芥川龍之介の思い出
小学校の同級生で気になる女の子がいました。
その子が休み時間に単行本の「芥川龍之介集」を読んでいたので「終わったら貸して」と頼みました。それがきっかけです。
子ども向けだから「杜子春」「鼻」「蜘蛛の糸」「芋粥」といった定番が網羅されていました(収録作の中では「魔術」のラストを爽快に感じました。「蜜柑」もオススメ。情景が浮かんで涙腺が緩みます)。その中にしれっと「地獄変」も入っていて「あ『堀川の大殿様』だ」と。
当時某進学塾に通っていて、有名な文学作品の冒頭を機械的に暗記させられたのです。「親譲りの無鉄砲で」とか(夏目漱石「坊っちゃん」)。現代文のテキストで「この書き出しで始まる小説は次のうちのどれか」という問題がたまに出るから。「堀川の大殿様」もそのひとつでした。
読了後は「絵師の人、気の毒に」と。大人になって再読した際にようやく「娘さん可哀想」「この殿様、最低だな」というまともな感想を抱きました。それでも怒りの矛先が老絵師のエゴに向かうことはありませんでした。
塾では毎週日曜にテストを受けます。あるとき、国語で出題された小説に興味を抱きました。孫が祖父に「勉強しろ」「しんぼうしろ」と話す。祖父が涙を流す。何だこれ? 彼の名前が「馬琴」となっている。そこで「『南総里見八犬伝』の滝沢馬琴だ!」と。ちょうど読み終えた時期だったのです(子ども向けの短縮版ですが)。
木曜日に結果が戻ってくると、真っ先に国語の「解答・解説」のページを開きました。「出題は芥川龍之介「戯作三昧」より」と書かれていました。
頭に浮かんだのは、たまに父が作ってくれる「中華三昧」という即席ラーメン。言葉の意味はわからないけどタイトルが脳裏に焼き付きました(読んだのはたぶん高校生になってから。新潮文庫を買いました。いまも持っています。目次のページが外れるぐらいボロボロなのが誇らしい)。
以後、学校や町の図書館で芥川を借りて読み漁りました。返すのを忘れてしまった本もあります(ごめんなさい)。あまり知られていない作品の中では「ひょっとこ」の切なさと「俊寛」の謎の明るさが印象に残りました。真似をしてノートに短い小説を書き始めたのもこのころ。
高校1年のとき、担任の先生と面談をしました。そこで「小説家になりたい」「憧れの人は芥川龍之介」と伝えた記憶があります。「どれが好き?」と訊かれて「歯車」と返したことも覚えています。
「地獄変」の絵師がそうだったように、芸術の完成のためなら地位や財産はもちろん、最も大切な人や己自身の喜怒哀楽も全て捧げられる。思春期の自分は芥川のそんな一途で不器用な決意に胸を熱くさせたのでしょう。
大学生になり、思うような小説を書けずに悩みました。書きたいことは山ほどある。内側で溢れそうになっている。なのに上手く言葉に変換して吐き出せない。そのくせ周囲には「作家志望」だと吹聴し、そのキャラで居場所を確保したり女の子の気を引こうとしたり。なんという姑息さ。
そんな自分が嫌になるたびに芥川を思い出しました。俺は全てと引き換えにしてでも小説を書きたいのか? それとも単にチヤホヤされたいだけなのか? と。
あのころの私は後者でした。というか、少し前までずっと。「成功する自分」「富と名声を手にする自分」という妄想が常に作家になった後のイメージとセットだったから。
いまはそんなことを考える余裕はありません。と同時に「全てと引き換えに」なんて悲劇のヒロイン的な美意識も抱かない。ただ、書きたい。書かないでいたくない。苦しさの中に楽しさを感じられるから。
ほんの少しだけ「戯作三昧」に託した芥川の覚悟の背中が見えてきた気がします。まだまだ未熟者ですけどね。