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自分にしかできないこと=自分自身を生きること
"自分にしかできないこと"
巷でよく聞く言葉だけれど、これは実は探す前からすぐそこにある
私が私を生きていくこと
あなたがあなたを生きていくこと
その人がその人の感じ方を大切にし、その人がそれぞれの感性を磨いていくこと
そうなんじゃないかと私は思う
笑って、怒って、泣いて、喜んで、傷ついて、それを他者と共有できることは素晴らしいことだろう
だけど全て、完全一致は不可能だ
その一つ一つの感じ方、感情こそ、その人しか持ち得ない、経験し得ない
世界でたった一つの個性で宝物
人はこれを分け合って生きていくことに意味があるのではないだろうか
そのかけがえのなさに気付いていない人が多いように思う
幸せとはなんだろう
病気にならないこと
家族がいること
悲しいことがないこと
それも全部幸せと呼ばれるもので確かだ
だけどこれが、人として生まれて、生きていると、悲しいことに遭遇しないわけにはいかないから厄介だ
そして上に書いたような幸せは悲しいかな、次の瞬間には簡単に過ぎていくものだ
つまり一過性で危い
私にとって幸せとは、悲しみ苦しみが起こらないことではない
ここで私の今までの人生を勝手に自分だけで振り返ってみたい
私の家族はごくありふれたどこにでもあるそれと、幼い頃は疑いもしなかった
自分の家族がちょっぴり、歪な形をしていて、賑やかで雑多な騒音が多いこと、周りとは少し違ったものであることを自分で認識したのは私自身が少し成長してから
社会人として企業に就職して、一時的に自分の心のバランスを見失った
自分の配属された部署が激務
家に帰れば、とても騒がしい
普通では飛んでこないものがビュンと飛んでくる日々
職場の同僚、上司はとてもあたたかく、私にとことん寄り添ってくれた
私は恵まれていると思う
その職場は結局退職した
なんとかかんとか物騒な家からも離れた
現在は、自分の身体的な病が発覚し、治療が難航し、身体も疲れ気味
元々身体も弱い
つい最近別の身体的な持病が寛解したばっかりだ
親も病気の治療中だ
人生って、ほんとに、意味がわからない
人生ってやつは、なんなんだ一体
だけど私は今、生きてきた道を振り返ってみて、不幸だとか、客観的に見て可哀想だなとか微塵も思わない
自分が人より人の気持ちに敏感で、どうでもいいかもしれないことを、気にしすぎてしまうし、考え込んでうーっとなるし
さらにはてんやわんやな人生で
どれだけ泣いてきたかはわからない
だけど、最近思う
私って実はめちゃくちゃ幸せなんじゃないかと
生きていくってことは
悲しいこと、苦しいことに出遭うことかもしれない
もちろん喜びや楽しみもあって
自分を楽しませてあげるのは自分のつとめでもある
だけど生きているのだから、病気にもなる、老いていく
でも、悲しいことも、葛藤も、腹立つことも、全ての感情や経験
この私にしかない感受性
それって実はひときわ輝く宝の山なのでは?と
ふと思った
悲しいときこそ、今まで知らなかったくらいの自分の強さに出会えたりする
全部が大切で必要
ん?て気にしてしまうことも、
悔しくて涙したことも、
そういうちっちゃなさささいなひとつひとつが私の生命を完成させていっているというか
いつが寿命かは私にはわからないけれど、その時まで一生懸命に、この私が私として、私のまま私を達成していくことが人生なのかなと思う
悲しみ苦しみこそが、確実に私を育んできたと確信する
だからやっぱり私のきた道は私だけの宝
これからも、家族との距離感、自分の病、問題は山積みだけど、一つ一つを大切に着実に、あんまり深刻にならず、私の道を歩いていけばいいなと思う
きっとなんとかなる
なるようになる
心配してもなんとかなるもんでもないものには
流れるように、ゆるやかに
だけどいざという時は、自分自身の決意と意思で未来を、切り拓いてこう