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川口慈子『Heel』(短歌研究社)

 第二歌集。2017年から2022年の367首を収める。ピアニストである作者の、ピアノの演奏を通した自己を見る眼が、一冊にくっきりとした輪郭をもたらす。コロナ禍での演奏者の立場の難しさを詠った歌にも惹かれた。家族との関わりに作者の原点がある。「Heel」というタイトルは、ピアノを弾く時の、身体を支える部位としての踵、と取った。同時にこの語には「悪役」という意味もあり、作者の複雑な気持ちも感じられる。

この場所と定めて鳴らす一音に問いたり今朝のわれの機嫌を
 ピアニストである主体。今日の最初の一音と決めて鳴らす音。その音に自分自身の今日の機嫌を問う。ピアノは自分の分身であり、自分よりも自分のことをよく分かっていてくれる。だからピアノに教えてもらう。今日の私の機嫌はどうですか、と。「一音」がいいと思った。

練習をサボると痙攣する指に今日はショパンのポロネーズ弾かす
 楽器が身体の一部になっていない者には逆に思えてしまう。ショパンのポロネーズを弾いたら、指が攣りそう、などと。しかし主体はピアノの練習をさぼると指が痙攣するのだ。身体がピアノを求めている。そんな指にポロネーズを弾かす。指はきっと活き活きと音楽を奏でてくれるのだろう。

バランスを微妙に崩し着地する蝶のごと美しき音色を探る
 曲を演奏する中での着地の瞬間。曲の最後だけでなく、途中にもある。その度ごとに音色を探る。バランスを保って正攻法で着地する場合もあるだろうし、微妙に崩して少しだけ不安定に着地することもあるだろう。蝶が着地するように。微妙で不安定で、しかも美しい音色を身体が探り出そうとしているのだ。

こっそりとテストの点数告げてくる楽譜に花丸描いてる我に
 主体がピアノ教師としても働いていることが分かる一首。上手にピアノが弾けた生徒の楽譜に花丸を描いてやる。生徒は小学生だろうか。ピアノを褒められて、学校のテストの点数を告げてくる。ピアノは花丸、学校のテストも良かったよ。あるいは、ピアノは花丸だけど、テストの点は悪かったよ。どちらだろう。どちらにしても生徒が先生に好意を持っていることが伝わってくる。そして生徒の愛らしさも。

崖っぷちではないけれど下ばかり見ていた過去よモズクを啜る
 本当に追い詰められた最後の崖っぷち、ではなかった。でも下ばかり見ていた。まるで今にも崖から飛び降りそうに。そんな過去を思い出す。今は心に余裕があり、自分の食べているものを意識する。モズクはあっさりとした、ごく普通の夕食を思わせる。崖→海→海藻、という連想もある。

連絡先ひとりも知らぬ高校のクラスTシャツ着て眠りたり
 高校時代にクラスで作ったTシャツ。似顔絵が描いてあったり、ニックネームが描いてあったり、あるいはクラスの合言葉的なものが書いてあったり。文化祭や体育祭でクラスごとにお揃いのTシャツを着たのだろう。しかし卒業して数年。誰の連絡先も知らない。そしてクラスTシャツにはよくあることだが、部屋着や寝間着になっているのだ。高校時代はそれなりに楽しかった。でも今の自分とは何の繋がりも無い。寂しいけれどこんなものだろう。クラスTシャツというアイテムが絶妙だ。

才能というギャンブルにくずおれた家族が回すビーチパラソル
 子の才能に賭け、家族の命運を託した。それはまさに家族にとってギャンブルだった。子に何らかの才能が開花すれば良し、しかししなければ?才能があるのはレアケース、それが開花するのはさらにレアケースなのだ。これが主体とその家族をモデルにしているのならば、相当踏み込んだ歌だと思う。きらびやかなビーチパラソルを回す家族。それは明るいけれど、虚しい行為なのかもしれない。

悪意には悪意で返す玉ねぎを水に晒せば赫灼(かくしゃく)とせり
 他人から悪意を受けることがある。その時には、被害者になりきったり、いい人ぶったりしないで、毅然と悪意で返す。そのシンプルな決意が歌を立ち上げている。水に晒すことによって、きりっとした歯触りになり、光って見える玉ねぎがその決意を象徴している。

世界中の子供の写真飾られた百円ショップで造花購う
 子供の写真はどこに飾られているのだろう。壁にポスターとして、あるいは壁に直接プリントされたような状態か。おそらく世界平和的なメッセージ、子供が未来を作る的なメッセージが込められているのだろう。そこで主体が買うのは造花。子供たちの笑顔の写真に、何らかの作為的なものを感じているのではないだろうか。そんな風に写真を使ってしまう大人の一人として、少し戸惑う気持ちを、「買う」ではなく「購う」で表しているのだと取った。

母のピアノ六十年経て春泥のごとく鳴らない鍵盤三つ
 母の死を詠った歌群が歌集中盤にあり、この歌は歌集のかなり最後の方にある。母もピアノを弾いていた。母のピアノ、というからには主体自身が所有しているピアノとは違うものだろう。六十年の歳月を経て、鳴らない鍵盤が三つもある。鍵盤を押しても音が鳴らない感じが「春泥」の語に表れている。母との関係性を具現化するようなピアノ。音楽に憑かれた家族の歴史を凝縮するような一首だ。

短歌研究社 2023.5. 定価:本体2200円(税別)




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