#1.おわり、のち、はじまり
2020年2月28日。
8年11ヶ月の間勤めた放送局を退社した。
意外にも、清々しい気分でその日を迎えていたように思う。
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今日で放送局のアナウンサー人生も最終日。
明日からなんの肩書きもない人間になるんだなあ。
そんなことを思いながら、退社報告と感謝の気持ちを簡潔にまとめて、文章を作っていた。
Twitterに投稿する、局アナとして最後の挨拶だ。
140字以内という文字制限の中では、どうしてもあっさりとした文面になってしまうのが引っかかる。
うーん、、と少し悩んだが、卒業の思いをしっかりと書いているアナウンサー公式ブログのURLを貼り付けたから、これで良いか。
そう思って、超がつくほどシンプルな文章を作成していた。
「粟津ちひろ」としてのTwitterアカウント。
番組宣伝や紹介したい人・モノ、自分の気持ちなど、投稿したいことがあると、すぐにページを開く習慣がついていた。
気付けば、わたしの大事な大事な相棒だ。
Twitterを始めたときから、ずっと変わらない。
このアカウントを開設したのは、約8年前である。
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当時はすでにSNSがさかんな時代で、アナウンス部の先輩の中には、何人かオフィシャルでTwitterアカウントを持っている人がいた。
あぁ良いな、という小さな憧れはあったけれど、こんなわたしなんぞが手を出しても、と、特に登録はしないまま、入社3年目に突入していた。
きっかけは、まだ梅雨入り前だった6月のこと。
仕事関連で参加したとある講演会で、こんな話を聞いたのだ。
「もしTwitterのフォロワーが3000人を超えたら、それは立派な1つのメディアになる。
特に災害のときは、個人の情報発信が大きな効力を発揮する可能性もあるから、是非活用を。」
話し手は、元NHKの堀潤さんだ。
東日本大震災の時のようにあらゆる情報が錯綜している中では、孤立住民や避難先の状況など、個人のTwitterによって、知り得ない情報をも手に入れられるのだと言う。
私にとっては、目から鱗な話だった。
確かに、せっかく情報を発信する仕事をしているのだから、一個人としても何か伝えられる環境を作ろう、そう思った。
きっと、誰かの役に立つのではないかと。
そうして、“アナウンサー 粟津ちひろ”のTwitterを開設したのが、2013年8月のことだった。
*
局アナとして、最後の挨拶を投稿し終える。
明日からはこのTwitterも、何者でもなくなるのだなあ。
そう思うと、こころなしかアカウントが寂しそうに見えた。
さて、明日からTwitterの運用をどうしようか。
肩書きのない自分が投稿したところでなんだか変な感じがするし、
かといって、飼い主が突然投稿を放棄をしたらアカウントがもっと悲しむような気もする、
という気持ちをいったりきたり。
結局すぐにはアカウントを手放すことができず、時折個人的に好きなことを呟くことにした。
退社してから1年。
Twitterは今も変わらず相棒だ。
最初こそ投稿内容に悶々としたものの、コロナ禍のステイホーム期間もあいまって、SNSで皆と繋がろう、という流れに自然と乗れたように思う。
今では、投稿することへの抵抗感もだいぶ少なくなったけれど、常についてまわる「わたしはどの立場で発信しているのだろう。」という疑問。
アナウンサー時代は絶妙な距離感で付き合えていたTwitterも、今じゃわたし個人の力が及ばずうまく付き合えていない。
投稿内容もなんだかパッとしない。
それもそのはず。
放送にのるわけでもなく、宣伝できるような報告や目立った活動をしているわけでもないからだ。
てっきり多くのフォロワーが離れるだろうなと思っていた。
ところが、
この1年、離れるどころか、本当に少しずつではあるけれど、むしろフォロワーが増えていったのだ。
ただ好き勝手呟いているだけのわたしを、強力な肩書きがないわたしを、今このタイミングでフォローしてくれるとは、一体全体何事か!
ただただ驚くばかりだった。
彼らの寛大な心に救われる。
色々気にし過ぎていたのは自分だけだったのか、と少し恥ずかしい気持ちになる。
さて、こうなってくると、だ。
果たして、このアカウントはこれまでの使い方でいいのだろうか。
ナンセンスな呟きをするだけのアカウントにしていいのだろうか。
それは、フォロワーに対していささか失礼ではなかろうか、という気持ちが沸々とわいてくるのだ。
せっかくなら、もっと魅力的なコンテンツでありたい!
何者でもないわたしをフォローし続けている皆さんに、何らかの形で思いを伝えたい!
どうしたらいいのだろう。
そうして出した結論は、
もう放送局のアナウンサーではないけれど、こんなにフォローし続けてくれる人がいるのであれば、「これまでの経験や思いを含め、今のわたしが出来るまでを伝えてみよう」ということだ。
アナウンサーとして、これまで多くの人を取材し、色んな話を見聞きして感じたこと。
それは、生きた言葉で語る取材相手の実体験は、まるでタイムマシンで当時にタイムスリップしたかのような、共に生きてきたような、そんな感覚にさせてくれる、ということだ。
これに、どれだけ多くの生きるヒントをもらったことか。
退社する頃には、何十人、何百人分の人生が描かれた1冊の分厚い本を読み終わったかのような、満ち足りた気分になっていたし、確実に私の人生を豊かにしてくれたのだ。
この充実感こそが、退社日に感じた清々しさの理由の1つかもしれない、と今では思う。
そうだ、今度はわたしの番だ。
どんな経験をしてきたか、どんな景色を見てきたのかを、自分の生きた言葉で伝えてみよう。
これまでの人生を誰かに話してみよう。
ありのままを。
決して猫かぶらずに。
(そういえば誰かが、猫をかぶるのは社会人生活が最後の機会だから、かぶれるだけかぶっておけ、なんて言ってたっけ。)
どんなことを書こうか、わたし自身とてもワクワクしている。
あまり大それた経験はないけれど、お茶を飲んで一息つきながら、わたしの人生のタイムマシンに乗りに来てくれたらなと思う。
そして、いつかどこかで、誰かの励みや踏み出すお手伝いができますように。
そんなことを願いながら、書き続けよう。
文章を書くのは決して得意ではないけれど、
お付き合いいただけると嬉しいのです。