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吉川宏志『叡電のほとり 短歌日記2023』(ふらんす堂)

 第十歌集。2023年の毎日を短歌と散文で綴る、日記形式の一冊。散文はその短歌と関連があることが書かれる場合も、関連が無いことが書かれる場合もある。作者によると「即かず離れず」が目指されている。現代短歌はその発表形態をほとんど連作の形に依っているが、これは一首のみで、さらに散文を足した全体を作品として、連作のように捉える形式と言っていいだろう。その案配は一作ごとに異なり、散文が短歌の印象を強めることもあるが、散文の印象が強すぎて短歌の印象が弱まる場合もある。
 ここでは短歌のみを取り上げる。

2月9日(木)
途中まで読みたる本に一か月ぶりの心をつながむとする(P42)
 読み始めて何らかの理由でそのままに置いていた本。一か月ぶりに読もうとして、記憶と読むときの心をつなごうとしている。とてもよく分かる情景。本を大量に読む生活をしている者にはよくある状況だと言えるだろう。そうではあるが、誰も歌にはしていなかった、細かい目の付け所に惹かれた。

2月22日(水)
鼎談の我の言葉を直しゆく「ほんとですね」文字は声のぬけがら(P55)
 対談や鼎談の文字起こしを登壇者が手直しをしている場面。声でしゃべっている時は筋の通った話をしているはずで、話の相手も聴衆も皆分かってくれて、一丸となった盛り上った空気の中で話が弾んだのだ。しかしそれが文字にされてみると、何を言っているのか分からない。「あれ、それ」の連発だったり、「そーそー」などの軽い言い方だったりする。それを意味の通る文に直してゆく。文字で読んで意味の分かる文になっていく時、それは発言の完成品に近いのだが、音声だけで盛り上がった雰囲気の抜け殻のようにも思えてくるのだ。

2月27日(月)
水鳥のはらわた暗き声聞こゆ昨日の雪は橋に残りて(P60)
 冬の水鳥が鳴く声が聞こえる。「はらわた暗き」という誰もが言えそうで言えない表現。飛ぶ鳥の持つ重い臓物や、冬の重苦しい曇り日の風景も目に浮かんでくる。橋に残った雪が溶けない、寒い日なのだろう。橋を渡って行く主体の耳に、水鳥の声が届いてくる。

3月9日(木)
雨のあと登りきたりし寺庭に泥跳ねをつけカタクリが咲く(P72)
 少し山の中にある寺だろうか。雨のあとの山道を登って来る時に道に溜まった水が跳ね返ったりしただろう。着いた寺の庭に咲いている濃紫のカタクリの花も雨のあとの泥跳ねがついている。山野草の可憐な姿とその小さな植物へのさらに小さな泥跳ねという観察眼が鋭い。

3月19日(日)
風強き夕べとなりぬ冬がまだ見ている夢のように水仙(P82)
 冬の終わりに咲く水仙。強い風が吹く夕べは、冬が名残りを惜しんでいるようにも感じられる。冬がまだ冬の真中であるかのように振舞っている。その冬が見ている夢のようだ、と水仙を形容する。比喩に具体が無く、ただ水仙の姿だけが浮き上がる。

4月22日(土)
亡くなりしのちに批判をする人を寂しめりわが死後にもあらむ(P107)
 当人が生きている時は、批判などしなかったのに、亡くなったら批判をする人がいる。そんなに言うなら、当人が生きている間に言えばいいのに。そういう思いが怒りよりむしろ寂しさと共に感じられる。きっと自分の前でにこにこしながら、死んだ後には批判する人もいるだろう、と思い至る。寂しい思いだ。

6月27日(火)
物の影濃くなりゆくに見かけより乾いていたり紫陽花ならぶ(P186)
 夕暮れ、物の影が濃くなってゆく時刻。影が濃くなるということは実体である物に重みが出たように感じられるのだ。しかし、触ってみると、そのものは重みが無く、かすかに乾いていた。主体が触れてみたのは、並んで咲いている、重い毬のような見かけの紫陽花の花。

7月23日(日)
船鉾の町を来たりぬ炎昼にならぶ家より影ははみ出す(P214)
 2014年度から祇園祭山鉾巡行は約50年ぶりに、山鉾巡行の「前祭」(7月17日)「後祭」(7月24日)となった。この歌は日付から後祭の前日であり、船鉾は2014年に復活した大船鉾と思われる。鉾の建つ京都の町。うだるような炎昼にならぶ家とその影。まるで家から影がはみ出して来ているように見える。炎暑の太陽に炙られて、家から影が滲み出て来たようだ。肉を焼いた時に脂が滲み出る様も思われる。

8月22日(火)
夕立の後の湿りにひぐらしのこころ持たざる声降りしきる(P245)
 夕立の後の湿りを帯びた空気の中にひぐらしの声が降りしきるように聞こえている。この歌の眼目は「こころ持たざる」だろう。虫の声や鳥の声に心を動かされ、心を寄せるのは人間の方だ。まるでそれらの声に心があるように思って惹き付けられているが、虫の方には心など無い。風情を感じるのとは逆方向の認識が鋭い。

10月12日(水)
ロープウェイの震える底を踏みながら緑の覆う谷越えてゆく(P299)
 誰もが感じる気持ちを歌で具現化した。毎日何度も運行していて、危険性など無いと分かっているのだが、ロープウェイに乗る時はかすかに「大丈夫っだろうか」と不安になる。床も何となく震えているし。その床をロープウェイという箱の「底」と表現した。微かな不安の気持ちで底を踏みしめながら、空中を飛んで谷の上を越えてゆくのだ。

ふらんす堂 2024.7. 定価=2420円(税込み)

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