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その17 ハワイ国際交流〜出発〜

ユースフォーラムが終わって数日後にはハワイへ。高3の夏は多忙だった。ユースフォーラムのテーマや自身が提出した論文の深堀、それに加えて部活である箏曲部の練習。昼休みや土日も使って休みなく青春を謳歌した気分だった。

ユースは単体で私個人であったが国際交流は県内の学生が各分野から選出されているため団体行動が必須になる。私含めて30人程だろうか。箏曲はもちろん、カルタや演劇、写真など様々な人たちとの合同だ。

最初の顔合わせのときに、国際交流をやるにあたって代表を決めなくてはならなかった。団長、副団長1人ずつと言われるも立候補するものは当然おらず。こうなるとよくありがちなのが決まるまで終わらないというなんともずるいやり方がある。

私はユースや部活の練習で手一杯だったのもあり人任せにしていた。…がだれも立候補しない。文化部が勢ぞろいし陽キャがあまりいなそうなメンツ(その当時は)、時間だけが進む。顧問からの推しもあり、副団長ならと仕方なく立候補したらもう一人の女子も副団長ならと立候補してきたのだ。
絶対に私よりしっかりしてそうなメガネ女子。だが私は心のなかで「メガネぇぇぇ」と少しだけ恨んだ。ともなれどちらとも譲らずじゃあジャンケンでという話になった。
何故仕方なく立候補した二人でジャンケンなのか。最初からみんなでしたらいいのにと思いつつも面倒くさいのが嫌いな私は折れて団長になったのだ。ただリーダーみたいに点呼とかすればよいのかと思っていたのだが後に英語でスピーチしてもらうと聞かされ私はさらにメガネぇぇぇと恨み節になった。

ここからユース、部活、英語スピーチや団長業務とやることがパンパンになってしまった。そしていざハワイへ。琴は楽器自体が大きいため運搬も一苦労だ。人生二度目のハワイ。そこで団長としてまとめたりメンバーとコミュニケーションとったり私には苦手なことをやらなければならなかった。

高校生で他校、中には尖った子や気難しい子もいた。その頃はまだ男子生徒という存在なため偽りの自分でもいなければならなかった。頑張って話を合わせたりホテルのベッドが1つ小さく固いものだったためジャンケンをしたりしたがこれがちょっとしたトラブルになる。部屋割りは3人部屋で1人は同学年で1人は年下の面倒くさい男の子。この子がちょいちょいやらかしてしまうことになる。

私が一緒に行った同じ高校の女子はそこまで仲良くもなく常に表情があまり変わらない大柄な女の子。男なんてと腐女子のような考えをもっていてはどこかで私をバカにしていたようにも見えた。しかし出発の少し前の期末テストで彼女はカンニングをして停学になっていた。本来なら彼女でなくもう1人が選ばれるはずだったが親御さんの意向で行けなくなり彼女と私になったのだ。

元々私もユースもあったしメンバーにはならない予定だったが様々な事情が重なり行くことになった。行く前からお腹いっぱい案件のハワイ国際交流。次回は現地編をお送りします。


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