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牛隆佑『鳥の跡、洞の音』

 大阪の街を背景に、呟くように詠まれた歌が並ぶ。現代社会の孤独を反映した歌が多い。コンビニやファミレスがローソン、ファミマ、ガストなど細かく描かれ、飲食の歌が印象に残る。バス停、エレベーター、映画館、水族館などの都市の事物が点景のように描かれる。父や母の姿は断片的だ。主体のそばにいる「あなた」が繰り返し描かれるが、像を結びにくい。主体像もそうで、属性は分からないままに、主体の見たものを感じたことを追体験していくように読み進んだ。

うれしいと言うときのその感情の端は若布のようにたゆたう(P7)
 うれしいと言いながら、自分の感情がどのように動いているかを意識している。うれしいという感情が長く伸びて、その端が若布の端のように波状型になっている。そして海の中の若布のようにたゆたう。決してストレートな「うれしい」ではないのだ。

錆ついて倒れはじめる自転車が自由になれる ここからいつか(P22)
 放置自転車が錆びついていて、何かのはずみに倒れはじめる。はじめる、というからには何台かあって、連鎖的に倒れたのだろう。自転車が倒れることによって、呪縛から解かれたように自由になる。「自転車が」までは明白に自転車のことを言っていたが、その後からは主体が自転車と切り替わったように思える。今いる場所から、いつか自由になれる、それは主体の思いのようだと取った。

感情は液状らしくぬばたまのインクがコピー用紙に滲む(P34)
 時々、インク漏れで真っ黒のインクの染みが紙に滲むことがある。染みと言う以上に液状でどろっとした塊だ。それが自分のどす黒い感情のように見える。「ぬばたまの」という枕詞をインクに掛けて、真っ黒のインクを読者の脳裏に思い描かせる。

やはりお金で済まそうとおもう水面の輝きあれは油膜の光(P41)
 問題をお金で済まそうと思うこと。誠実なとか、真摯なとかの精神論では何ともならない。お金で丸く収めようと思ったのだ。水面は道路の水たまりだろう。輝いて見えるがそれは澄んだ水がきらきらと光っているのではなく、油膜が貼って虹色に光を反射しているのだ。きれいだとも言えるし、汚れているとも言える。お金で済ます、という言葉のイメージと通い合う。

眠りより醒める光の白さとは あなたの綺麗事がきれいだ(P59)
 眠りより醒める時の、まだ閉じた瞼を通して見える光。その光の白さを思いながら、あなたの綺麗事を聞いている。綺麗事と分かっているからには、現実はもっと違うと知っているが、綺麗事ゆえ綺麗に聞こえる。相手の真意を質す気も起らず、ただ聞いているのだ。

ああそれなら真っ直ぐ行ったその先を右に曲がれば青空ですよ(P63)
 道案内の言葉のようで、結句に意表を衝かれる。一体、誰が青空のある場所を尋ねているのか。そんなすぐ近くに青空があるのに、今いるところには青空はないのか。そういう理屈はやめて、ただちょっと先にある青空を思えばいい。明るいような、空虚なような雰囲気を味わえばいい。

家族とはポケットのないドラえもん 春コロッケを買って帰った(P69)
 ポケットのないドラえもんでも、のび太は一緒にいて欲しいと思うだろうか。ポケットのないドラえもんは要らないと言う人には、きっと本当の意味での家族はできないだろう。自分も相手もポケットのないドラえもん。相手を思っておいしい物を買い、一緒に家で食べるのだ。

寝不足の時代できっとぼんやりとしたままたぶん戦争に征く(P82)
 昼夜無くネットにのめり込む現代人。現代は寝不足の時代、特に日本に住んでいるとそうなりがちだ。寝不足でぼんやりして、思考力が働かない。目の前のものしか考えられない状態でいると、いつか戦争に駆り出されるかもしれない。そうなったら多分そのまま出征する。ゆるく詠いながら、仮定とは思えない迫力がある。

水族館の順路を進む死ぬように僕は生きてもたぶんゆるされる(P122)
 二句切れ。死ぬように生きるとはどんな生き方だろうか。主体性の無い生き方だろうか。でも死ぬように生きても、許されるという予感がある。誰に許されるのかは主体にもはっきりしないのだろう。
 この歌はレイアウトに工夫があり、次のページに三行に亘って
    順路を進め死ぬように僕は生きねばたぶんゆるされない
           死ぬように僕が生きたらゆるすだろうか
               僕は生きるからゆるしてほしい

と変化した歌が、ずらしてレイアウトされており、ページをめくると、
                      ゆるされている
と小さく一行がある。だんだんに願いのようになり、最後は願いがかなったようになっている。作者の歌作りの工夫と製本の工夫が感じられる。

痛み痛み痛みよ僕の横にいる彼女の傷を教えておくれ(P128)
 初句六音。白雪姫の継母の「鏡よ鏡よ」を思い出すが、目に見えない物を映す不思議な鏡のように、目に見えない痛みが、自分の横にいる彼女の、目に見えない傷と響き合う。まだ主体は彼女の傷を知らないが、自分の痛みがその傷への通路となり分かり合えることが希求されているのだ。

2023.9. 税込:900円




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