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ハードボイルド書店員日記㊱

書店員=読書家というイメージは正しい。と同時に正しくない。

もちろん「本を読むのが好き」だから書店で働いている。だが「本」にもいろいろある。「カラマーゾフの兄弟」や「ツァラトゥストラはこう言った」が「本」なら「鬼滅の刃」や「転生したらスライムだった件」も「本」なのだ。そして書店員の多くは「カラマーゾフ」をスルーして「鬼滅」を読む。こういう人を「読書家」と呼ぶべきか否かは議論の余地がある。だが彼らが己の好きな「本」を熱心に乱読していることは疑いない。

「『流行感冒』って話、知ってます?」カウンターの隅でPCを叩いていた同僚に書影を見せられた。新潮文庫から出ている「小僧の神様・城の崎にて」という志賀直哉の短編集だ。この中に収録されている。最近問い合わせが多いらしい。

「いや知らない」「ぼくはこの文庫、学生時代に図書館で読んだんです。でも全然思い出せなくて」「太宰の呪いだな」私も彼も太宰治のファンだ。太宰は「如是我聞(にょぜがもん)」というエッセイで志賀直哉を痛烈に批判している。「かもしれませんね。俺の読者ならそんなの読むな、読んでも忘れろと」同僚はマスク越しにパンダみたいな顔をくしゃくしゃにした。「まあぼくは太宰にとっていい読者じゃなかったですけどね。ラノベにもハマってましたし」

自分も十代のころに読んでいたと告げた。「本当ですか?」「『スレイヤーズ』とか『ロードス島戦記』とか」「ああRPG的な」「あれも好きだった。剣と魔法の世界で格ゲーみたいな」タイトルが出て来ない。「アニメにもなった」「主題歌のメロディか歌詞、思い出せます?」彼とは年代が近い。同じ番組を見ていた可能性は低くない。眉間にしわを寄せ、記憶の物置に積もり積もった埃の山を意識の箒で掃き出した。

「……本当の痛みを知れば、すべてに目覚める力」はいはい、とすぐ反応された。「『シャドウスキル』ですね。たしかに小説版も出てました。原作は岡田芽武(おかだめぐむ)の漫画です」それだ、と人差し指を彼の顔へ突き出した。

「でもそのパート、サビの直前ですよ。普通はサビを覚えるもんですよね」レジに戻った同僚が四六版のカバーを折りながらくすくす笑う。「フックを感じるポイントが他人とは違うらしい」「個性的でいいですね」「そっちはどんなラノベを?」「ぼくはあれですよ。あかほりさとるのファンだったんで」「『爆れつハンター』とか?」ダルマの眼差しで見据えられた。「その単語を耳にしたのは、21世紀を迎えてから初です」「読みたくなった?」「ですね。6巻までは家にあるんで続きを探します」

緊急事態宣言の影響で店は暇だった。GW明けだからか荷物も少ない。あまりに客が来ないときはレジを出て巡回や棚整理をした。店内を歩いていれば自ずとやるべきことが浮かび上がる。担当する棚で在庫の切れそうな売れ筋を見つけた。注文しようと仕入れ室に入る。例の同僚がパソコンの前でがっくりと項垂れていた。

「先輩、大変です」「どうした?」「『爆れつハンター』の小説、6巻で打ち切りになってました」「ああそれは」残念だったねと言う前に彼は顔を上げて素早くキーを叩き、また「嘘でしょ」と大きく仰け反った。

「ビースト三獣士の小説も未完だなんて」「たくさんの作品を手掛けていればそういうことも」「いや納得できません! あかほり先生なら絶対書けたはず。出版社が大人の事情で出すのを渋ったに決まってます」

この人は太宰に限らず、全ての小説家にとっていい読者だと思った。私なら「飽きたか作品の旬が過ぎたかで書くのをやめたんだな」としか考えない。無論あかほり氏の事情は知らない。あるいは彼の推測が正しいのかもしれない。作家は何よりも創作を、そして己の作品を愛しているから。

「代わりにこれはどう?」私が端末を叩いて呼び出した本を見て、彼は「ですね」とつぶやく。「何かの縁だと思って久し振りに。興味を抱いたタイミングですぐ読めることに感謝します」心の中で太宰に頭を下げた。私も「シャドウスキル」をまた読みたい。私も読書家ではないかもしれない。それでもあなたの「人間失格」がいちばんですと。


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