〔公開記事〕川野里子『ウォーターリリー』(短歌研究社)
世界の惨を感知する 川本千栄
この世界には様々な惨事が存在する。しかし目を凝らし耳を澄まさない限り、多くの人はそれに気づかない。この歌集で作者は、自らの存在の在り様を絡ませながら、時空を超えて、そうした惨に耳を澄ませ、受けとめてゆく。
あの川に兄が浮かんでこの沼に父が浮かんで 睡蓮咲いた
戦争に勝ちしにあらず絶望に勝ちたり 春巻きほんのりと透け
にんげんのにんげんによるにんげんのための虐殺 しらほねを積む
ベトナム、カンボジアを訪ねた一連。一首目、肉親が戦争の犠牲になり水に浮く。その水を吸い、咲く睡蓮。二首目、絶望にも耐えてやっと勝ち得たベトナム戦争の勝利。春巻きの皮から透けて見えるのは言葉にできない痛みだ。三首目はリンカーンの有名な演説を下敷きに詠う。同様に理想の国家建設を目指したはずのカンボジアで起こってしまったことを、主体は凝視する。
生きるとはこのやうにリボンつけることリボンのうれしさ焼け 残る服
(折つて折つてちひさくなつたら指先で押さへて ここが心臓あたり)
ぽってりと玉子を落としソース塗り焦がしてゐたりここが爆心地
広島を描く一連。一首目、焼け残るリボンに、着ていた人の喜びを感じ取る主体。喜びに満ちた服を着てその人は原爆に殺されたのだ。二首目、一連にはカッコで括った、鶴の折り方の歌が混じり、死者への悼みが表出する。短歌連作の持つ力を拡張し、可能性を拓く構成だ。三首目、広島焼きと原爆投下を重ねる。何気無い日常は、薄皮一枚隔てて歴史の惨に繋がっている。
海絶えず炉心を冷やし宥めをり奔(はし)らむとする人間の火を
ゆかねば 迎へにゆかねば 十万年のちの未来に預けたる火を
愛媛の伊方原発を詠う一連。人間の傲慢と自然を長い視点で見つめる一首目。二首目はその目が未来に向かっている。誰も責任を取れない十万年後の未来を今、私たちは汚している。
気になるのは「イ・カ・タ」「ウォーターリリー」など繰り返される有意の語が、オノマトペとして上手く作用していない点だ。特に「ウォーターリリー」は、七音中三音が長音で冗長な感が否めない上に、非常に多用されている。知的に構成した歌群をオノマトペで深層意識に響かせたい意図は分かるが、過剰に感じた。睡蓮という花の選びが、この歌集において既に象徴性を持っているのではないか。
生まれたらゆれるしかないゆれながらひらくしかない睡蓮咲いた
(短歌研究社刊 二二〇〇円・税別)
〔公開記事〕『短歌往来』2023年12月号