アリ・スミス四季四部作①『秋』
※本投稿は、どの政党を支持するしないと扇動したりするような内容ではありません。
「何を読んでいるのかな?」
スコットランド、インヴァネス出身の作家、アリ・スミスの四季4部作、第一弾の『秋』の中で、老人介護施設で眠り続ける101歳のダニエル・グルックがかつて主人公エリサベス・デマンドにいつも、そう尋ねていた。
英国ポップアートのアーティスト、ポーリーン・ボディのコラージュを見ているかのように1960年代や2000年代を行ったり来たりする物語。作中の老人は落ち葉を揺らす美しい大木であり、その傍らには若木の女の子が力強く前を向いている、そんな感覚を覚えながら本書を読んでいた。
日本国内では参院選が迫っていますが、皆さん何を読んで過ごされていますでしょうか?
4回ほどに分けて、4部作の感想を書いてみたいと思います。
はじめに
国内に広がる分断と格差と参院選と
7月10日の参院選まであと数日。
国内では、与党は労働賃金上げをポイントに、野党は消費税削減をポイントに選挙活動でのアピールをしているかのように見える。
しがない町屋大工さんからしてみると、はっきり言ってどっちも必要である。消費税の使い道を透明にしてほしいし、社会保障もどうしてこうなった状態で削減か値上げ。国政から少し視点を下げて、生活そのものを見ると、インボイスの導入でまた面倒なものが増やされ、児童手当の6月からの所得制限も共働きと専業主婦とでおかしなシステムがあったりする。何のための累進課税なのか。
さまざまな綻びが噴出する中で、目には見えずらい格差や分断が広がる。
国外での格差や分断─英国
視点を国内から国外へ少しずらしてみる。
最近ずっと、エマニュエル・トッド氏やダグラス・マレー氏の欧州事情を論じた本を読むことが多かった。
たまに耳にするEU分断、イギリス分断と言ったような言葉。まさに日本国内そのものを表すような言葉ではないか?
第二次世界大戦後、敗戦国であったはずのドイツと勝戦国であったはずのソ連。アメリカがソ連を敵視したことによって、他国によるドイツのコントロールではなく、米ソの冷戦にフォーカスは移り、ドイツはヨーロッパの中心となってヨーロッパのコントロール権を握った。ガスパイプラインがロシアからドイツに引かれているというのは、ドイツがエネルギーコントロール権を持っているとも見えなくもない。
また、ドイツマルクはユーロに対してお得であり、他南欧などの貨幣はユーロに対しその逆だ。
トッドは、ヨーロッパ全体で見ると、問題は英国ではなく、ドイツ主導で他フランスなどが自ら隷属的になっているEUに多くの問題があると、著書『問題は英国ではない、EUなのだ』(文春新書)で語っている。
では、英国としてはどうなのだろうか。
かつて、英国サッチャー元首相は欧州懐疑主義とまではなくとも、EC拠出金の一部返還を求めたり(英国自身のために使われていないと主張)ECとは一線を画し、まるでブレグジットを見越していたかのようでもある。
英国はいくつかの連合による国でもある。
という歴史的背景から周知の通り、四つの国の同君連合型の単一主権国家である。
周知の通り、2016年6月、英国は国民投票により、EU離脱を決議し、3度の延長を経て2020年に正式に離脱した。この離脱をEngland Exitの造語からブレグジットと呼ぶ。
ブレグジットでの国民投票は、これらの全体として52%がEU離脱を賛成した。
しかしながら、その一方で、スコットランドでは、62%がEUに残留すべきとし、その後もイングランドからの独立を目指す運動があったりもする。
ポスト・ブレグジット小説 アリ・スミスの四季四部作 第一作目『秋』
『秋』は、そのスコットランド出身の作家、アリ・スミスによって人々の交流や日常がえがかれている。
ブレグジットを背景とした英国が舞台の四季四部作の第一弾だ。
ポスト・ブレグジット小説と呼ばれている。
何回かに分けて、四部作を読んで抱いた意見や感想を書いていこうと思う。
今回は、その第一弾として、少々季節外れではあるが、『秋』の読書感想である。
あらすじ
読み手も我が身の現実を考えさせられるように読まされながら進んでいく。
テーマ
などがテーマに流れているように感じた。
韻とユーモアと詩と シェイクスピア、ジョン・キーツとオルダス・ハクスリー
本書は韻が色々な箇所で踏まれている。ユーモアと韻によって重々しいテーマが軽やかに流れるようでもある。4部作全編読んだら原著をあたってみたくなった。
また、ところどころで様々なイギリス作家や詩人が引用で登場する。
25歳で亡くなった秋の詩人、ジョン・キーツを回想するダニエル。
夢うつつな序盤から引き込まれる。
また、本書の主人公エリサベスが登場する序盤で、彼女はオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』(原題:Brave New World)を読んでいることが描かれている。
すばらしい新世界は、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』と並ぶ、文明批判のディストピア小説であり、本書の内容もそれをオマージュするかのように、郵便局のディストピア的なやりとりがある。
しかし、郵便局の一見ディストピア的なやりとりは、僕の近所の郵便局や銀行でよくある光景に思えてならない。
ブレグジット以前からある分断
序盤から超個人主義の現代を象徴するかのような郵便局での光景である。英国だけではなく、この孤独感は先進国の都市ならどこでも誰でも感じることかもしれない。かろうじて、田舎ならば、ご近所の人たちとあいさつを交わす小さな郵便局がまだあったりもする。そして今やほとんどはインターネットで解決し、わざわざ窓口へ出向くのは、それこそパスポート更新や車の免許証の更新などかもしれないが。
本書では、2016年の国民投票によって、国民がEU離脱と残留に分断され、親子であってもコミュニケーションブレイクを起こす様なども描かれている。
ところで、英国は歴史的にも皆さんご承知の通り、遠い昔、薔薇戦争があったりと、結構血みどろな争いの歴史がある。
領地をめぐる王たちの争いは、『秋』の中でも触れられていた、海外ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』を見ると、面白い。また、要所要所でシェイクスピアの『テンペスト』が参照されていたりする。
前述でも触れたように、英国はブレグジット以前から分断と共存のためのすり合わせでかなり根深い問題を気が遠くなるほど長い間抱えているのかもしれない。
それでも、第二次世界大戦後は、労働党のスローガン「ゆりかごから墓場まで」と謳われた政策のおかげで、英国全体としてみたら、日本よりはるかに社会福祉・医療保障や制度が約束されていたようにも思える。
しかし、充分に行き届いた社会福祉や医療制度などは、過去の話になってしまっているのが現代の英国かもしれない。社会システムの不平等や、難民問題を抱えていたり、そのような中でのブレグジットは英国の人々たちの団結を促す契機になっているのだろうか?
社会システムの問題
前項で取り上げた、本書の序盤のパスポート更新のための郵便局訪問の場面は日本でもよくある光景である。
パスポートの更新の待たされようは本書と同等であるし、誰かと話すなんて恐らく皆無だ。
そして、話しかけようものなら、「怪しい人」と烙印を押され、物理的距離を撮られるのがオチだろう。
また、コロナワクチンを思い出してみて欲しい。コロナワクチンの予約はインターネットでもできる。
では、高齢者でインターネットに疎い方々などはどうするのだろうか?
電話である。
そして、通話中が続き、待たされた挙句、「予約はいっぱいです」となりかねない。
市役所へ電話をすると、「インターネットで」と回されかねない。
まるで、映画『わたしはダニエルブレイク』さながらである。
酷な現実は、高齢なダニエルの受けていた介護保障制度についてもつきまとっている。
難民問題
2022年4月、英国政府は亡命希望者の一部をルワンダへ移送する新たなスキームを発表している。
人身売買を防ぐためなどと理由を述べているが、僕はカニンバ氏に全く同意である。
そして、アフリカやアジアなどの難民には窓口を広げる際、論争が起こるのに、ウクライナ難民の方々へのヨーロッパ各国の対応を見ると、もやもやする。
また、難民とは異なるが、日本国内での現代の奴隷制度と言っても過言でないほどに制度の整っていない、海外実習生の方々の扱い。
超少子高齢化社会の日本はきちんとした法的制度の整備をし、難民の方々や海外実習生の方々に、2代、3代と、定住してもらったほうが、未来が拓けるのではないか?
作中の眠り続けるダニエルもかつては移民だった。
LGBTQ/多様性
効率を重視するためのシステムが実は高齢者には優しくなかったり、難民や異なる意見の人々とは融和せず分断、断絶を目指すかのような様子が物語の中で描かれている。
しかし、これは何も英国だけにかぎらず──フランス人作家、ミシェル・ウエルベックのいつもしている現代文明批判に通じるが──先進国各国で起こっていることだ。しかも、起こっているのは分かっているが、普段そこにスポットライトを当てない。
エリサベスが学生のころ研究対象としていた実在した現代ポップアートの芸術家ポーリーン・ボディはそうした馬鹿げたシステムを軽やかに乗り越えて、現実に対する彼女なりの意志のようなものをコラージュにしたような作品を残しているように思える。
LGBTQなどの多様な生き方や個性を認めよう、というのはもちろんごもっともだ、と僕は思う。
しかし、それは
差異を認めて、共存する、ということであり、
差異を平等/均一にする、というのとは全く違うこと
を忘れてはならない。
僕は、個々のもつ他者との差異を差別されたりしたりしないよう、平等にする、という風潮がとんでもなく画一化、ひいては全体主義的な危険性と常に隣り合わせであるように思える。
隣人との交流
他者と共存すること。
その第一歩は家族であり、家族の次は隣人である。
現代社会において、隣人とは全く話したことがない、というのはめずらしいことではないかもしれない。
エリサベスとダニエルは69歳という年の差を超えて、良き隣人、友人となった。
その交流はまるで祖父と孫のようでもある。
地域社会の小さなコミュニティーでこうした関係が築けたら、そこから他者との共存をもっと身近に考えたり、子どもたちに愛や死というものを人生の大先輩であるお年寄りから学べたりもするのではないだろうか。
愛と死
ダニエルは101歳でまるで美しい秋の落ち葉を身にまとう老木のようでもある。散ってゆく葉。木は冬を迎えれば、じっと寒い中を耐え、春に芽吹く新しい葉の為に目を閉じる。
ダニエルは一度も人を愛したことがない。人ではなく瞳を愛したのかもしれない。
愛とは、そのようにして、穏やかに次の者へと伝わっていき、伝える者の死は伝えられた者の中で再び芽吹くように僕は思う。
物語るということ
本書では色々な箇所でエリサベスとダニエルの読書や互いに物語を作る様子が出てくる。
印象的なのは、子どもの頃のエリサベスとダニエルが散歩しながら、物語の一節を作り合っていくシーンだ。
その内容ではなく、世代の異なる隣人同士が共に歩きながら物語を作る、というその行為がとても穏やかで僕もいつか誰か友人や家族とやってみたいと思わされた。
しかし、よくよく考えなくとも、既にそれは言葉に出していないだけで、家族と過ごしている一瞬一瞬で僕らは物語や夢を幻想ではなく、現実として作り上げて、互いを通して互いに作り、作られてきている。
そのことを僕は忘れてはならない。
また、創作し合うふたりの物語のテーマを決める時、ダニエルがエリサベスに尋ねる「ほんとに戦争でいいのか?」という言葉も突き刺さる。
おわりに
本書を読み始めたのは2022年6月30日に4部作の最終巻『夏』が届いてからだった。
もっと早く読んでおいてもよかったな、と思うほど、軽やかでユーモアあふれる、そして、英国のことなのに、不思議と僕の現実にも近い感覚の日常が描かれていて、色々と再考させられることがあった。
とりわけ、民主主義がいかに未完なイデオロギーか、昨今の時事問題も絡んで、思い知らされる。
それでもやはり、民主主義と共に生きてこそ、とも思う。
人との分断ではなくて共存や融合が推し進められるだけ心の余裕が持てる日常を過ごしたい。
冒頭の話題に戻るが、与野党分断ではなく、人間らしく生きることを見捨てない社会システムを作り上げようとして欲しいものだ。
参院選前に読めて良かった。
皆さんは、何を読んでいますか?
僕は次は『冬』を読む予定です。
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