アリ・スミス四季四部作③『春』
はじめに
アリ・スミスの四季四部作 第三部『春』を読み終えた。
読み終えた日、大きな時事問題でもある、ウクライナの悲惨な状況の中で、今年ヨーロッパを襲っている異常気象。
ウクライナも例外なく、熱波が襲い、気象警報が出ているニュースを見た。
戦時下のウクライナに火災発生の気象重大警報が出された。
人の覇権的欲望からの戦争や紛争に自然災害。
ウクライナだけではなく、この異常気象の中、日々の過酷な現実過酷な現実に晒されている世界中の難民のひとたちの中には、子どもからお年寄りまで立場の弱い方々も大勢いらっしゃる。
昔よりもはるかに何もかもが便利ですぐに手に入る。物も知識も何もかもが、ほとんどインターネットで事足りる。それなのに、人と人を繋ぐ優しさってどこに行ってしまったのだろう。
そんなことをふと思った。
あらすじ
物語は3部構成となっている。
第1部では老映像作家の主人公リチャードは昔、脚本家のパディとタッグを組んでいたことや、先の長くないパディからマンスフィールドとリルケの1922年のスイスでのことを聞く。
第2部ではブレグジット後の2018年前後の移民局の警備員の女性ブリトニーと移民の少女フローレンスのやり取り。
第3部では、パディを失ったリチャード、ブリトニー、フローレンスがスコットランドの駅で偶然出会い、3人が旅をする。
前2作品同様、思考の散文詩的なアリ・スミスの文体がコラージュ的に散らされて、最後にまとまる。
前2作品の感想はこちら
テーマ
ブレグジット後の移民問題
生と死
ブレグジット後の移民
世界での移民人口
国連によると国境を越えた移民は2020年時点で世界で約2.8億人いる。年500万人のペースで増え、世界の人口の約3.6%を占める。
各国の移民人口は2020年のデータでは次のとおり。
移民受け入れ問題を抱えたままの日本。
入国管理局の対応を見ていると、難民や移民は犯罪者ではなく、やむを得ず国をあらゆる困難を覚悟で逃げ出してきているのに、なぜか犯罪者のような扱いをされているようなイメージが残る。
スリランカの女性、ウィシュマさんが亡くなった事件も記憶に新しい。
アジアを見ると、ロヒンギャ難民の方々は近隣国のバングラデシュやインドへと移民されたり、アフガンの難民の方々、ウクライナの方々、アフリカ各国の方々など、世界中で抑圧的政権下の国や紛争、戦争から逃れて移民とならざるをえなかった人たち、難民キャンプで生まれた子供たちなどが今も過酷な現実の中、生きている。
感想
第3作目の『春』は出だしの序文がパンチラインの洪水に思えた。
3作品共通して感じるのは、アリ・スミスは最初の掴みが上手い。
そして、やはり、現実としてある社会問題への鋭い眼差しと、最後は温かく締めくくってくれるのが絶妙で、読んでいてもしんどくならない。
今回の移民や難民に通じる事柄は身近に感じる人とそうでない人もいるかもしれない。
僕の仕事柄、海外実習生の方々のおかげで成り立っているような業界でもあり、とても切実な問題にも思えるが、そうでない人たちにとってはどうなのだろう。遠い自分とは全く関係のない世界の事なのだろうか。
誰かがそんなことを言っていた。
そして、子供は希望であり、全てを照らす太陽でもある。
その太陽が枯れゆく老木にも降り注ぎ、次の生命の道標のように土に影を落とす。
アリスミスの『春』はブレグジット後も変わらず大変な思いをして過ごしている移民たちの現実を散文詩的に描いてもいる。
1922年、偶然にも同時期にリルケとマンスフィールドはスイスのあるホテルに滞在していた。彼らのすれ違いに想いを馳せながら、主人公の映画監督リチャードが自分のために描く物語、作中作『四月』もなかなか良かった。
人と人との出会いは、実際に出会うことがなかったとしても、偶然の連続であり、そうして小さな歴史を紡ぎながら生きている。
それは、過酷な現実を抱えて希望を生きようとする移民の人たちも同じであり、豊かな人たちの生活はそうした人たちの上に成り立っていたりもする。
難民の方々への支援や受け入れ、海外実習生の方々の制度を早急にきちんと法的整備し、多くの方々が日本に来て良かった、ここに永住しよう。と思ってもらえる未来が描けたら、素敵な春になるのではないだろうか。
余談:
今回のダニエルはどこ?絵葉書や彫刻?リチャードも移民、ダニエルも移民、希望に寄せて。
移民の少女はフローレンス・スミス
マンスフィールドの「一杯のお茶」に出てくる貧しい少女もスミス
著者もスミス。
さて、次はいよいよ完結編『夏』を読みます。