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「大坂の陣めぐり」と「大阪のディープエリア」

酷暑と極寒の季節にはレキジョークル活動はありません。
しかし、午前中だけと決めて、そのメンバーのチコさんと二人で車や電車で30分ほどで行ける地元・天王寺界隈を散歩しました。

振り返ってみると、元祖メンバーによる濃密な大阪紀行となったのです。


四天王寺「絵堂」拝観

一カ月ほど前に聖徳太子についての記事を書きました。

今さらですが、聖徳太子に興味を持ち、
そして今さらですが、聖徳太子の一生を描いた「絵解き図」が、太子の月命日の22日に毎月公開されると知り、四天王寺の「絵堂」を訪れてみました。

狭い空間ながら堂内の壁の三面を占めて、時系列で聖徳太子の生涯が描かれた絵画は、故・杉本健吉画伯の手によるものです。

驚いたのは、杉本画伯は洋画家でありイラストレーターやグラフィックデザイナーであるという事。

絵の雰囲気からは、とてもそうは感じられず、どう見ても日本画家の作画でした。

吉川英治作の「平家物語」の挿絵などを書かれた実績もあり、作風には和洋の区別なく、柔軟に受け入れた方だったようです。

堂内は撮影禁止ですが、いただいたリーフレットと照らし合わせながら絵画を見ていると、一か所、思わず笑ってしまうところがありました。

「門が小さく大仏入らず」

聖徳太子ともあろう方が、なんというミスをしたのか!

普通、測るやろ!


しかしながら、僧侶の方の絵解き図の説明が14時からという事で、この日はこの時点でまだ10時。

残念ながら仕切り直しです💦

きっと入らなかった飛鳥寺の大仏の結末も聞けるかもしれませんので、またランチがてら訪れるとしましょう。


今さらながら御朱印【一】

本当に今さらですが、四天王寺の御朱印をいただきました。

~ありがたや 法のはじめの 天王寺 
亀井にうかぶ み佛の影~

なんと御詠歌付きでした。
巡礼歌として「新西国霊場 」の全ての霊場に存在するそうです。

境内に亀池(亀井)が実際にあるので、リアルに響くものがあり、なんとも四天王寺らしい歌です。

新西国霊場 」とは、近畿全体人気の寺院から、人気投票で選ばれた合計38寺の事で、四天王寺は「第一番札所」なのです。

ホント、今更知りました💦

灯台下暗しとはまさにこの事で、近場で馴染み深い寺社の御朱印を意外といただいておらず、今日こそはと心に留めて持参して、やっと叶いました。

2023.8.22撮影
「同じアングルを何べん撮ってるねん!」とツッコミならが撮った。
ハルカスと五重塔の現在と過去のシンボルの対比が面白い。



一心寺の取り組み

チコさんが「三千仏堂」に入った事がないと言うので、行ってみることにしました。
過去にも記事にした、「一心寺」の東側にあるお堂です。

そしてもう一つ大阪歴史散策案内所も一心寺主催でできているのを知り、一心寺が大坂観光に一役買っている事を初めて知りました。


三千仏堂

せんせ先生、まだいっぱいスペース空いてるで。一つどう?」
と、チコさんが言う。

私たちは時々ふざけて、お互いを「先生せんせ」と呼び合う。
(キッカケは奥の枝道 其の三 山口・萩編 参照)

こちらの「三千仏堂」は平成14年に開かれ、一心寺や仏道を信心する方々の善意(寄付)によって、少しずつ増やし、マックスで三千体の仏様を揃える目標を持って作られたたそうです。

深い信心とお金がなければ叶わない事で、私にはお金がないのは当然ですが、そもそも「信心」もないのですから無理というもの。

我が家は一応、「浄土真宗」ではありますが、先祖を祀るためのアイテムに過ぎず、宗教に関しての興味は、もっぱら日本史を知るために必要だから探究するものなのです。

しかしながら、信心がないからこそ、どの宗教の教えも面白く感じるもので、学んでみれば、各宗派の基本的な哲学は同じであると気付かされます。

それらが微妙に枝分かれして宗派となり、時には争いながらも現在に至るのは、ある意味とても不思議な気もします。

「私は仏教に興味はあっても、信心はないねん。」
ときっぱり辞退しておきました。


チコさんが嬉々として夢中になったのは、三千仏ではなく、「大坂夏の陣」での激戦地スタンプラリーでした。

チコさんは実はスタンプ好き。
御朱印も集めていますが、それ以前にはスタンプ帳を持ち歩き、ご当地スタンプを集めていました。
私と違って、しっかり垂直に押すのでとても上手なのです。

スタンプラリーというからには、実際に各寺社を回って一つずつ押すのが正道なのですが、この三千仏堂には、すべてのスタンプが揃っているので、ここだけで完成させることができます。

堀越神社(徳川家康)

安居神社(真田信繁)

茶臼山(松平忠直)

四天王寺(毛利勝永)

一心寺(本多忠朝)

庚申堂(穴山小助)

ちょっとズルい事ですが。。。
堂内はエアコンは効いているし、ご丁寧にソファやテーブルまであり、暑い最中なので、ちょうど良かった。


今さらながら御朱印【二】

ここまで来たら、我が家の菩提寺である「一心寺」にも寄ってお参りをし、この日こそはと御朱印をいただいたのです。

ホンマに今まで何回来とんねん!
「日想観殿」

~夕陽の中に極楽を拝む~

「日想観」とは、浄土宗・法然上人の教えで、四天王寺の西門を極楽浄土の東門とする信仰です。

一心寺はその法然上人「日想観」の遺跡でもあり、新古今和歌集の藤原家隆が、このあたりに「夕陽庵」を結んで没した事から、江戸時代以降、現在も「夕陽丘」という地名となりました。

それにしても、こちらも同じく達筆でホッとしました。
女性の方でしたが、力強い筆運びに法然の思いが伝わるようです。

御朱印はこうでなくてはいけない。


存牟堂ぞんむどう
~大坂の陣歴史散策案内所

こんなスポット、いつの間にできていたんだろう??

「私、ここ好きやねん。」
チコさんが嬉しそうに案内してくれたのが「三千仏堂」の南側にある「存牟堂ぞんむどう」でした。

なるほど小さなスペースですが、一部をシアタールームにしていて、「大阪夏の陣」における各武将の陣地を現在の地図上に重ねて、わかりやすく動画にまとめていました。

そして、冬と夏の戦いの激戦地を巡る2つのコースを提案していました。

「真田丸コース」

このコースは、レキジョークルで過去に回りました!
空堀商店街で、ミコさんおすすめのとびっきり美味しいカリーを食べた後、そこから大阪城に向けて歩き、真田ゆかりの「心眼寺」や「三光神社」などの「真田丸跡地」を巡りました。
(奥の枝道 其の二 大阪編 参照)


「茶臼山本陣コース」

上記の過去記事に詳細は書きましたが、大阪夏の陣当日、本多忠勝の次男・忠朝ただともは深酒をしたために討ち死にしたと伝わります。

そんな彼が陣を張ったのは、現在の「ハルカス」付近だったのですね。
私の感覚ではもう少し手前だと思っていました。

全てを回りたい気持ちはありましたが、この日はすでに四天王寺と一心寺と巡り、「安居神社」や「庚申堂こうしんどう」はすでに通り過ぎていましたので断念しました。

元々予定外でしたので、はなから無理でしたが、このコースもいつか巡ってみようかと思います。

ちなみに「存牟堂ぞんむどう」とは、大坂の陣当時、一心寺の住職だった本誉存牟ほんよぞんむ上人しょうにんの名からつけられたものです。
彼は家康と同じく三河出身で、夭折した家康の8男・仙千代の供養を仰せつかった僧侶でした。

一心寺は冬の陣は家康本陣でしたが、夏の陣では豊臣方の真田信繁の本陣として使われました。

満足して外に出ると、目の前に「茶臼山ちゃうすやま」の入り口が見え、立地も最高です。



堀越神社

堀越神社???

二人そろって、唯一どこの事かわからなかった神社です。

これまた完全に灯台下暗しでした。

ハルカス前の交差点から北へ天満橋交差点までの区間を走る大阪の大動脈・「谷町筋」沿いにあったのです。

こんな目立つところにありながら、神社としては間口が狭いためか、昔から車で何度も通っているのに、気を留めた事もありませんでした。

先ほどの「存牟堂」からたったの南へ180m、徒歩2分ほどの位置にありました。

推古天皇の御代、聖徳太子により四天王寺七宮のひとつとして創建されました

堀越神社HP
「御神木」の粗末な字には笑うしかないwww。

由緒は古い!
南側の東西に堀があったためこの名がついたらしいです。

今の今まで、まったく眼中に入らなかった神社に、二人とも呆然としました。

今さらながら御朱印【三】

マジか!!
「やっぱり神社の御朱印はあかんなぁ。」

この御朱印をもらうために、たまたま列の先頭に立てたのですが、15分ほども待たされたので、大いに期待したのです。
それだけに、あまりにもお粗末な御朱印を見て一瞬唖然として言葉を失いました。

これでどうやったら15分もかかるねん!
御朱印はやっぱり寺や。



OMO7オモ セブン大阪へ行ってみた!

さてランチですが、この日は2人だけという身軽さもあり、急な思い付きですが、一駅だけJRに乗って「新今宮」の新スポットを訪れる事にしました。

それは「OMO7」という星野リゾート系列の、一応は●●●高級観光ホテルです。

しかし、新今宮駅で一番西にある出口を利用したため、ホテルが全く視界に入らず、いったいどこに向かえばいいのか、大阪の人間でさえ迷ってしまい、すぐ近くでありながら、スマホで位置を確認しなければいけませんでした。

というのも、改札辺りには何のガイド版も見当たらなかったのです。

他のところでは駅に着いたら、必ず案内板が目立つところにあったり、直通の通路があったり、客を迷わす事などないので、私たちはすっかり気楽に考えていました。

不親切すぎてびっくり!


どうしてこんなところに?

そもそも。
天王寺~新今宮と言えば、昔から大阪の繁華街の中でも治安が悪くガラの悪い土地柄。

私が若い頃は、駅構内や道端、茶臼山のある天王寺公園には浮浪者がウヨウヨ住み、路上で酒盛りしている労働者もいて、女の子一人では歩けないようなところでした。

それが2014年に近鉄百貨店が「あべのハルカス」、翌年に天王寺公園内に「てんしば」ができ、一所懸命の開発努力のおかげで、以前のディープさはないものの、まだまだ発展途上という感じなのです。

高級リゾートホテルとして有名な星野グループがなぜわざわざ、こんな所に進出したのかと、私を含めた大阪人のほとんどは疑問に思ったはずです。

その裏には、
大阪にはもっと「ええとこあるねん!」という思いがあるからです。


ここを選んだ理由

その理由を調べて、要約するとこんな感じでしょうか?

①たまたま広い土地が空いていた。
②新今宮駅は周辺を合わせて8つの路線がある。
・JR西日本3路線
(環状線、関西本線、阪和線)
・南海電車2路線
(本線、高野線)
Osaka Metro地下鉄「動物園前駅」2路線
(御堂筋線、堺筋線)
・阪堺電気軌道(阪堺線)
③関西国際空港直通
・南海ラピート
・JR特急はるか

いわれてみれば関西国際空港からはアクセス良好の立地であり、比較的開発が遅れた地域だけに大阪らしいラグジュアリー豪華さを演出しようと狙ったのでしょう。

それにしてもOMOシリーズのトップクラスである「7」を持ってくるとは、冒険すぎやしませんか?


評価は50点かなぁ

さらには入り口がわかりにくかった!
シックなおしゃれを演出しようとしているようで、入り口が暗くてひっそりしているため通り過ぎてしまったのです💦

出入口がわからんし、中も暗い

いったん東の「みやぐりん」に回ってみても、そこからは入れないばかりか、人の気配すら感じない。
また戻って、ガラス張りの中の出入り口から薄暗い中を入りました。

普通、ドアボーイが立ってるやん。

さらに2階の「OMOダイニング」を目指すも、なんとこの日はランチタイムの定休日。
ホテル内でありながら火・金の週2日も休むなんてあり得ない!

仕方なく「OMOカフェ」でスパゲッティを食べることにし、セルフなので席を物色していると、パン屑がソファに落ちている箇所を見つけてゲンナリしました。

ショッピングモールのフードコートやないねんから!

ストローは紙、お皿やフォークなどもエコ素材っぽいプラ製で、自然に配慮している感はあるし、
インテリアはシックで可愛いし、
リラックスウエアも二重丸の可愛いさ。

でも残念な事に、お客に対しての配慮がない。

高級なのか、カジュアルなのかどっちの路線?
中途半端です。

それでもせめてレストランが充実していたら、大阪マダムは行くのに、2カ所を時間で区切って営業してるだけなのです。

HPでは「ほれてしまうわ、」と謳っているけど、
惚れられへんわ、これやったら。


「大坂の陣散策コース」は良い!
しかし、ホテルがね~💦
外国人観光客もターゲットにしたのはわかりますが、まずは地元民に利用したいと思わせなければいけないのではないか?

大阪観光の目玉となるかどうかは微妙だと感じました。


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(天王寺⇆新今宮のみ電車利用)




【参考文献】
GOETHE
奥の枝道 其の二 大阪編
四天王寺
一心寺
堀越神社




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千世(ちせ)
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