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ハードボイルド書店員日記【115】

「ウソでしょ」

朝礼が終わった日曜の朝。クリスマスが間近に迫っている。他店の社員が辞めたことに伴う異動にバイトの離職が重なり、まさかの3人体制。13時半に遅番が来るまでどうにか凌ぐしかない。

「さすがにムリでしょ」真ん中のレジに入ったパートの女性がつぶやく。気持ちはわかる。店長に「電話は出なくていい」と言われたが、鳴り続けていたら習慣で取ってしまう。その時点でレジはふたり。問い合わせがひとり来たらパンクする。

あと2分で開店。備品を確認する。レジ袋、ホッチキスの芯、包装用紙。カバーを折る時間はおそらくない。「やはり電話はスルーするしかないですね。混んでるのがわかってるから少ないと思いますし」「それでもムリ。なんで人増やさないんだろ」「増やせないのでは?」「じゃあずっとこんな感じ?」「でしょうね。法人税を5%上げるなんて話も出てますし」「例の防衛増税?」「ええ」「私たちの労働環境は誰が防衛してくれるの?」「さあ」

1時間後。状況はまさしく四面楚歌だ。前方に伸びる無限列車。側面からは非情な鬼の群れ。杓子定規は不本意だが、いまは棚の場所を訊くだけでも列に並んでほしい。後方では電子音が炎の呼吸。途切れる気配はない。よほどの要件だろうと思ってつい出ると「年末は何日まで?」。休みがあるとでも? 飲み込んだ言葉の苦味がマスクの下に広がる。

13時34分。500メートルの潜水を終えて空気を吸う。遅番が来るのはいつも定時より少し遅い。この少しがミスの温床だと社員に何度も伝えている。解放されるはずなのに出られないと集中力が途切れるのだ。レジを抜け、事務所で椅子に座る。「ああ、こういう時、どうしたらいいんだろ?」仕入れ室からひとりごとが聞こえる。パートの女性がダンボールに本を詰めていた。大量の図鑑がプチプチに包まれている。昼までのシフトなのでもう上がる時間だが、配送依頼を受けたらしい。

「どうしました?」「多すぎて入らないのよ。でもふたつにするほどでもないし」「ムリに詰めるわけにいかないから、うまく分けるしかないです。あとは箱を折り畳むか梱包材や紙を詰めまくる」「やっぱりそうか」「定時ですよね? 続きはこちらで」「ありがとう。でもお昼行くでしょ? いいよやっちゃう」「助かります」ギリギリの状況で互いを気遣い合えるのは悪くない。

「ではお言葉に甘えて休憩に」「あ、ちょっといい?」「はい」「こういう時ってどうしたらいいと思う?」「こういう時?」「仕事が上手くいかない時とか無性にイライラする時」ああ、と納得する。「俺なら本を読みます」「疲れてるからムリでしょ」「そうでもないです」周囲を見渡す。文庫のスチールに補充分が積まれている。講談社文庫の伊坂幸太郎「チルドレン」を抜き出し、156ページを開いて見せた。そこにはこんなセリフが記されている。

「人っていうのはさ、ショックから立ち直ろうとする時には、自分の得意なやり方に頼るんじゃないかな」
「落ち込んだ陸上選手はやっぱり走るだろうし、歌手は歌うんだよ」

作業を続けながらページを眺めている。「どんな話?」「何というか家庭裁判所に勤める型破りな主人公が」「説教臭い?」「でもないです。むしろこちらが彼に説教したくなる。『もう少し大人になれよ』って」「何それ」くすくす笑う。「そんなにひどいの?」「たとえば銀行強盗に両手両足を縛られた状況で犯人に『俺にギターを弾かせろっての』と要求したり」「はあ? 馬鹿じゃないの」「怯えている他の人質を元気づける目的で」表情が少し動いた。

「他には?」閉じた箱の蓋をガムテープで十字に留めている。日付と時間の指定はない。あとは片方に伝票を、もう一方にコピーしたものを貼り、各々の側面に「2-1」「2-2」と黒マジックで書けば大丈夫だろう。「他?」「どんなセリフが出てくるの?」「覚えてるのは」ワイシャツの上から腹が鳴るのを押さえ、記憶を辿る。「『そもそも、大人が恰好良ければ、子供はぐれねえんだよ』とか」「……たしかに」頻りに頷く。「社員がしっかりしてれば、バイトは去らないよね」「会社が気遣ってくれれば、社員も辞めません」「そもそも」ぐいと身を乗り出して来た。「政治家が恰好良ければ、国民はぐれない!」これ以上ないぐらいのドヤ顔が目の前に浮かんでいる。「見た目の話じゃないですよね」「当然」

昼休みから戻る。雑誌を補充するために仕入れ室へ入った。文庫のスチールから「チルドレン」が消えている。PCのキーを叩く。在庫ゼロ。口元がゆるむ。よもやよもやだ。今度感想を訊いてみよう。

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