「ハッピーエンド」
いつからでしょうか?
私の書くnoteの記事が「バッドエンド」に
終えようとしていたのは・・・?
何かを俯瞰(ふかん)したような
感じで「人生はこのようなものです・・・」
なんて終える。
そんなnoteの記事が
多くなっていました。
夏目漱石の「草枕」に
人は生きずらさを感じると
この世界の良い点ばかりを集めて
文章や絵画、音楽などに
凝縮(ぎょうしゅく)して
「芸術」が産まれると
書かかれていました。
そうです。
どんな時にも
エンターテイメントは
「ハッピーエンド」で終わることは
昔からも受け継がれていたのでした。
noteであれ
noterというクリエイターが作るものも
エンターテイメントに入るのでしょうか?
残念ながら
世界史や日本史などの歴史や
存在する哲学などの思想。
これらの全ては
「ハッピーエンド」とは
かけ離れています。
もちろんそれは
「現実」を対象にして
考えられた「考察」だからでしょう。
現代の現実を見てみると
いろんなみたくない現実が
情報として流れてきます。
これから先の
将来もあまり明るいものには
感じません。
ですから人は
せめて「エンターテイメント」には
「ハッピーエンド」を
私も含め、求めてしまうのでしょう。
この世界には
「リアリスト(現実主義)」や
「ロマンチスト(理想主義)」などに
二分されると複雑な気がします。
生活を維持するには
「現実」をみなくてはいけません。
しかし、あまりに現実に「過剰適応」
(頑張りすぎ)を
してしまうとメンタルなどに
支障が出ます。
なんだか
今の「現実社会」じたいが
「ハッピーエンド」を
阻害しているように
私は感じてしまうのです。
本をたどれば
「哲学」や「思想」も
全て「性善説」を元に
作られています。
(例外もありますが・・・)
「ハッピーエンド」のない社会や将来は
お金や国際問題、エネルギーや食料問題などよりも
もっと深刻な「次世代」へのツケだと私は思います。
何も「バブル」のような
破天荒(はてんこう)な豊かさを
再び求めるのではありません。
それよりも
人生大変な時でも
「人生深刻にならなくてもなんとかなるよ」
と言える社会を作って行ければ
未来も明るくならないでしょうか?
決して「ハッピーエンド」は
自己満足ではありません。
それは魂への潤いだとイメージしたいです。
これからも
だれの生きる道にも
難儀なことがたくさんあるでしょう。
それでも
「なんとかなるさ」とか
「ハッピーエンド」で終わる
物語や歌、映画、演劇があっても
良いのではないでしょうか?
「ハッピーエンド」は
この世界の中で必要なものと
私は考えるのですが・・・。
おわり