Yちゃんと木村拓哉さんと『この道』と。
もういいよ、まぁだだよ、って子供たち。
今もその遊びするんだなって思いながら聞いてる。
きっと、ずっとまぁだだよって言いたくなって、のばしのばしに、いま
いる場所から離れていく。
声がどんどんちいさくなって、目隠ししている人はふあんになってゆく。
っていうのはたぶん。
ちいさいころのじぶんの記憶かもしれないけれど。
もういいよってじぶんは思っても、たぶん大事なひとにはもういいよって思ってほしくないんだろうなって、思ってみたり。
もういいよ、まぁだだよって。
よくよく考えてみると、いろんなものが
つまった、ことばだと思う。
もういいよって、ほんとうはなにがいいだろうって。
まぁだだよだって、なにがまだなのか。
子供がなにげなく遊んでいる時のむかしからの遊びの言葉って、すこしだけ遠くてこわい。
そこにはちゃんと待ってくれている人が
いるっていうことの証だから。
もういいよのあと、まぁだだよが、聞こえなくなったとき、突然の雷みたいにおそろしくなるんだと思う。
いつだったか。
すっごい元気で溌剌だったYちゃんが、ちょっと心を病んだとき、会って話をしていたら。
むかしのYちゃんじゃなくなっていて。
表情も、
声も
なにかをどこかに忘れてしまっていたみたいだったので。
ほんとうに、心ををいためてしまったんだと、正直おろおろしてしまったけれど。
彼女が二度だけ、いきいきしたのは、
友達のI君のことをあいつ、ほんとばかだよねって嬉しそうに話しする時と、主治医のカウンセラーの先生に今から会いに行くのって言った時の顔だけだった。
すごくすてきな場所に行くようなそんな感じで、表情がふわっとほころだ。
そんなにうれしいんだな、ある意味今こうして、お茶している時よりもって、落ち込んだけれど。
よくよく考えてみたら、いま彼女はただそういう季節を生きているのだから、むかし知っている彼女を懐かしがってはいけないのだと、じぶんに言い聞かせた。
帰り際にYちゃんがぽつりと言った。
彼女はすごい活字中毒のようなところがあって、いつもそこに埋没している
ような女の子だった。
童謡の「この道はいつか来た道」って知ってる?
ってわたしに問いかけた。すっごい唐突でちょっとたじろいだ。
Yちゃんの目はあのキャンパスで、いつもいけすかない奴だよってYちゃんが思った相手とは、積極的に口論していたあのいきいきとした、表情にすこし近かった。
でもさびしいぐらいに、やわらかい表情で聞いてくる。
「この道」ってさ、
<この道はいつか来た道>ってはじまりで、その次の歌詞が、
<ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる>
って終わるんだよ。
わたしは彼女が何を言いたいのかわからなくて、ただなにが展開されるのやらわからずに、ただうんって聞いていた。
おかしいっていうか、不思議じゃない?
って挑むように問いかけられたけど、わたしはYちゃんの眼の奥に映ってる店のライティングの灯りのきらきらをみながら、なにかおかしいかな、え?
って、ちょっとYちゃんが、機嫌を損なわないかふあんになりながら、わからないと
答えた。
あの歌って、ちゃんと対になってるやん。
あの歌詞の中にさ、あなたとわたしがいるでしょ。つまり、一人が問いかけたら、
ああそうだよっていうやん。
え? ちょっと待ってよ。もう一回初めから。って言いながらわたしは
店の邪魔にならないように小さい声で歌いながら、歌詞をなぞってみた。
♬このみちはいつかきたみち ああそうだよ あかしやのはながさいてる♬
そうか、そうか。あの歌詞ってそういえば、ひとりの問いかけに誰かが答えてる。
この歌詞の中にはだれか、ふたりがいる。
もしかしたら、ふたり以上かもしれない。
そういうことかって。
やっとYちゃんの言っている意味が腑に
落ちて、
Yちゃんすごいね!発見したの?
って興奮ぎみに聞いたら、
ぼんちゃんちげーよ、ちっちっちって口を鳴らして、わたしのあだ名を呼びながら、その頃流行っていた木村拓哉の真似をして答えてくれた。
わたしはちょっとノリがよくなっているYちゃんに、希望の光が差しているような気がして、それだけでうれしかったんだけど。
<言葉が対になってるって、なんか関係性が生まれる。そこがいいよねって、わたしの好きな福岡伸一さんが言っていたんだよ、受け売りだよ>
って笑った。
Yちゃんは福岡伸一さんのファンだった。
Yちゃんが笑っているからそれだけでわたしはよかったけれど。
彼女は、二重螺旋の話をしたりDNAがどうのこうのって話はじめて、これは止まらないなって思ってたら、
ちょっと息を吐きながら
<重要なものってみんな対になっているらしいんだよ。すごく気になる言葉だなって、そのことを眠らないでずっと考えたくなるよ>
そして、その話を終えた後、
Yちゃんの瞳に映り込んでいたあのライティングのキラキラは光線のアングルのせいか、消えていた。
そして。
あ、約束の時間なんだ
ってカウンセリングの先生に会いに行くんだよってわたしに念押しするように振り返りながら言った。
うれしそうだねってわたしが言ったら、
うん、話聞いてもらうだけでうれしいんだってふたたびYちゃんの瞳は輝きだしていた。
あの日、あの時。
あれ以来Yちゃんとはもう会わなくなって長いけれど、今は元気だといいなって思う。
どこでもリーダーシップをとっていたあの頃のYちゃんはいるかもしれないし、いないかもしれないけれど。
今頃になってYちゃんが教えてくれた、
北原白秋の「この道」の話を思い出し
たりする。
大切ななものは、すべて対であるという
あの話。
少し無理をして、元気なふりをして話してくれたのかもしれない。
そんなYちゃんのやさしさに、わたしはずっと後になって気づいた。
あれからわたしも、対であることの可能性をじっと見ていた気がする。
今はもう若くないからそんなことに夢や憧れはないけれど。
幼い頃のじぶんと今は、どこかで対なのかもしれないって思ったりする。
Yちゃんが、どこかでほんとうに心の底から笑ってるといいなって思う。
そしていまはいまで、いい季節の中を生きているといいなって思ったりするこの頃です
【短歌】
あかしあの あのみちのかど 記憶のしっぽ
問いかけが たたずんでいる 夕暮れ時は