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邪道作家第四巻 生死は取材の為にあり 分割版その2

新規用一巻横書き記事

テーマ 非人間讃歌
ジャンル 近未来社会風刺ミステリ(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)

縦書きファイル(グーグルプレイブックス対応・栞機能付き)全巻及びまとめ記事(推奨)

   2

 軍事力による支配。
 その脱却に悩む連中は多いが、私からすれば簡単な話だ。女を使えばいい。連中の指揮官に暴行されたとか、あるいはそれに実話を織り交ぜて、本国で「差別反対」だの叫んで、我々は非道な行いをされ奴隷のように扱われたと、「文明人」みたいな彼等「倫理観のある良識人」は、そう言ったことに敏感だ。
 無論、嘘が露見すれば説得力も失うので、実話がありそれに説得力があるのならば、その噺で民衆を動かすべきだろう。何が言いたいのかと言えば、差別されている地域でどれだけ「平等」を訴えても誰も耳に入れないが、都心の真ん中で異国の人間たちが「差別反対」を掲げれば、いつの時代もマスメディアが大仰に取り上げてくれるという噺だ。
 差別だけでない。
 自然災害に晒された人間たちを、政府は平気で放り捨てる。面倒だからだ・・・・・・とはいえ、私からすれば、だが。いっそのこと新しいグリーンエネルギーでも作り上げ、被災地域を独立国家にしてしまえばいいのだ。結局のところ、そういう政府なんてあろうがなかろうが同じなのだから、エネルギー問題さえ解決すれば、それで膨大な富を築き上げ事実上の「地域国家」を作り上げるのは容易い。無論、それに相応しいカリスマと、組織力のある人間がまとめれば尚良い。
 昔の人間は藻から石油を作り上げ、最近では地熱エネルギーを電解質に変えたりする惑星国家も増えてきた。国がアテにならないことを知っているからだろう。
 私と面と座っている人間は、そういう
「こぼれ落ちた人間」を救うことに生き甲斐を感じている人間だった。
 丸いテーブルを囲んで二人の男が座っている。 ジョンは席を外した。どうせ飲んでいるのだろうが。
 私はステーキを頼み、カプチーノを注文してから「それで」と噺を切り出した。
「腕は確かなのか?」
 狙撃手は、時代を超えても尚普遍の存在だ。
 レーザー銃では駄目なのかとか、機械やアンドロイドを使えばいいと、まぁ一般的にはそう言われているが、アンドロイドはそもそも「合理的」思考に固まっている連中が多い。私の持っている人工知能のような違法存在は少ないのだ。
 無論、法律はバレないように破るものだが、それにしたって「自身を危険にさらす」近距離狙撃や、「狙撃に対する応用性」が足りない。アンドロイドであれば狙撃能力とスタミナは高いのだが「敢えて自身を危険にさらす」という合理的でない行動を、タイムラグなしで取れるアンドロイドスナイパーは少ない。アンドロイドの前提を崩しているからだ。
 合理的思考。
 それが出来るからこそのアンドロイドだ。もちろんそういう狙撃が可能な奴もいるにはいるが、やはり知恵と経験で小狡い手、悪魔みたいなやり口、経験則からくる策略を考えると、人間のスナイパーは重宝できる。
 機械だと高すぎて、ほとんど平気レベルのモノを購入しなければならないし、アンドロイドでも雇用費は高い。彼等は「地域紛争の平定のため」に自身を安売りしない。
 信念のために自身を安売りし、理想のために戦うのは、そんな頭の悪い生き物は、世界広しと言えども、人間が圧倒的に多い、とまぁそういうことだ。
 精悍な青年は答えた。
「勿論」
 と。とはいえ、自己申告ほどアテにならないモノはない。私は資料を広げ、テーブルに並べた。「お前は、平和の使者のつもりか?」
 狙撃の対象は大抵が、独裁者だとか、地域紛争を起こすテロリストだとか、「悪そうな人間」に一貫していた。
 まぁ、私からすれば、「悪人」というのは当人以外が勝手に決めることであって、人間の歴史を考えれば、むしろこういう殺戮者がもてはやされ武勲だとか英雄だとか、そういう「正しさ」が安売りされていた時代の方が、長いのだが。
「別に、そんなんじゃないさ。ただ、俺はどうせなら味方したい奴の味方をするだけだよ」
「ふん」
 小綺麗に染まりやがって。
 人を殺して「正義みたいなもの」を掲げる連中には、大抵自覚がないものだ。それは大昔の「世界の警察」であり、かつての英雄たちであり、革命家であり、テロリストでもある。
 悪人を殺す、というのは権力や建前で行われることが多いが、そういう行動をとることで、ただの人殺行為を「戦争だから」とか「相手がテロリストだから」とか、そういう理由で誤魔化す。
 私など足元にも及ばない邪悪さだ。
 自覚がないということは、時に醜悪だ。
 それが善人ぶっているのなら、尚更。

 ふと、悟った。
 私は死にたいのだと。

 ありもしない「愛」だとか「幸福」だとかを探してアテのない旅を続けてきた。だが、得られるモノは、結局、無かった。
 私はきっと、滅びるために今回の依頼を受けたのだろうと、そう感じた。
 この世界に、夢を見ることを諦めたのだ。
 
 私は「愛」を持たない本物の「化け物」だ。

 その私が、生きるに値するモノがあるとすれば・・・・・・その答えを探して、ここまで来た。

 暗闇の中を谷を歩き

  幽鬼のようにさまよい続け

 結局、何も手に出来ない、本物の化け物。
 いや、もし私が「怪物」などという生やさしいものならば、きっと救いもあっただろう。
 私はきっと、「化け物」なのだ。
 恐れられ、崇められる怪物とは違う。最初から、この世界のどこにも馴染めない化け物には、怪物のようにつるむ相手も存在しない。
 
 私の歩みは尊かったかもしれない。しかし、そこに光り輝くモノ、足りない「何か」を手にするという夢は、叶わない願いだったのだ。
 叶わなかった。
 だから、私はこんな死に場所を探すかのように危険な依頼を受けているのだろうかと・・・・・・。
「おい、大丈夫か?」
 そんなさまよい続ける化け物の気持ちも知らず馴れ馴れしく若者は喋りかけてくるのだった。
 しかし思いは巡る。
 私はかなり諦めの悪い方だが、こと「心」に関して言えば、産まれたときから諦めていた。
 人並みの幸福を。
 人並みの充実を。
 人並みの、愛を。
 言ってしまえばそんな「人並み」のものすら手に入らないのだと、暴漢し続ける内に、代わりとなる「足りない何か」を埋め合わせるもの、金による安寧という埋め合わせに相応しいものを、求めてさまよってきたのかもしれない。
 なんてな。
「いや、大丈夫だ。何でもない」
 男がこう言うときは大抵、強がりのやせ我慢だが、まぁ言うまい。
 こうするくらいしか、私には選択肢そのものが無かったのだからな。

 目の前の青年を観察する・・・・・・・・・・・・。

 優秀な者ほど奴隷に成りやすい世の中だが、この男は優秀さをこじらせて、世のため人のため・・・・・・・・・・・・自己犠牲に酔うタイプだろう。
 優秀なだけの人間。
 優秀さを使う人間。
 無能なだけの人間。
 あるいは、失うだけの人間・・・・・・世の中には大別して、まぁそんな感じの人間共が右往左往しているわけだが、私はそんな彼等を「頭の悪い」と考えざるを得ない。
 知能ではなく、知恵がない。
 どうせ人間なんて数百年数千年、長生きしても精々数億年くらいしか生きられないのだから、優秀なら楽をすれば良さそうなものだが・・・・・・不遇な者は、堂々と乞食で稼げばいいのだ。
 それを仕事にする国もある。
 それで儲けている国も。
 人間はプラスかマイナスか、全てが数値化できるこのご時世では、どちらかだと計ることが出来るようになった。まぁ、私は数字で表してしまえば完全なる「0」なので、あまり意味のない考えではあるのだが。
 0。
 いや、むしろ、数値化される彼等の、外側にでもいるのだろうか・・・・・・どう計られようがどうでも良いことこの上ないが、少なくとも私は優秀ではなかったので、楽は出来なかったが。
 色々言ったが、しかし全てを覆すようで悪いが私には人並みの幸福すらも、優秀か無能かも「どうでもいい」事柄でしかないのだ。そんなことはどうでもいい。政治家にでも考えさせろ。
 問題は実利である。
 金になれば、悪だと言われようが無能だと言われようが、構わない。
 必要とあれば、その「人間らしい幸福」「人間らしさみたいなもの」も、札束で頬を叩いて、手に入れてやればいい。他の人間は知らないが、少なくとも私には容易なことだ。
 この世は所詮自己満足。
 それに関して言えば、私は世界一だ・・・・・・下らない「倫理観もどき」に縛られることなく、ただただ「自己満足のため」にどれだけの者を犠牲にしても、一切の罪悪を感じないし、感じたところでどうでもいい。
 私はそれが出来る人間だ。
 問題は、なかなか実利が発生しないことか。
 世の中、実に上手くできているものだ。
 とはいえ、「持たざる人間」だからこそ持つ「何か」で、物語を進めていく噺も無いではないのだが、私の場合そんな便利なモノは無かったところを見ると、やはり理不尽と言えた。
 普通、不遇な人間は何かしらそれに見合ったモノを持っていたりするんじゃないのかと、子供の時から不満ではあったが・・・・・・まぁ人生そんなものだ。
 世界は、実にどうでもいい理由で回っている。 その理由に、味方されるかされないか、いずれにせよ、理不尽に関してあれこれ考えるのは楽しいものだが、考えたところで解決するわけでもないので、暇つぶし程度に、軽く考えておこう。
 どうでもいいしな。
「それで」
 お前は何のためにこんな割に合わない仕事をするんだ、と聞いてやろうかと思ったが、やめた。どうせ下らない理想を聞かされるだけだ。
 この私が満足する噺をさせなければ。
 その結果、この男がどうなろうが、知ったことではないしな・・・・・・いっそのこと恋人が目の前でバラバラになった体験談とか、それを語りながら涙を流して後悔するところでも観られれば、私から笑いを取ることくらいは出来そうなものだが。「お前は、そんな理由で死ねるのか?」
 さっき、私は死にたいのではないかとか言っていたが、しかしそんな考えはすぐ浮かんで消えるものでしかない。
 何せ「あの世」があるなら実に楽そうではないか。
 まぁ、逆に言えばそれが無ければそれはそれで楽そうではあるし。あったところで、どうせ退屈を紛らわし、人生を楽しむためには執筆作業を続けるしかあるまい。
 私には暇つぶしに使える選択肢の種類が、現状少ないのだ・・・・・・他に何か、本以外で、金がかからず楽で、良いもの、と考えたところで一つ、閃いた。
 釣りなどどうだろうか?
 いっそのこと、あの世でもこの世でもいいが、金に不自由しなくなったら釣りをして本を読んでコーヒーを飲み、女を抱いて、後は美味いモノを食べ続ける自堕落な生活を送るのも、ありだ。
 検討しておこう。
 金に不自由しない未来が、あればいいが。
「死ねる、とは言わないさ、けどそのために戦えたのなら、後悔はしないと思う」
 青年の答えを、危うく聞き逃すところだった・・・・・・私はいつだって自分のことしか考えてはいないのだ。だから、こんな眠たくなる台詞を聞かされれば、こうなるのは自然だった。
 下らない台詞だ。
 下らない理由だ。
 下らない人間だ。
 人間とは、優秀さをこじらせると、こうもどうでもいい理由で死ねるものなのか、とむしろ私個人はひどく感心した。
 私など、私個人の気分でしか、動きはしないのだが・・・・・・他の人間の気分転換のために、生きたり死んだり殺したり殺されたり、忙しい連中だ。 暇そうで・・・・・・羨ましい。
 私は注文して置いたステーキを頂き、ナイフとフォークを構えて、噺を続けるのだった。
 私は重要なことは「作品のネタ」だ、と普段から言い張っているが、そんなわけがない・・・・・・暇つぶしという意味合いではあっているが、私という人間が個人で存在する以上、どうでもよくないのは私個人が良い思いが出来るか、出来ないか、突き詰めればそう言うことだ。
 作品も、同じ。
 だが、優秀さをこじらせた人間は余裕があるので「誰かのため」に動くという、余裕ある行動が取れるらしかった。
 本当に楽そうで羨ましい噺だ。
 ステーキを口に運んで考える。
 物語とは、いや芸術というのは総じて「絶対に届かない場所にある美しいもの」を描くことに通じるものだ。
 見果てぬ夢を魅せること。
 それが芸術だ。
 全ての事柄に対して「手が届かない」と感じている私のような破綻者には、相応しい役回りというわけだ・・・・・・まぁ最も、手に届くモノを描くだけなら、その辺の石でも「現実」というフィル他を通してみればいい噺だ。
 そんなモノに人間は感動しない。
 ありもしないもの、手に届くはずのない奇跡に人間は夢を見る。美しさの真を知る。現実に目が写すモノ以上の、それこそあの世だとか天国だとかそういった「人の上にあるモノ」が存在していて、それが美しいものだと信じたいのだ。
 そんなモノは存在しない。
 この世界に、美しいと断ずることが出来る存在など、ありはしない。
 愛も、恋も、人情も友情も、全て、紙の上でのみ語られるモノでしかない。人類も神も、その事実からは目をそらす。そらすのは勝手だが、いい加減この世界には何の価値もなく、汚らしい人間同士の欲の絡み合いしかないのだと、直視して欲しいものだ。
 神も人間も、進歩しない。
 夢ばかり見て、汚い現実を「ありもしない」と考えさせる手腕ばかり、達者になっていく。
 だから世界は汚らしい。
 美しいモノなど、ありはしない。
 見るに耐えないが、それでも世界は回っていく・・・・・・資本主義という主軸がある限りは。
 そこに人間の心や理念は、必要ない。
 物質主義で、世界は埋め尽くされていく。
 目の前の青年を見ながら考える。この青年は所謂「真実」を見ているのだろうか? いない。
 断言できる。
 国家予算をかけた兵器が、権力のある国々が人道的に問題が無い、と判断した計測されない人間を相手に、人を殺す
 大儀があれば許される。
 いや、悪いことでさえなくなる。
 真実とは、都合良く人間に「運用」されるものに成り果てた。それらを都合良く「支配」できる国が「何が真実であるか」決める。
 真実とは、力ある権力者の前では、いや、現実にある物質的な力・・・・・・金の前では、無いに等しいものでしかない。
 倫理的正しさや、道徳的な考え、あるいはそういった「善意のようなもの」は無力な人間たちの特権だ。弱いからこそ吠える。
 それが受け入れられることは、決してありはしないというのにだ。
 現実には「真実」というのは都合の良いものではなく、不自由な「規範」だ。自身が生み出した「業」から抽出される個々人の「答え」。
 それが真実だ。
 そして・・・・・・真実とは無力なものだ。
 真実を押し通せるか、それは現実にある物質的な力に左右される。金であり、富であり、権力である。人間の精神は、全くと言っていいほど何の役にも立たず、世界に影響しない。
 恵まれた人間には、それが分からない。
「仕事を選ぶつもりはないんだ。ただ、こんな俺でも誰かの役に立てるのかなって、そう思うだけさ」
 誰かのため。
 馬鹿そのものだ。
 誰かのために殺す、誰かのために救う。いずれにせよ誰かのために行うと歌っても、実行する意志も行動も当人の意志だ。誰かのためだの、そんなことは自身で選んでいない余裕合る人間の考えでしかない。
 つまり趣味人と変わるまい。
「下らないな。自己満足もここまで行けば、ある意味感服するほか無い」
 人間の身勝手さに、だが。
「ああ、自己満足だ。けれど俺は、この道を後悔するつもりはない」
 後悔しなければいいって訳でもないだろうが、まぁどうでもいい噺だ。正義感ほど金にならない自己満足はない。
 私はステーキを口に一切れ、運んだ。
「肉を食って生きている以上、誰かを殺して生きていることは明白だ。お前はそれから逃げているだけでしかない」
 などと、ついつい意見を戦わせてしまうのだった。言い争ったところで、何か私に得るモノがあるわけでもないのだが・・・・・・作品のネタ、だとでも思っておこう。
 ここで重要なのは、彼等「余裕ある良識人」という奴らは、結局のところ「救うべき貧困者」だとか、「保護下に置くべき文化のある国家」だとか、まぁ彼等の言う「誰かのため」の根本となる人間達を、結局のところ人間として、全く扱っていない、と言う点だだろう。
 彼等が守るのはお題目であり、自分達の心のより所・・・・・・「倫理的正しさ」や「道徳もどき」でしかない。
 目の前の人間さえ、見えていない。
 だから私は聞いた。
「お前はステーキを食べるか?」
「え? そりゃ、食べるけど・・・・・・」
「それが果物でも同じだがな。我々人間は自然の摂理を破壊することで、豊かな農作物を手にしている。本質的に自然と相容れるつもりが無く、相容れれば原始の生活をするしかないのだ。いいか良く聞け。豊かであるということは、ただそれだけで何かを殺して何かを奪った勲章のようなものだ」
「そんな、大袈裟な」
「大袈裟なものか。そも、そういった「悪意」が無ければ、バランスを崩すモノがなければ、我々はこんな良い生活はできていない。労働問題も、食糧問題も、資金問題も、紛争問題も、宗教問題も、全て、結局のところどこか他の場所にいる誰かに、汚い部分を押し付けるからこそ、発生するものだろう?」
「それは・・・・・・」
「お前がどういう夢を見ようが勝手だが、今回の依頼に持ち込むなよ。巻き添えをくうのは御免被るからな」
 言って、私はコーヒーを飲んだ。
 これ一杯にしたって、結局は無理難題を押し付けられて、税金をむしり取られる農民達が作り上げたものだ。
「お前は勘違いしている。この世界に尊さとか、あるいは「保護されるべき善人」などいない。全ての人間は誰かを、あるいは何かを傷つけて生きている獣だ。完全な被害者などいない」
 守られるべき、だとかそういう思想は、ただ「倫理観」だとか「道徳もどき」を勝手に感じ取って、それに従って行動しているだけだ。
「つまり、俺の行動は」
「ああ、勝手に貧困者だとか、戦災被害者を見て「可哀想だ」と思い、道徳に従って彼等を救うことが「良いこと」だと思いこんでいるだけだ」
「でも、実際彼等は被害者だろう?」
「被害者だからと言って、何故「救われなければならない」のだ? そもそもが、戦災でなくとも救われない人間は、いくらでもいるだろう。金が単純に足りなかったり、人間関係に悩んでいたりな・・・・・・切羽詰まっている人間だけなら、戦争のない時代の方が多いくらいさ。お前が助けようとしているのは、「見るからに可哀想で、見るからに被害者面で、見るからに救われるべき哀れな被害者達」に、見えるからだろう?」
 我々は悲惨ですと、前進でアピールしているかどうかの違いだ。実際、そうしない、見えない被害者には手を出さずに、わかりやすい人間達を助けようとしているだけだ。
 私のように所謂、道徳的な「良いこと」をしたのだから何か幸運は無いかな、と見返りを求めて気晴らしにするのなら分かる。
 しかし、それを美化して、「善」だとか「悪」だとかを演出して、正しさみたいなモノを掲げる連中は手に負えない。周囲は迷惑きわまりない。 人はそれを、「英雄」とか「聖人」と呼ぶ。
 自覚のない殺戮者か、あるいは押しつけがましい善意を宗教という形で広めて回るかの違いだ。 生きてるだけで迷惑と、まぁそういうことだ。 ところで、君は世界の電脳化をどう思うだろうか? 世界の電脳化は個々人の強さと弱さを極端にまで磨き上げて行った。個人が国家に匹敵する時代が訪れたのだ。
 最近、その手のハッカー集団が世間を騒がせているらしい。まぁ、私のような豆でコーヒーを造る人種からすれば、よく分からない話だ。
 そういう意味では、彼等のような人間こそ、私のような人間・・・・・・誇張された「強さ」を暇つぶし感覚で剥ぎ取ってしまえる人間は、天敵なのかもしれない。
 私からすれば、そんな強さは無いも同義だ。
 だが、世界のデジタル化によって、国家ですらそういう「ありもしない強さ」に頼るようになってしまった。
 そしてその「ありもしない権威」こそが、人類社会では本物だ・・・・・・この世界には「運命」は無く、ただその「権威みたいなもの」が有るか無いか、それが金の有る無しに繋がり、それこそが唯一絶対の力と成っている。
 成り果てていると言うべきか。
 いずれにせよ、目の前の青年は、そういう環境に満たされただけの人間だ。借り物の意志に借り物の言葉、そして中身のない人間性。
 実につまらない。
 人間は、ここまで小さくなったのか。
「? どうした? 俺の顔に何かついてるか?」「いや、つまらないなと、そう思っただけだ」
 はたして、この世界には、見えない何かが居たりして、善行を行えば何か良いことがあり、悪行を行えば、それに見合った罰があるのだろうか? もし、あるのなら、目の前の青年は、善行、とも言えない自己満足だが、見返りみたいなモノを手にするのだろうか・・・・・・。
 私はそういう存在を信じていない。
 私は、あらゆる信念の結果、執念、虚仮の一念の結果、何一つ手にしなかった。善行だとか、そう言った類も試したことはあるが、それで人生が救われたことは一度もない。
 神がいるとして、先人が行いを裁いているのだとしても、私の執念は、信念は、意志は、彼等にとっては「見えていないモノ」でしかないのだ。 見えていないから、返ることもない。
 私が許せないのは、そのくせ、この世界という奴は「倫理観みたいなもの」を意志付ける傾向があるからだ。「正しい信念には正しい結果が」という奴だ。馬鹿馬鹿しい。そんなモノがあるのなら、苦労はしない。
 信念を持ったこともない人間が
 信念があれば成功すると、語るのだ
 これで世界を信じろと言う方が間違っている。 だから私はこう考える。
 仮に神や先人がいたとして、行いを裁くのだとしても、金に目がくらんだ政治家くらい、見る目がないから無駄でしかない、と。
 そんなモノは、人間と同じで、欲望から発生する「道徳みたいなもの」でしか無く、裁きをおそれる人間は、信念を持ったことがないのだと。
 そんなモノが居たところで、やはり元は「人間」でしかないのだ。人間であるのならば、崇高な信念に相応しい結果を、出せない方が、欲の皮を突っ張らせて、助けるのが楽な人間を助ける方が、よほどらしいではないか。
 苦しんでいる人間を助けるのには、手間がかかるだろうからな。
 もし仮に・・・・・・だが、神や先人がいたとして、そんな綺麗事をを抜かす大馬鹿ならば、顔の形が変わるまで殴るだろう。それに暴力で返されるならば、やはり底の知れる存在でしかないし、言い訳をしたところで、やはり底の知れる存在だ。
 敬うには値しない。
 権威だけ合る人間と、なんら変わるまい。
「俺って、そんなにつまらないかな」
 青年は言う・・・・・・小綺麗な青年は。
 小綺麗な倫理観に、身を包んだ存在とは、こうも醜悪に写るものかと、感心するくらいに。
 この世にもあの世にも、善悪など無い。
 あるのは自己満足だけだ・・・・・・そこに「道義的に正しいから」と、つまらない自分達の「良い行いをしているから」という後付け無くしては行動すら出来ない人種が、「正義みたいなもの」を振りかざして、暴力で奪うのだ。
 あの世があったところで、それは大して変わるまい。
 だから、私は、善行の胡散臭さが、大嫌いだ。
 君は人殺に対して罪悪を感じるか?

 全ての人間共、いや読者共に問いただしていきたいモノだ、無論私はどうも思わない。生物が生物を殺すことなど不自然ではないし、そうでなくても自分に関係ない誰かが死んだところで、罪悪感など嘘くさいに藻ほどがある。
 倫理観だとか、道徳観だとか、そう言ったモノに従って生きている人間の、言い訳だ。
 無論私だって気にはする・・・・・・所謂「因果応報みたいな何か」で、よく分からない理不尽な天罰とか降りたりしないだろうなとか。
 まぁ、人を助けたところで何一つそういう類のことはなく、私の人生は相も変わらず「地獄とどちらがマシかいい勝負」な内容だ。マシだからって地獄に行きたいわけでは決してないが。
 とにかく、だ。
 善行に対して、あるいは人の信念に対して「因果応報」みたいなものが無い以上、忠則夫人こそが世界の本質である以上、もしそういう天罰もどきがあるのだとすれば、それは神様みたいな存在がいたとして、その存在が身勝手に行動して下らない自己満足の道徳感情を、無理矢理暴力で押し付けているだけに過ぎまい。
 人間社会の横暴と、なんら変わるまい。
 そんな存在があるのなら、そもそも善行を積もうが人殺を控えようが、結局無駄ではないか・・・・・・・・・・・・まぁ、私の場合、ただ単に自分以外はどうでもいいだけだが。
 自分以外は。
 しかし、自身を大切にする、というのも、私のような人間が唱えると、空しいものだ。
 さて、何が言いたいのかと言えば、そうそう、この目の前の青年は「倫理観」それも自分の作り上げた正しさの中で・・・・・・殺している。
 仕方が無く。
 誰かのために。
 殺す度に、理不尽から人々が解放されることを信じている。
 笑い物としては、そこそこ合格だ。
 そも、命が平等ならば殺戮者のテロリストであろうが人道に厚い聖職者であろうが、同じはずではないか・・・・・・「尊い命」と「尊くない命」を作り出しておきながら、「人殺しは悪いこと」で「死んだ方がいい人間もいる」と、彼等は言う。 そんな自分勝手が通るとは、羨ましい。
 神も聖職者も、「文明人」も、それを通す暴力さえあればなんでも通るというのだから、無力な私からすれば、「正しさ」を押し通せる存在というのは、何も考えなくても生きていけるし、自身の正しさを盲信していればいいわけだから、心の底からそう思う。
 楽そうで羨ましい。
 暇そうで羨ましい。
 神も聖職者も、文明人ですら、そう思える。
 本当に、楽そうで羨ましい限りだ。
 私も楽に生きたいからな。
 作家などと言う生き方を選んでいる以上、貴様は人間を愛しているのではないのかと言が飛んできそうだが、おうとも、私は人間賛歌を愛し、人間の意志の強さを愛し、人間の信念を愛しているかもしれない。だが、この現実にその強さを持つ人間の、なんと少ないことか。
 この世界に人間はいないのではないかと、錯覚するくらいに、科学が進めば進むほど、人間の器は小さく閉じ、つまらなくなったものだ。
 世界の大きさは、個々人の大きさだというのに・・・・・・物理的なモノにこだわりを魅せるのはいいが、それでは精神は成長すまい。
 幼い精神に高潔さはない。
 要はつまらない人間だってことだ。

 ふと思ったことがある。
 私は今まで、「運命」に「勝利」するために生きてきて、行動してきた。だが、もしかすると、それがいけなかったのだろうか?

 勝利するためではなく 

 敗北しないために戦うべきなのか?

 理想論だ。運命に敗北しないために戦い続けるなど・・・・・・そんな生き方が認められてたまるか。 と、思うと同時に、いままで歩んできた長い長い回り道、その旅路はそう在ったように、思えなくもない。
 だからといって納得はしないが。
 綺麗事で納得はしない。
 私は結果が欲しい・・・・・・自身のこの在り方が嘘八百であることくらいは、承知している。しかし結果も、金も伴わずに、負けていないから納得しろ、などと、憤慨するほか在るまい。
 だが、もしそうならば。
 結局のところ、この精悍な目つきの青年の在り方の方が、結果を得た人間よりも「幸せ」になれるのだろうか? だとしても、私は「幸せ」に決して成れないことを自覚しているし、しているからこそ「結果」「金」を求めているのだが・・・・・・・・・・・・ああ忌々しい。
 神とやらがいたならば、問いただしてやりたいところだ。
 いったい何を考えて私を創ったのかってな。
 ま、どうせ手違いとか忘れたとか、言いそうなものだが・・・・・・間違いの人違いで天罰を落とすような連中だ。人間のお役所仕事と、やっていることは案外、同じかもしれない。
「どうしました?」
「いや、何でもない」
 言って、私はテーブルに運ばれてきたコーヒーを口に含んだ。
 美味い。
 気分が最悪でも、コーヒーの味は不変だ。だからいつも重宝する。
 全く、生きると言うことも、苦々しくてやっていられないから、少しはミルクを混ぜて欲しいものだと、最近強く思う。
「ところで、そんなふつうの倫理観を持つお前からすれば、今回の依頼は「道徳」みたいなモノに障ったりしないのかな」
「道徳、ですか。しかし、これは」
 言って、資料を取り出して、読み始めた。
 読んだところで内容が変わるわけでも、無いだろうに、神妙に。
「これは、本当に」
「ああ、今回の標的は、ただの当たり障り無い一般人だよ」
「けれど」
 言って、資料を私の目線で読めるように、反転して差し出した。
「これは、この死人の数は、異常ですよ」
 そう。
 今回の標的は普通の人間だ。
 およそ関わった人間の大半が、死滅しているところ以外は。
 確かにそこにある異端・・・・・・確かに世界に存在する「外れた」人間。
 それはあの教授を彷彿とさせる。
 噛み合わない。
 混ざりあえない。
 理解されない。
 狂った破壊者。
 いずれにせよ、金になるなら始末するだけだが・・・・・・単純な暴力で、本物の「悪」は決して倒すことは不可能だ。私が言うんだ間違いない。
 だから、この物語には、死人の数がやたらめたら多いのだった。

   3

 廃墟、いや更地と言うべきか。
 ズッコケ三人組はただ一人の人間を始末するという、比較的楽でわかりやすいお仕事を受けてはいたのだが、ついぞ達成されることはなかった。 他は死んだからな。
 惑星に降り立った矢先、襲撃があった。あの青年に関して言えば、撃たれたと認識する暇もなかっただろうから、いつの間にか天国へ送り込まれたに違いない。
 大男の方は、勇敢に戦った・・・・・・と言ってやりたかったが、すぐに死んだ。大体が、最新型の戦闘用アンドロイドに、かなうはずもない。
 だから死んだ。
 まぁ、人間が死ぬなど良くあることだ。驚嘆には値しない。それが私に関係ない人間で在れば、尚更知ったことではない。
 問題は、そう、私の保身である。
 命辛々で逃げはしたが、戦えば「サムライ」としての特性で始末できるだろうが、私は絶対にしたくなかった。そもそも、あくまでも私はずば抜けた戦闘能力を「持っている」だけであって、別段戦う人間ではない。
 戦いに勝つのは簡単だ。
 しかし、戦うことは疲れる。
 相手が何であれ、私は「勝てる」が、勝ったところで、実利が得られるかはまた、別の話だ。
 いずれにせよ、寿命がかかっている以上、ある程度は戦果を出さねば成るまい。ある程度出すだけだして報酬を貰えればそれでいい。しかし、いい加減寿命を出しに良いように使われている現状を、何とかした方がいいのだろうか・・・・・・?
 「あの世」があったとして「天国」があるのならば、今までの寄付金額からして、神様とやらには結構な金を支払っている。待遇としては当然のはずだろう。
 仮に天国を見て、行ったところで・・・・・・そこでもまた本を読んで本を書き、作家の真似事を続けるのだろうか・・・・・・売れなければ作家ではない。金の概念がないあの世ならば、作家など必要すらあるまい。
 物語など、替えは効く。
 全てが充足する世界で、作家など、何をすれば良いと言うのだ・・・・・・やはり、私自身が「心」とやらを入れ忘れた「失敗作」である以上、もがいても意味はないのだろうか?
 とりあえず、飯でも食べてから考えよう。
 何事も食事あってこそだ。
 そう思い、私は現地のホテルへ赴き、今後の情報収集や、準備を整えることにした。
 チェックインを済ませ、ホテルに入った。
 とはいえ、状況は向こうも同じだろう。
 標的の詳しい素性を調べる前に襲撃を受けたから、私と標的の間には、現状、何の「縁」もないはずだ・・・・・・だが、逆に言えばお互いに姿が見えない状況で、ボクシングをするようなものか。
 考える。
 考える。
 食事をしながら・・・・・・ビュッフェ形式なのに何故か寿司が握られていたので、それをシャリ少な目で頂いて、ネタだけ食べながら考える。
 強さと弱さは表裏一体だとよく言われるが、私の場合はそもそもどちらも持ち合わせてはいない・・・・・・そんな便利なモノを片方でも持っていれば苦労はしない。
 コインのように裏表のある強さと弱さならば、私はコインそのものを保有していないのだ・・・・・・だから借り物の戦力と、金の力を借りなければならない。
 それはいい。
 楽だしな。
 いずれにせよ戦う人間でない以上、真正面から挑んで勝てたとして、疲れるだけだ。ここは情報を収集し、第六感でアテを付けてから行動することにしよう。
 城ヶ崎武彦。
 人為的なカリスマの製造に着手し、最近大きな成果を上げている研究者・・・・・・38才、妻は二人おり、子供は7人、デザイナーズベイビーが96人いる。子供の半数は既に死んでいるが、生き残りは現在も優秀な研究者助手として働いているらしいが・・・・・・ただの研究者が、何故戦闘用アンドロイドなんて持っているのだ。
 金か?
 まぁ、そうだろうな。
 金があれば、この宇宙で手に入らないモノはなくなっている。「真実の愛」ですら、自身を愛する人間性を0から構築させ、アンドロイドか、人間かのどちらかを、法規制のない惑星で何もないところから作り上げられる時代だ。愛とは求めるもの・・・・・・ただし、恋と同じく自身にとって都合の良いモノを、だが。
 都合は金で買える。
 だから驚嘆には値しない。 
 とはいえ、こちらの思考を読まれたのは、気になる噺だ。
 元々、この惑星には情報収集のために寄っただけだが、それを、その行動を読まれていたことになる。いくら情報収集力があろうが、まだ行動を起こしてもいない始末屋集団を、こうもあっさりと封殺するとは・・・・・・悪魔みたいな手を打ってくる奴だ。
 いつぞやの教授を思い出す。
 気まぐれで世界を破滅させられる人間。
 一緒にされたくない人種だ。
 私は世界の構造について考える。権力は財力に強く、財力は暴力に強く、暴力は権力に強い・・・・・・それが世界の基本使用だ。だが、
 おそらく、今回の相手はその埒外だ。
 私と同じかは分からないが、外れた道の外側にいる人間であることは、確かなようだ。
 いずれにせよビュッフェを楽しみつつ考えるとしよう。あまり考えすぎても、何が解決するわけでもないしな。
 私は金が好きだ。
 こうして美味いモノを食べることが出来るからな・・・・・・しかし人間とは不思議なもので、いやあるいは我が儘なものでというべきか、度を超した金を手に入れて、経済的な自由を勝ち取ったら勝ち取ったらで、「やることがなくて暇」と言い出す生き物なのだ。
 労働に縛られて、思考放棄を止めたかと思えばこの様だ・・・・・・つくづく度し難い奴らだ。
 生き甲斐。
 やりがい。
 あるいは、「業」とでも言うべきか。
 最近の人間は、いや、テクノロジーが進歩するにつれて、利便性の代わりに人々はそういう「人間賛歌の源泉」を失っていった。私のように、「自身の生きる道」を明確に決めている人間は、大昔から少数派に成りつつあった。
 実際まれではあるだろう。
 私のような人間は、いや、「業」を背負った人間というモノは、生き方を曲げられないのだ。恐らく世界中の富を独占すれば、私はそれなりに満足できるのだろうが、しかし最早私自身の意志すらも関係なく、私は作家足り得るのだ。
 私は私であると同時に、「作家」という生き物なのだ。恐らくは、他の道のプロも、似たようなものだろう。
 引退、出来ないのだ。
 止めることが、出来ない。
 そう言う不器用な生き方しか選べない「人間」を「プロフェッショナル」と呼ぶのだろう。
 とはいえ、私が違うところは、その「自身の歩くべき道」の為に、己の幸福を台無しにするつもりはないのだと言うところだ。だからこそ金、豊かさを根こそぎ手に入れ、生き方のために幸福を置き去りにするつもりは一切無い。
 「幸福」に「生きる」
 単純だが、それが全てだ。
 金はあるに越したことはない・・・・・・無論、m本質的に金というモノはどれだけ、仮にこの瞬間にこの世全ての富を手にしたところで、何の意味もないと言うことは、理解している。
 どれだけ銀行に金を預けようが、極論銀行が潰れれば、あるいは事業が頓挫すれば終わる。
 安心したい、という人間の心を、わかりやすく満たしてくれているだけだ。金で幸福は買えないし、それは心理学的にも証明されている。
 考えるまでもなく、当然といえば当然だ。
 幸福など、脳内で起こるモノにすぎん。
 だからといって金が不必要というわけでは無いがな・・・・・・少なくとも、私にとっては。
 作家としての、いやプロにとっては、金の多寡は勲章みたいなものでしかない。とはいえ、私は幸福に生きることを目標としている以上、金は結局のところ当人を写す鏡でしか無く、集めたところで人望とは関係ないし、人間的に成長するわけでもないし、あるから立派って訳でもないという「事実」を踏まえた上で、手に入れる。
 それでこそ、「勝った」と言えるものだ。
 「運命」を「克服」したと。
 私は言い張るために、必ず手に入れる。
 金を、そして。
 金以上のモノも、全て。
 それでこそ、邪道作家ここにありと、高く笑うことが出来ると言うものだ・・・・・・この世に神がいたとして、「ざまあみろ」と、貴様等の失敗は、その成れの果ては「人間としての幸福」を掴んでやったのだ、と。
 真実の幸福が愛だったとして、それが私の手に入らないものならば、尚更だ。
 心、とか。
 人間らしさ、だとか。
 人並みのモノを、その幸福を「理解」できても「感じ取れない」私からすれば、手に入らないならそれに見合うモノを、と考えるのは当然だが。 それで幸福になれなくても。
 そも、幸福になるために必要な権利・・・・・・その幸福を感じ取る「心」が私にないのだとすれば、いずれにしても選択肢はあるまい。
 人間らしくないならば、人間らしくない方法で勝利し、幸福だ、と言い張る。
 出来ることはそれくらいだ。
 悪である、私には。
 思うのだが、私がこういう「人間」に成ることは、「運命」とやらで、「神みたいなもの」にあらかじめ定められていたのだろうか?
 それは笑えない想像だった。
 あらかじめ運命が「決定」されているならば、結局のところ「運命の内容」こそがすべではないのか、という考え。昔からある考えだ。
 もし、もし仮にだ。
 私はどう足掻いても、金を手にしてさらに進んでも、結局のところ「愛」だとか「友情」だとか言った、「真実の幸福」は手に出来ない、というのならば・・・・・・尚更金以外に、何を求めろと言うのだろうか?
 分からない。
 本当に、分からなかった。
 私はテーブルについて、食べることにとりあえず、集中することにした。
 心が無いということ。
 私はそれに対して不満だとか、被害者意識だとかを感じるほど、暇ではない。
 問題は、見合うモノが手に入るかである。
 無いことに対して見合うモノ、つまり金だ。
 とりあえずは、美味いランチを食べれるので良しとしておいてやるか・・・・・・まぁ、心が無いというのはそれはそれで便利なものだ。一流のプロというのは「心を消して」行うからこそ、最上の行動、結果を出せる生き物だ、。私の場合、本来それに見合う、心を完全に消すため必要な長い長い時間・・・・・・研磨に必要な年月を、産まれたときから省いて、楽をしているのだから。
 問題はそれで金になるかだが。
 そう言う意味では、まだ見合うものは取れてはいない。今はまだ、だが。
 心が無いことのメリットは、他にもある・・・・・・下らない道徳に縛られないというのは当然だが、心みたいなもの、を掲げてその弱さに目を向けない人間であれば、能力の多寡に関わらず「支配」出来るという点だ。無論、死宇部手が全てではないし、支配しようとすることなど希ではあるが、そうでなくとも人間の「心」を客観的に見ることが出来れば、大抵の人間の「底」は、所見でおおよそは理解できる。
 どういう人間か。
 何が劣等感か。
 自身に対する評価はどうか。
 思考回路の基本はどうなっているか。
 人として足りていない部分はどこか。
 当人の気付いていない、触れられたくもない心の弱点は、何か。
 全て分かる。
 造作もなく。
 暇つぶしのような感覚で、当人が一生気付かない、あるいは気付きたくもない心の闇、それらを暴いて晒し出せる。
 だからこその、作家だ。
 私は邪道だが。
 肉を口に放り込みながら考える・・・・・・どうやら食事中に考えるのは良くないことではあるが、作家としての性は、それを許してはくれないらしいということが、分かった。
 さて、本題だ。
 今回の依頼、に「敵対者」がいるとして、その目的は、いったいなんだろう?
 見当もつかないと言うのが、正直なところだ・・・・・・わざわざあの二人を、それもあんな金のかかる兵器を運用してまで、「始末」する。自衛のためだけだというならば、割に合わない・・・・・・何か、他の目的があるとしか。
 だとすれば。
 だとすれば、それはきっと「教授」と同じく自身への利益、返るモノを度外視した、恐るべき願いであることは間違いない・・・・・・何一つ自身に返る利益が無いというのに、「歴史」を「改竄」しようとした教授と、同じ。
 人間の身の丈を越えた在り方だろう。
 まぁ、珍しくもあるまい。
 人間とは、そう言うものだ。
 敵対者のプロフィールを、改めて調べておくことにしよう・・・・・・。
 心ない人間にも、種類がある。
 心はないが、家族を得、集団で生活する奴もいる。まぁ、大抵は馴染めず、思い出として考えるくらいのモノだろうが。開き直って、すがすがしいくらい己の業に忠実に、そう言う奴は生きていくのだろう。
 多くの人間に助けられ、自身を罪悪だと考えながら、その罪悪を振り払おうとすらせずに、あれこれ世話を焼かれ、それでいてそのことそのものに罪悪や、自分では混ざれないと、自己嫌悪に陥る奴もいる。
 翻って、私はどうか。
 家族というモノを、全く必要とせず、必要としたところで価値を見いださず、それでいて人に支えられることもなく、自身が罪悪だと悪びれもせず、それでいて善も悪も実に等価だ。
 考えれば、不思議なものだ。
 苦しいときに誰かが助けることを「都合がいい噺だ」という人間は大勢いるが、しかし「全てのケースで誰にも、全く手をさしのべられない」というのは、ある意味、異質だ。
 度が過ぎている。
 別に助けられたいわけでもなく、実利があれば他は、というか「過程にある人間の意志」などどうでもいいが(作家の台詞とは思えないが、とにかくそうだ)だからといって、正直異常だ。
 心を持たず。
 家族も持たず。
 誰にも支えられず。
 無論、生きている以上血縁者はいるだろうが、血が繋がっているから「家族」だというなら人類皆家族ではないか、馬鹿馬鹿しい。
 かといって、不思議と、私は誰かに「好意」を向けられたことも、一切無い。「悪意」は山ほど向けられたが、それにしたって今に思えば「私という存在に対して、何処か怯えていたのではないだろうか?」と、思わざるをえない。
 まぁどうでもいい。
 そんなのは、どうでもいいことだ。
 過去が悲惨の一言につきるというならば、それに見合う金を、まぁ手にしていないわけだが、何が言いたいかと言えば、そう、そういう「例外の中の例外」が相手なら、実に厄介だと、そう言いたかったのだ。
 資料をめくりながら考える。
 もし、私と同じような「人間」だとすれば、実に厄介だ・・・・・・掲げている「目的」すら究極的にはどうでもいいくせに、そのために手段を厭わず立ち止まらず、暇つぶし感覚で「最悪の手」を平気で打ってくる・・・・・・大袈裟かもしれないが。
 少なくとも容赦も優しさも一切無く、人間らしい弱点など、望めないことは確かだろう。
 コーヒーを口に含み、資料をめくった。
 そこには。
「お疲れさまです」
 かしましい娘が、一人。
 女子高生姿のその女は、知ったように言うのだった。
「相変わらず、ですねぇ。サムライ作家さん」
 あ、私はコーヒーとケーキでいいですよ、と図々しくも前に座り、私を見据えるのだった。




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