「昔のリリーフ投手」と「いまの書店員」
延長15回、無死満塁のピンチで三者連続三振。
いまは阪神ファンですが、子どもの頃はヤクルトを応援していました。このエピソードはなんとなく覚えています。
93年だから30年前。「延長15回」がまずおかしい。しかしいちばん驚いたのは、内藤投手が3回からリリーフの準備をし、投球練習が100球を超えていたというくだりです。
いまだったらコーチがブルペンでの球数も含め、厳密に管理しているはず。さらに言うと、現ヤクルト監督の高津投手はこの試合で5イニングを投げています。本来1イニング限定のクローザーが5イニング。シーズンの行方を左右する大事な一戦とはいえ、さすがにこれは。
たまに「かつては先発投手がよく完投したからリリーフはラクだった」みたいな論調を目にします。たしかに登板機会はいまよりも少なかったかもしれない。でも投げた球数だけで比較したらどうなのでしょう。案外昔の方がきつかったのでは?
現在はリリーフ投手の過酷さと重要性がきちんと評価されるようになり、だいぶ起用法が改善されました。年棒も上がっているはず。しかし当時は理不尽な使われ方に耐えてもさほどお金に反映されない。ブルペンでいくら投げても1円にもならない。「ID野球」を掲げる野村ヤクルトですらこの状況だったのだから、他球団は推して知るべし。
非正規雇用の書店員の多くは、ほぼ最低時給で働いています(サービス早出&残業もめずらしくない)。誰でもできる簡単な仕事と考えられているのでしょうか? やってみたらいいです。人手不足のなかで繁忙期の無限レジ及び朝の荷開けと品出しを。
お金の問題もありますが、最も受け入れ難いのはフェアな評価がされていないこと。明治維新と同様に、あるいは球界を含む多くの業界がそうであるように、書店員の待遇改善も外圧が掛からないと進まないのでしょうか?
作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!