「仕事」or「kohの世界」
私は「kohの世界」という
冠でnoteに文章を綴っています。
しかし
「世界」という言葉を愛用しているとはいえ
他の世界を「排他的」にすることは
自ら禁じています。
(少なくともそういう目標にしたいです・・・😅)
noteを書くときに
「ノイズになる情報」または
「ノイズになる環境」とは
ないほうが良いとは
私も少しばかりは思いますが・・・、
私はnoteの記事に邪魔になることを排除するという
意味で「kohの世界」を
作り上げる気はありませんでした。
私も
「働きながら、自分の精神世界、または
現実の世界」を受け入れられるために
noteを利用しています。
ですから
働いているのに、自分の世界が作れない・・・。
この書籍「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(三宅香帆著、集英社新書)
このような社会に対するアンチテーゼ(反論)には
とても共感してしまいます。
私は
決してnoteを離れることは
出来ないです。(離れたくないです😭)
しかし、そのために
(noteを書くためだけに)
全く「ノイズ」のない
生活(noteが全ての生活)を送ることも
出来ません。
これは、とても欲張りな
考えかもしれませんですが、
世界はだんだんと
そのような世界になってくると
思います。(なんとなく・・・)
要は「インターネット」との
付き合い方です。
インプットなしで
書くことは私には考えられませんし、
本を読むだけで
生活に埋没することも
また桃源郷のような生活のようで
しっくりきません。
ですから
この書籍の題名のような
問いをいつも考えながら
苦悩しながら
noteと向き合っています。
生活とは
いったいどこまで
こなせばいいのでしょうか?
私は、メンタル疾患になっても
noteの話題にしたり
自分で「一汁一菜」をこなしたり
もちろん仕事にも行きます。
それでもnoteも書きます。
私は「生活」という言葉を
とても貴重な言葉だと
捉えています。
生活がなければ
仕事には行けません。
生活がなければ
noteに書くことも
なんだか憚られます。ためらってしまいます。
私にとって
「仕事」などのリアルと
noteなどの書くことは
車のタイヤの両輪のようなものです。
どりらかが
パンクしてしまったら
真っ直ぐに前に進むことはできないと
思います。
人により、その人により
その状況であり
スタンスは正に
十人十色です。
noteを軸に活躍されている
人もたくさんおられます。
それでも私自身は
・書く
・読む
・歩く(仕事に行く、生活を維持する)
この三原則は
noteを始めてから
ずっと守ってきました。
そのように
自分の精神世界(kohの世界など)も
現実の世界も
どちらも大切に出来るように
これからもnoteを利用したいきたい
と思っています。
ですから
このような
環境で生きられることに
感謝しております・・・。
おわり
chankinaさん
イメージに合った
素敵なイラストありがとうございます。