ふあんな気持ちを、ひらがなにして。
大人になると不安ってすっかり消える
ものだと思っていた子供時代。
おとなになれば、おとなになればって
小さい頃想っていた。
学校にも行かなくていいし、門限もなくなるし
もっと自由になれるって。
困ったことに出会うのはいつもこども
だけだと。
あきれるほどばかだなって思うけど。
今日はちょっとこんな絵本を読んでいた。
ラッタとチモとアルノー。
3匹のあまがえるのともだちだ。
かくれんぼが好きで遊んでいたら
ラッタの身体の色が変わってしまって
どうしようっておろおろする彼らに
とっての事件が起きてしまう。
このお話を読んでいてはじめて仕事に
就いた頃の事を想いだしていた。
好きな世界だと思ってとびこんで
みたら、じぶんが想っていた世界とは
色がそしてカタチが想像していたものとは
違っていた。
働き始めの頃って必ずそういう悩みに
苛まれる。
わたしが入社した広告のプロダクションは
5名のちいさな会社だった。
引っ込み思案で、面接にこぎつけるまでの
勇気がなかった時に、つきあっていた彼が
そこをみつけてきてくれた。
会社の社長洋子さんと知り合いだったのだ。
面接で何をしゃべったのかなんて覚えて
いないけど。
とりあえず受かって新米のコピーライターに
なった。
名刺もフルネームがひらがなになって
ちがう自分になったみたいだった。
そういう雰囲気だからと洋子さんに
言われた。
小さな会社というのは猫の手も借りたい
ぐらいだから、現場に駆り出される。
初日だけはチーフのみゆきさんの仕事
ぶりを横でみつめていた。
盗んで覚えろ式で、次の回からはひとりきりで
いきなりお店のインタビューを任された。
アポどりもひとり。
電話で人と話すことが苦手だったわたしは
それにも四苦八苦だった。
そして文章のスキルもなにもない状態で
お店の紹介文を書くものだから毎回
赤が入って原稿が戻って来た。
めげそうなときばかりだったけど
少し先輩のすーちゃんは、いつもだめな
わたしの味方になってくれた。
すーちゃんは取材が上手だった。
人懐っこい彼女はいつも取材先で
叱られてもけろっとした感じで
夜中、原稿を書いていた。
くらいついているって表現が
ぴったりなのにわたしにはぼんちゃんの
ペースでええんやでって言ってくれた。
わたしのペースなんて守っていたら
仕事にならないのに、コンビで組む時も
わたしをひたすら待ってフォローして
くれたのがすーちゃんだった。
そして、後に会社をやめた。
心がしゃがんだままでやめてしまう前に
洋子さんのお宅におじゃまして話をした。
辞めることを告げた時もしゃーないなって
言って、手作りラーメンをごちそうして
くれた。
その時、あのひらがなの名刺をだして
きて、洋子さんは言った。
洋子さんが会社を去る前にわたしに
言ってくれた言葉だった。
困ったらひらがなにして落ち着いてみる。
それはわたしの中でずっと生きている。
フリーになってから、社長の洋子さんから
ある日、声がかかった。
てんてこまいやから手伝ってくれへん? って。
ハスキーな洋子さんの声が懐かしかった。
かつて、わたしが通っていた事務所は
ほとんどそのままで。
叱られながら、徹夜しながら書き上げた
お店の取材原稿のあれや
これやが思い浮かんでくるようだった。
そこにはすーちゃんもいて、一緒に
懐かしい日々の再放送をみているかの
ように、久しぶりに共にコピーを書いた。
この絵本では、
3匹のあまがえるたちが迎えた困難。
それは、鳥たちや動物たち天敵から
身を護る術だけど。
ラッタが困ってる時に、チモとアルノーが
不安と困難を乗り越えるために見捨てずに
共にいて共に行動していた。
絵本をよみながら、わたしがラッタだとして。
わたしにとってのチモやルアノーがいて
くれたから今のわたしがいるんだなって
思うことがある。
それはかつて付き合っていた彼であり、
わたしを拾ってくれた社長の洋子さんであり
大丈夫やで落ち着いてって声をかけてくれた
すーちゃんであり、びしびし叱ってくれた
みゆきさん。
ほんとうは、またいつか彼女たちと一緒に
仕事がしてみたい。
この素敵な絵本『あまがえるのかくれんぼ』の
ページをめくりながらそんなことを
少し思い描いていた。
みつけたり 失ったり またみつけてくれたり
誰かが そっとそばにいてくれたから わたしここにいる