
「短編は長編に劣らない」と証明する一冊
かつて専門学校で創作や文章術を学びました。
当時書いていたのは、長くても原稿用紙50枚程度の短編。先生方から「作家になりたいなら長編を書きなさい。じゃないと食っていけないよ」と諭されました。
そうなのかと意を決して挑みました。10年近く続け、小説すばる新人賞で三次選考まで進んだのがベスト。短編や中編を募集している賞では一次しか通過できず、その意味では先生方の助言は正しかったといえます。
ただ何作か書いて気づいたのですが、私にとって長編執筆は与えられたノルマをこなす感覚でした。繁忙期の書店で定時まで働いたらやっと上がれるみたいな。そんな気持ちで書いた作品が面白いわけない。
いや違いますね。やっつけ仕事でも一定以上のクオリティーを保ち、商売として結果を残せるのがプロ。私はその領域に達していなかった。それだけのこと。
考えました。
創作の原点は、小学生の頃に出会った芥川龍之介と夏目漱石「坊っちゃん」です。芥川は短編作家の代表的存在。漱石は多くの長編を書きましたが「坊っちゃん」は中編でした。
短くても優れた小説はたくさんある。どうせデビューできないのなら、自分が心地いいものを創ろう。多くの人に読んでもらえる媒体で好きなように書こう。
それがnoteで「ハードボイルド書店員日記」を始めるきっかけでした。
いつまでも心に残る短編や掌編は枚挙に暇がありません。すぐ頭に浮かぶのは芥川や太宰治。あと最近出会った↓です。
単行本の刊行は1980年。向田邦子さんはこちらに収録されている「花の名前」「犬小屋」「かわうそ」で直木賞を受賞しました。
13編すべてが20ページ前後です。にもかかわらず濃厚。世渡りの技巧と引き換えの業、さらに自覚の有無を問わぬ大人のエゴが冷徹かつユーモラスに描かれています。「こういう人いるなあ」と笑えるうちはいい。しかしある瞬間に寒気を覚えます。なぜなら目を背けてなかったことにしたい内側の闇をどこかに見出してしまうから。
そしてとにかく巧い。「かわうそ」の冒頭を見てください。
指先から煙草が落ちたのは、月曜の夕方だった。
何かが起こりそうな不気味な予兆。まったく予測が付かず、しかし期待に応えてもらえる予感しかしない。
読ませる作家は一行目から別次元です。締め方も。「ダウト」が終わり、ふと気づきました。「あれ?『思い出トランプ』なんて作品はなかったぞ」
次の瞬間、隣のページに記された短い文で意図を知り、洒脱なアイデアに拍手を送りたくなるのです。
この満足感は大長編を読了した際のそれに劣りません。改めて「短くても面白いものは面白い」と学びました。
冬休みを楽しく過ごすお伴にぜひ。
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