粟津ちひろ【アナウンサーの不思議な世界】

約9年間、宮城県の放送局でアナウンサーをしていました。美人でも学歴が良いわけでもお嬢様でもなんでもない田舎娘の視点から、これまでの経験やアナウンサーの不思議な世界のことを綴っていければと思います。

粟津ちひろ【アナウンサーの不思議な世界】

約9年間、宮城県の放送局でアナウンサーをしていました。美人でも学歴が良いわけでもお嬢様でもなんでもない田舎娘の視点から、これまでの経験やアナウンサーの不思議な世界のことを綴っていければと思います。

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#1.おわり、のち、はじまり

2020年2月28日。 8年11ヶ月の間勤めた放送局を退社した。 意外にも、清々しい気分でその日を迎えていたように思う。 * 今日で放送局のアナウンサー人生も最終日。 明日からなんの肩書きもない人間になるんだなあ。 そんなことを思いながら、退社報告と感謝の気持ちを簡潔にまとめて、文章を作っていた。 Twitterに投稿する、局アナとして最後の挨拶だ。 140字以内という文字制限の中では、どうしてもあっさりとした文面になってしまうのが引っかかる。 うーん、、と少し悩んだ

    • #8.わたしはどうしてアナウンサーになったのか。その②

      《前回のお話》 実は、アナウンサーにはなりたくなかったわたし。 というのもきちんと理由があった。その理由は高校生の頃まで遡る。 地元テレビ局のミニ番組で、高校生リポーターを務めたことがあったのだけど、そのとき大きな衝撃が走ったのだった…。(↓前回記事はこちら) 高校生リポーターとしての記念すべきテレビ出演は、一日中ふわふわした気持ちで臨んでいた。 本物のアナウンサーに、大きなカメラ。 明るく照らすレフ板に、カウントダウンをするディレクター。 そう、どれをとっても、本物

      • #7.わたしはどうしてアナウンサーになったのか。その①

        前回は、アナウンサーたちはどうしてアナウンサーになったのか、という話を書いたけれど、 そんなことを言っているわたしはどうなんだ? ということで、今日はわたし自身のことを振り返ってみようと思う。 【わたしはどうして、アナウンサーになったのか】 高校時代に所属した放送部の経験から、将来はマスコミ業界に就きたい!というのは揺るぎない夢だったけど、個人的には制作を希望していた。 いつかはCMやMVなんかを撮ってみたい、なんて考えていた。 というのも、部活動で練習していたアナウ

        • #6.アナウンサーたちはどうしてアナウンサーになったのか。

          「きっかけ。なんてのは大抵どうってことないものなんだろうけども、まさしくこれがきっかけになったんだろうな。」 大好きなアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の第1話で、主人公キョンが言うセリフだ。 そう、最初はなんてことなかったきっかけが、人生を大きく左右することがある。 今日のお話は、わたしの興味から始まった分析結果のお話。 少しでも誰かの人生のヒントになったら良いけれど。 さて本題へ。 自分のことは棚に上げて書くのだけど、 わたしはずっと気になっていた。 一緒に働いてる同僚、

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          #5.憧れとイメージがわからなかったアナ現役時代。

          人生において「憧れ」という気持ちはとても大切だなと、個人的に思う。 憧れ=思い焦がれる、理想として思いを寄せること。 都会への憧れ。 海外生活に憧れる。 憧れの先輩。 自分の理想とする未来や人物を思い、心強く惹かれることを意味する「憧れ」。 好き、よりもなんだか遠くて、夢、よりはどうにか手が届きそうな、絶妙な距離感のイメージすらある、とてもロマンティックな言葉。 RADWIMPSの“夢番地”という曲にこんな歌詞が出てくる。 「僕はきっと今いつかの夢の上に立っているん

          #5.憧れとイメージがわからなかったアナ現役時代。

          #4.原稿用紙134枚分の想いと目次。

          わたし、noteを始めます!と声高らかに宣言してから、 あっというまに3ヶ月が経とうとしている。 5月ももう終わりだ。 …え、もう終わり!? 5月は何してたんだ? いや、4月なんてもっと記憶がないぞ。 こりゃそのうち梅雨通り越して真夏がきてしまう。 非常にまずい。 …と、大変焦っています。 よし、正直に言おう。 こんなはずではなかった。(╹◡╹。涙)笑 春先(特に4月頃)、あまり生産性のない毎日で、 インプットもアウトプットも全然しなかったなぁと反省。 このままだ

          #4.原稿用紙134枚分の想いと目次。

          #3.放送16年でピリオド。 〜生放送で嘘偽りのない言葉を〜

          大好きなロジャーさんが番組を卒業した。 わたしが入社するずっと前に放送が始まったそのラジオ番組は、これまで16年もの長い間守られ続けてきたが、とうとうその歴史に幕を閉じた。 * 「もっとロジャーさんの話に突っ込んでくれないか。粟津には、ツッコミ役をしてほしい。」 ディレクターさんにそう要望されたのは、「ロジャー大葉のラジオな気分」のスタジオアシスタントを担当して間もない頃のことだ。 正直、こりゃ難しいぞ、と思った。 ロジャーさんというのは、ラジオの午後ワイド番組を担当

          #3.放送16年でピリオド。 〜生放送で嘘偽りのない言葉を〜

          #2.あの日から10年 〜わたしには伝えるしかできなかった。役目とはいえ情けない。〜

          「粟津アナは震災の年に入社したんですか。それは大変でしたね。」 何度この言葉をかけられただろう。 確かに大変だったかもしれない。普通の年ではなかったから。 でも、もっともっと大変な人たちがいたのだから、わたしなんて大変のうちに入らない。 それなのに、こんなわたしでも辛くて辛くて毎年涙が出るのだ。 被災された方、失ったものがあまりにも大きすぎる方は、毎年どんな思いで過ごしているか想像に難くない。 2011年3月11日東日本大震災。 当時わたしはまだ大学4年生で、春休み中だ

          #2.あの日から10年 〜わたしには伝えるしかできなかった。役目とはいえ情けない。〜