昼下がりももうすぐ夕方を迎えます。 私は、前面の窓の木漏れ日を浴びながら 文字を打っています。 noteに出会えて20日以上経とうとしています。 元々ネットに文章を載せるのは苦手でした。 今は、”表現の生産性0の私”と自認しています。 noteはいろんなクリエィター(noter)が集まる街です。 この記事で私も街の住人になりました。 今見ても我ながら新鮮に感じます。 私は、高校に入ってから登校拒否をしていました。 (4年かかって無事卒業しました) だから、まともな友達
私は、最近夜に 映画のDVDをレンタルして 鑑賞する時があります。 今日、観た映画は 「嵐」の二宮和也君と女優の波瑠さんの主演する 「アナログ」という映画です。 この映画の中で 二宮和也さん演じるデザイナーの「水島悟」。 波瑠さんの演じる「美春みゆき」さんが 木曜日に喫茶店で出会います。 その二人が織りなす 物語となっています。 私が一番共感させられたこと というか、 見習いたいな〜と思ったことがあります。 (あまりネタバレは したくありませんが 差し障りのない程度
今日、ホームセンターから 「お花」を買ってきました。 「お花」と言っても 絶対に枯れない!! それは、つまりは「造花(ぞうか)」です。 しかも、100均のものですが・・・😅 それを コーヒーのペットボトルに 差し込んで 出窓に飾っています。 本当は 何か「枯れても良いので」と 生の花を購入するつもりでした。 しかし 母のとの会話で 手のかからない。 しかもお値段も手頃な 「造花」に落ち着きました。 なぜ「お花?」と 思われるかもしれません。 それは 部屋に「ふれ
「楽しみ」と「楽しむ」が 違う意味の言葉に 気づきました。 今の社会には「楽しみ」が溢れています。 しかし、そんな中で 私たちは、本当に 「楽しむ」ことをしているでしょうか? もっと言えば 「楽しみ」がいくらあっても 「楽しむ」「楽しめる」気持ちが 一寸でもありませんと せっかくの「楽しみ」も 素通りしていくのでしょう。 私にとって noteに書くことは 「楽しみ」でした。 しかし、いつからか「楽しむ」ことを 忘れていたのかもしれません。 「楽しむ」には 時間やお金
こんばんは。 私には、眠れぬ夜に 忘れられない人がいます。 「偶然」の出会いなのか? はたまた「必然」の出会いなのか? 私は、それを「一期一会」と呼びます。 一生忘れられないで合い であり、また 最後まで背負う「問い」という存在 なのかもしれません。 もっと言いたいことがあった・・・。 もっと感謝したかった・・・。 もっとお互いを知りたかった・・・。 それは「欲望」かもしれません。 しかし、そう思うだけで 心がいっぱいになってしまいます。 私は 「あの人のいない
ふと思います。 私たちは 意識することもなく なぜ毎日、何かわからないものに 追われているように 過ごしているのでしょうか? そんな中で 今日、一冊の「絵本」と出会いました。 ヨシタケシンスケさんの 「メメンとモリ」(KADOKAWA) という絵本です。 例えば、モリがメメンの作った 世界で一つしかない「お皿」をわって しまったのです。 「ごめんなさい」と謝るモリに メメンは と言います。 それは 「お皿」だけではなく 私たちも同じです。 時がたてば、歳をとって
「真面目に生きることは 素晴らしいことです。」 これは当然正しいことのように 読めますが やはり、何事も真面目「すぎる」のは いただけません。 私は当然、手持ち無沙汰の時は 何かしら、読書していたり 何かを考えたり、それを白いノートに 書いてまとめてみたりします。 つまりは 何事かを頭の中で考えているのです。 私の周りや 目の前のテレビの周りには 本が沢山あり その背表紙に煽(あお)られて 何かしら読む誘惑に駆られてしまいます。 仕事もそうです。 NOが言えないので
誰の心の中にも 「後悔」や「失敗」はつきものです。 今回は、 何十年も生きていない私です。 それでも 勇気を出して👊 私の人生の中から 皆さんに伝えたい 「心配しないで・・・」ほしいことを 4つの文章にしたいと思いました。 それは ・失恋 ・登校拒否 ・親 ・夢 の4つのことについて です。 ・失恋 人を愛することは素晴らしいことです。 ただ、相手のいることなのでマナーは守りましょう。 そうしても叶わなかった恋、たとい初恋であってもそれは、これからのあなたの中で必ず
いつからでしょうか? 私の書くnoteの記事が「バッドエンド」に 終えようとしていたのは・・・? 何かを俯瞰(ふかん)したような 感じで「人生はこのようなものです・・・」 なんて終える。 そんなnoteの記事が 多くなっていました。 夏目漱石の「草枕」に 人は生きずらさを感じると この世界の良い点ばかりを集めて 文章や絵画、音楽などに 凝縮(ぎょうしゅく)して 「芸術」が産まれると 書かかれていました。 そうです。 どんな時にも エンターテイメントは 「ハッピーエンド」
私が書くことを 始めたきっかけになったのは 高校生時代です。 ノートに「1行」の日記を書いてみたことが キッカケでした。 ルールは ・1行で良いこと (調子が乗れば何行でも良い) ・同じことや被ることは、書かないこと の二つでした。 当時、メンタルを病んで 出席日数も休養の休みのために まさにギリギリでした。 しかし なぜか夜になると 一冊のノートに 「1行」の日記を毎日書いていたのです。 今顧みてみると その「1行」を書くことにより メンタルや学校に行けなかった 自
日曜日、実家に帰りました。 母が風邪の症状を呈していたのです。 「体温測った?」 「体温計どこにしまったか? 探しても出てこない・・・」 私は、あまりにも 無防備に話す母に呆れてしまいました。 しかし、放っておくわけにもいかず・・・。 自分のうちから 「体温計」「風邪薬」「鎮痛剤」「柑橘系のジュース」 「ヨーグルト」などを 持って再び実家に帰宅しました。 一応、母の体温は「36.6度」でした。 「明日、医者に行ったら 先生に言ってね」と言い 帰宅しました。 今日、
私は「kohの世界」という 冠でnoteに文章を綴っています。 しかし 「世界」という言葉を愛用しているとはいえ 他の世界を「排他的」にすることは 自ら禁じています。 (少なくともそういう目標にしたいです・・・😅) noteを書くときに 「ノイズになる情報」または 「ノイズになる環境」とは ないほうが良いとは 私も少しばかりは思いますが・・・、 私はnoteの記事に邪魔になることを排除するという 意味で「kohの世界」を 作り上げる気はありませんでした。 私も 「働き
「希望」というと 私たちが直に思い浮かべるイメージは 「困難から脱出すること」のように 感じるのが普通かもしれません。 今日、私は 以前読んでいた 座右の書を紐解き 別な意味での「希望」を 学びました。 その本とは です。 そこには こんな一節があります。 私たちは ほとんどが 明日の私、明後日の私・・・。 未来が当然のように考え備えられる ことが出来ます。 それでも 日本、いや世界には 生きたくても残念ながら 病気や災害で 明日のことも 選べない人々がたくさんい
おはようございます。 昨日私は、NHKの「クローズアップ現代」を みていました。 以後は、私自身の個人の感想です。 現在の朝の連続ドラマ「虎に翼」についてでした。 ドラマのモデルは 日本人初の弁護士「馬淵嘉子」さんだそうです。 脚本を書いた吉田恵里香さんがゲストで 出演されていました。 番組の初めに 強調されていたのが 日本国憲法第十四条の「法のもとに人は皆平等」という 部分でした。 今、「多数派」や「少数派」という 言葉をよく耳にします。 脚本家の吉田さんが
おはようございます。 格別書くこともありません。 しかし、時間がもったいないので 少し文章をしたためます。 noteに限らず 「習慣」とかくnoteについては 「朝が全て」 だと感じます。 (例外に夜も書く場合もあるけど😅) ですから 昨日もなるべく早く 床につきました。 朝起きると まずは歯磨き そして いっぱいの水を飲んでから 食事(一汁一菜)を摂ります。 食べた後 すぐに食器を洗い 米も夜の分研いで 今日の食事の準備をします。 窓を開け カーテンも開け
ラジオを聴いていたら 高齢の女性の方が いろんな手助け(サービス)を 受けながら 一人暮らしをしている インタビューを耳にしました。 私は一人ですごいなーと 感心してしまいました。 今日は「敬老の日」です。 私は、以前に親からの干渉から自分を守る noteを書かせていただきました。 これは、「両親」を阻害するわけではなく あくまでも「生活リズム」や「自分の世界」を 守るための方法を書いたものでした。 今回は逆なイメージですが、 「離れた両親」を どうやって見守るか?