長女3歳、次女1歳、妻が鬱病を発症。 実家で療養していたが18日振りに帰って来て、4人家族に戻った。 妻は帰ってきたけれど育児家事は全くしなかったので、子供たち含め前述した以下のような生活スタイルは何も変わらなかった。 3:00 起床→洗濯機を回し、前日の洗濯物を畳む、保育園の持ち物を用意 洗濯物干す、風呂洗う 4:20 朝ごはん作る、夜ごはん作る 6:00 子供達を起こしてトイレ、着替え、朝ごはん、保育園ノート 7:00 登園、仕事出社 16:00 仕事退社
長女3歳、次女1歳、妻が鬱病を発症。 実家で療養していたが18日振りに帰って来て、4人家族に戻った。 妻が帰ってきたものの… 次女1歳3か月は寄り付かない。 妻が自分の膝に手繰り寄せるもスルスルと逃げていく。 泣き叫ぶことはしないけれど、淡々と、しれっと逃げていく。 近所の公園で遊んだ帰り道で、妻が次女の手を繋ごうとするも振り払われ… ささいな事で妻は子に怒鳴り散らし、更に嫌われ… 結局妻は一人でボーっとし、子供2人はパパの膝の上だ。 やっぱり、妻が帰ってきたものの日
長女3歳、次女1歳、妻が鬱病を発症。 実家で療養していたが18日振りに帰って来て、4人家族に戻った。 妻が帰ってきたものの… 絵本を読む時は2人とも俺の膝の上。左ひざに長女、右ひざに次女。 3歳と1歳と言えど、2人抱えるとギチギチだ。 妻はボーっとしている。 お風呂も変わらず2人ともパパと入る。 ご飯も2人ともパパの膝の上。 寝る時も変わらず、パパを中心に漢字の「小」の字で、両脇に子を抱えた形。 妻が帰ってきたものの、日常は全くと言って良いほど変わらなかった。
長女がついに「母親に会いたい」と泣き出して、次の日には会いに行くことを約束して、眠りについた後。 二人が眠ったことを確認してから起きだした俺は、妻へ「明日ほんの少しの間で良いから、子供に顔を見せてやってほしい」とLINEを入れる。 続けて上司に「明日有給にさせてほしい」旨の連絡を入れておいた。 20時過ぎには布団に入り21時前には寝ていたので、この時間での連絡でもギリセーフだろう。 次の日、道中ホットモットでドラえもん弁当を購入し、妻の実家近くの公園で待ち合わせにした。
保育園の先生から「園でお母さんの話を全くしないんです。なにか溜め込んでいなければ良いけど…」と言われた、その日の夜。 いつも通り仕事の後に保育園に迎えに行く。 長女も次女も変わりはないように見えた。 いつも通りお風呂に入ってご飯を食べて布団に入った。 いつも通り、漢字の「小」のように、両脇に子二人を抱えた形だ。 「オヤスミ~」と声を掛けた数分後…ポソッと長女がつぶやいた。 「…母さんに会いたい…」消え入るような声だったが、直後に堤防が決壊したかのように、手足をバタつか
新型コロナになったり、インフルエンザになったり、仕事が忙しくなったりと更新がすっかり途絶えてしまった。またチョコチョコ更新していきたい。 さて、更新を再開するにあたり、改めて今までの流れをおさらいしておきたい。環境としてはプロフに記載の通り、小学生の二児の父だ。 子二人が幼児の時に妻が鬱になり実家へ帰る。 シングルファザーの生活となり育児を楽しみながらも、義実家から鬱の原因として責め苦を受け、実家の親は頼れず、隣家は変人、、、と嫌な出来事が重なって起こったところまで振り返っ
子供2人、3人で住んでいた頃。 俺は一人暮らしが長かったので家事が得意だ。 オマケに子供と遊ぶのにも才能があったらしい。ワンオペでも全然楽しかった。 けど、毎回悲しくなることがある。 ♪掃除も完璧! ♪料理も完璧! ♪何故にボロ負けよ、カップ麺〜 繰繰れコックリさん、さながら。 どれだけ手をこんで作った料理よりもアンパンマンラーメンには負けるのです。 天から「自己評価が高すぎるのです」と聞こえてきそうだ…。
子供2人、3人で住んでいた頃。 子供を両脇に抱えて、漢字でいうと「小」みたいな寝方で消灯。 子供達はスヤスヤ…寝顔を愛でながらも、目を瞑ると悶々と浮かび上がる。 隣のBBAの「窓を閉め切れ!」 義父からの「お前のせいだ!」 義母からの「お前のせいだ!」 実母からの「包丁切れない!洗濯干せない!」 映像は繰り返され…全く寝れん! ソッと起き出して、3ヶ月の禁煙を破り、月夜に一服。 義両親は怒りの矛先を探していて、隣人は変人。 妻が鬱、義両親からの文句、隣人か
子供2人、3人で住んでいた頃。 実の両親と仲が良かった訳でもないのだが「妻が鬱になって実家に帰った」事は報告しておいた。 「次の日、都内で見たい個展があるから、ついでに」という理由で平日に母が訪ねてきた。 一泊して次の日の朝から都内に向かうと。 (ウチは神奈川、実家は静岡) 次の日の早朝。 俺がご飯作ってる間に、洗濯物干すのを手伝ってくれたり、作り置きの保存のきくオカズを作ってくれたりした。 俺が仕事から帰ってきたあたりに、個展を見終わったであろう母からメールが
子供2人、3人で住んでいた頃。 平日、保育園から帰ってきた玄関先で隣家のオバはんに話し掛けられた。 「あの〜窓閉め切って生活して下さい」 藪から棒になんだ?と思いつつ「声ですか?」と聞いたら「声って言うか〜ゴニョゴニョ」と何を言っているのかよくわからない。 まぁ音が漏れてたんだろうと思い、にこやかに「わかりました閉めときます」と返事をし、在宅中は閉め切ることにした。 2日後、同じタイミングで話し掛けられた。 「まだ開けてるじゃない!」と。 「家にいる間のうちは閉
子2人、3人で暮らしていた時のこと。 思ったよりも生活は大変じゃなかった。むしろ子供といれて楽しいくらい。 妻は母乳が出なかったのでミルクも積極的に自分があげてたし、オムツもお風呂もそうだ。休みの日のお昼寝や夜の寝かし付けもやってたから延長線上という感じだった。 いきなり男手一つになって子供が懐かない!なんてことはなかったのである。 (あれ?コレ母親いなくても良くね?)と思ってしまった。 というのも、ちゃんと理由がある。 この時点で妻に対し「子供を置いていなくなっ
子2人、3人家族で暮らしていて改めて自覚したことがある。 孔子は「五十にして天命を知る」と説いた。 俺は子供の頃、様々な教師に嫌われていた。素行が悪かったのなら納得も出来るが、新学期早々に嫌われてたりした。昔の教師はよく手を上げていたのでバチバチ叩かれた。 母親にはよく家を追い出された。「橋の下で拾った子、ウチの子じゃないからいらん」とか言って。 兄弟と取っ組み合いの喧嘩をしても、仲裁に入る母親に突き飛ばされるのは決まって俺だった。 父親は基本酔っ払いで、外食するの
ある日、次女が熱を出したから迎えに来てほしいと保育園から連絡あり。すぐに帰宅して、かかりつけの小児科へ。 診断自体はただの風邪だったんだけど、婦長さんから驚愕の事実を知らされる。 「ミカンちゃん最近ウチで予防接種受けてないですが、他所でちゃんと受けてますか?」 「…え、知らない…」 恥ずかしながら、色々と家事育児はしていたつもりだが、予防接種は全く知らなかった。 打たなきゃいけない種類があることも。 打たなきゃいけない時期があることも。 その場で婦長さんに母子手
16:00で仕事をあがり 17:30に保育園にお迎え、朝作っておいた夕飯をチンして 18:30にお風呂 ※洗濯は朝にしてるんだけど、水着だけは毎日使うので風呂上がりに洗って干しておく お風呂から上がってからはマッサージしたりコチョコチョしたりスキンシップをしてから歯磨き。布団に入り絵本を読んで20:00消灯。 この時、自分も一緒に寝てしまう。 「この後、起きてきて家事をしよう」と思っていると、何故か子供達の寝付きが悪くなるのだ。「おやすみ○ジャー」とか使ったけど、
3人家族での生活がスタートした。 まず、最初に子供達に「母さんは病気になって、じぃじとばぁばと一緒に住むことになったよ」と説明。 その後、会社と現場の上司と…初日はとにかく報告・説明に走り回った。 当時の1日の流れはこんな感じ。 am3:00起床→洗濯機を回し、前日の洗濯物を畳む、保育園の持ち物を用意、洗濯物干す、風呂洗う am4:20朝ごはん作る、夜ごはん作る am6:00子供達を起こしてトイレ、着替え、朝ごはん 何をどれだけ食べたかを連絡ノートに記入 am
義父は俺の言い方が癇に障ったのか、ものっそい嫌な顔して無言でタバコ吸いに行きました。「苦虫を噛み潰したよう」という言葉があるが、正にコレ。初めて見た。 なんだか義父がタバコ吸っている間に段々腹が立ってきた。 義母も義父も、全ての根源は俺のように言っているが、毎日ウチに来といて気付けなかったのはお互い様。実母との距離感に悩む項目もメモ書きにはあったのに。 実は鬱と診断される前から妻は体調を微妙に崩しており、毎日朝ごはんの時間に義母が来ていたのだ。役に立っていたのかは知らん