ハードボイルド書店員日記【116】
「これ、クリスマスプレゼントにしたいんだけど」
イブ。朝から絵本のラッピングが延々と続く。形状がバラバラな複数冊を一緒に。10冊以上をひとつずつ。「東京卍リベンジャーズ」の既刊30冊をまとめて、なんて猛者もいた。最終巻が来月17日に出ることを伝えるべきか迷う。だが大渋滞のレジで悩まれても困るので流してしまった。
親身な接客をしたい。しかし余裕がない。慢性的な人手不足なのだ。
「これが入る袋ある?」高橋留美子「めぞん一刻」の一の瀬さんを実写にした女性が大きなカレンダーを4点抱えてきた。「ございます」後ろの引き出しを開ける。ない。仕入れ室のストックも確かめた。舌打ちを堪える。備品管理は正社員の職分だ。店長に報告してレジへ戻り、特大の紙袋で代用する。
「ずいぶん大きいわね」「申し訳ございません」奥の手がある。台紙を抜いてから丸めて輪ゴムで留め、筒状のビニール袋に入れる。だが面倒臭いと感じ、提案しなかった。そしていつも後で軽い自己嫌悪に襲われる。
13時50分。列が途切れた。ビニール袋やカバーを補充し、レジロールを交換する。足りない紙幣や小銭を調べ、両替を頼んだ。
次のお客さんが来る。
メガネを掛けた中年の男性だ。カウンターの上に某プロレスラーの著書を置く。「こちらを?」「プロレス好きの人だから。おかしいかな?」少しもおかしくない。プレゼントは気持ちの表れだ。しかし彼は運が悪い。いや良かったのか。目の前にいる書店員は、いまこの建物の中にいる誰よりもプロレスにうるさい。
「その方がどの団体のファンかご存知ですか?」「新日本だと思う。昔から猪木さんが好きだし」「応援してる選手は?」「わからない。でも猪木さんの関連書をたくさん買ったって話してたから、今回は違うのを」なるほど。それでその本か。「少々お待ちいただいてもよろしいですか?」カウンターを離れ、元旦の明治神宮みたいな店内をすり抜けてスポーツ書の棚へ向かう。
「こちらの方がよろしいかと」徳間書店から出ている鈴木みのる「ギラギラ幸福論・白の章」を見せた。「ああ昨日の後楽園で鈴木軍が解散したんだっけ?」「そうです」「観に行ったの?」「家で配信を」今日休んでいいのなら行きたかった。「でもアイツみのる好きだったかな?」「昔から新日本を見ている方なら嫌いではないかと」「あなたも?」「好きというか」言葉にするのが難しい。リスペクトでは軽すぎる。尊敬するほど親しくない。ライバルでは不遜だ。
「……鏡にしています」「鏡?」「その本の227ページにこんな一節が」諳んじる。昨晩滲む眼を擦りつつ読んだばかりだ。
「人に『肉体改造してる』って言ったら、俺は絶対にサボる」「基本、俺は自分に甘いんで、『最近、体つき変わりましたね』とか言われたら、その時点でいいと思っちゃう」
納得したように小さく頷く。「自分に甘いって言えるなら、つまり実際は甘くない生き方をしてるんだよね」また混んできた。でもここは曖昧な言葉で流せない。「彼はそうでしょう。しかし私も自分に甘い人間で、なおかつ甘い生き方をしています」「そんなことないよ。本屋さん、大変でしょ」「大変です。でももっとできることがあるんです。選書でも接客でも。だから」だからもっと挑んでいきたい。54歳になってなお鼻息の荒い鈴木みのるのように。その気持ちを一方的に伝えた。
途切れずに4時間半レジにいた。やっと自由の身になり、品出しに向かう。ふと先ほどのことを思い出す。結局買ってくれた。ラッピングにも満足していた。だが本当にあれで良かったのか。他人の思い入れを押し付けられて迷惑ではなかったか。
棚整理の最中にお問い合わせを受け、注文になった。対応を終え、伝票を綴じようとファイルを開く。見入った。「ギラギラ幸福論・白の章」が客注になっている。しかも後編に当たる「黒の章」と一緒に。
「あ、その人が先輩によろしくって言ってましたよ。何だか自分でも読みたくなった、いい本を紹介してもらえたって」アルバイトの男性に声を掛けられた。「そうか」「さすがの接客ですね」「いや」そうじゃない。私は自分を知っている。面倒臭がりで無愛想。加えて不器用。思い出したくないことばかりだ。
本屋の仕事はプロレスラーと似ている。追い込まれて素の己と向き合う。きつい割に報われない。でもお客さんの生の声が励みになる。みのるさんもきっと同じだ。俺はあなたと少し似ている。だから俺もあなたに続く。あの本の233ページを胸に刻みつける。
「諦めるのをやめた」「なれるかどうかはわからないけど、もっと上の自分を目指し続ける」
鈴木みのる、イチバン。