言風の表現と、それを具体化した三句以降で構成されている。手紙を投函しただけとも言えるが、文面を考えに考えた末に手放した。後は、相手の中にそれを読んだ作用が生まれてくれることを願うのみ。神経細胞が「発火」するような作用が生まれてほしいのだ。

そりそりと剥かれて長き柿の皮一年まあそりゃ色々あった(P155)
 林檎の皮を細く長く剥くという場面は映画などに時々見るが。それを柿でやっている。柿の方が剝きにくい印象だが、上手く長く剥けているのだろう。前年の柿を食べてから、今年の柿を食べるまでに一年。柿が実るのも、木が準備する段階から考えて一年ぐらいはかかっているだろう。いろんなことがあった。「まあそりゃ」と言いながらそれを回想しているのだ。

飯を食い食った分だけ働いて納税に納税を重ねて(P163)
 食べなければ生きられないから、食べた分は働いてまた次の食べるものを入手しなければならない。しかし社会に生きている上は、食べる分だけ稼げばいいわけではなく、それに足して税金分を稼がなければならない。毎年納税をしなければならない。その上で何か目に見える恩恵があればいいのだけれど。下句の響きは納税するだけ、と言わんばかりの、どこか徒労感を感じさせる。

本阿弥書店 2024.9. 定価:2420円(本体2200円)


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