「楽しむ」こと
「楽しみ」と「楽しむ」が
違う意味の言葉に
気づきました。
今の社会には「楽しみ」が溢れています。
しかし、そんな中で
私たちは、本当に
「楽しむ」ことをしているでしょうか?
もっと言えば
「楽しみ」がいくらあっても
「楽しむ」「楽しめる」気持ちが
一寸でもありませんと
せっかくの「楽しみ」も
素通りしていくのでしょう。
私にとって
noteに書くことは
「楽しみ」でした。
しかし、いつからか「楽しむ」ことを
忘れていたのかもしれません。
「楽しむ」には
時間やお金がかかるよ。と
いう声もあるかもしれません。
それもある意味真実です。
しかし
昨日の私は
無性に新しい「本」が読みたかったのです。
そう、私は「本」があれば楽しいです。
本屋さんや古書店に入るのは
持っての「楽しみ」なのです。
しかし、その時に私はその元になるもの
つまり「お金」をそんなに所持していませんでした。
ですから
「図書館」に行ったのです!!
私の中には
「本」とは「買って読むもの」という
思い込みがありました。
自分の隣に携帯していなければ
「本」の良さは引き出せない。
ただ借りて読むことは、「読書」の入り口にしかないと・・・。
しかし
そのような思い込みも
いざ、図書館に久しぶりに行ったら
吹き飛んでしまいました。
決して
自分に所持できるわけではあないのですが
(図書館は本を借りるところです。
当たり前と言えば当たり前ですが・・・)
気持ちがハイテンションになってしまいました。
私は本当に「本」が好きで
「本」が存在しないと「楽しめない」性質なのだと気付けました。
人は「追い詰め」られなければ
自分の本当に「楽しめる」ものは
見つからないのかもしれません。
noteも然りです。
以前としてnoteに書くことは
「楽しみ」であることだけでした。
しかし「楽しむ」ことがわからない・・・。
私はこのことだけで
かなり悩んだと思います。
「楽しむ」ためには
普段から「生活習慣」を
しっかりしなければいけないと
常々思っています。
それは、どんな「楽しみ」でも
やり過ぎは、自分を不幸にするからです。
私の場合は
「金銭的」なものや「生活習慣」などの
メンタル的なもの。
のめり込み過ぎないための
「セルフコントロール」です。
他の人に迷惑をかけないなら
「楽しむ」ことは
決して悪くいことではない。と
今なら思えます。
やはりnoteのような
自分の気持ちをアウトプットできる
場所は「楽しい」です。
要は、いかに「生活習慣」を
崩さずにアウトプットを「楽しむ」ことができるか?
という問題です。
秋風が強い朝に・・・
おわり
参考文献
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