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ハードボイルド書店員日記【103】

「なーんかいいアイデアないかなあ」

3連休前日の金曜日。あと10分で開店を迎える。取次から送られてきた段ボールを全て開け、書籍をブックトラックに乗せた。雑誌の品出しも終わった。ようやく各々が己の業務に取り掛かる。

ビジネス書の品出しと棚整理を同時に進める。10時半までに終わらせれば、版元から直納されて仕入れ室に積まれた荷物も午前中に出せる。出せば動くかもしれない。黄泉の国から蘇ったサリンジャーの直筆サイン本が入荷しても、棚になければ一冊も売れない。

隣の「映像化フェア」コーナーの前で文庫担当の女性が首を傾げて何やらつぶやいている。傍らのブックトラックで補充分が万里の長城を築いていた。たしかに「キングダム」の新刊発売日だが何の関係もない。たぶん。

「どうした?」「これ今日公開なんです」正面を向いたフェア台の奥に設置されたDVDプレイヤーのスクリーンから映画「沈黙のパレード」の予告編がチャプターリピートで流れる。福山雅治の主演で映像化した人気シリーズ「ガリレオ」の最新作だ。

「ドラマのOP曲が好きなんだよな。あれは脳みそに残る」「先輩もそう思います?」「リズムがどことなく007っぽいし」「それ前に本人が何かの番組で言ってました」「本人?」「ふく…湯川先生です」「君の大学の恩師か」「ボケてます?」返そうとしたが長くなりそうでやめた。そもそもなぜ言い直したのか。

「で、どうしたの?」「ここに『ガリレオ』シリーズの文庫版を左から発行順に積んでますよね」「実にわかりやすい」視線が合う。居酒屋で江川と出会った阪神ファンのそれを連想した。「悪い。続けて」「きっとどこの本屋でも定番の並びだと思うんです。近所の○○書店もそうだったし」「なるほど」「もっとこう他と差別化できるインパクトを出せないかなって」

手を動かしつつ考えた。「ひとつオススメを決め、それを真ん中にひときわ高く積むと目立つ」「たしかに!」「手書きのPOPも必要だ」「いいですね!」「じゃあそういうことで」水分補給のために事務所へ向かう。二歩めで呼び止められた。「何?」「その……先輩は『ガリレオ』けっこう読んでますよね?」「まあ」「私、実は最初の2冊しか」「そうか。『聖女の救済』は見事だぞ。あのトリックは予想も付かなかった」「もし先輩が一冊選ぶならそれですか?」「もちろん」笑ってみせた。「違う」「違うんかい!」薫をいじる湯川の心情が少し理解できた。

左から3番目に積まれた「容疑者Xの献身」を手に取る。「直木賞受賞作ですね!」「好きなセリフがあるんだ」記憶を頼りにページを捲る。

「これだ。『なぜこんな勉強をするのか、という疑問を持つのは当然のことだ。その疑問が解消されるところから、学問に取り組む目的が生まれる。数学の本質を理解する道にも繋がる』」「いかにも理系の学者っぽい発言ですね」「誤解してるな。いまのは湯川のセリフじゃないぞ」「え、違うんですか? じゃあ誰が誰に」「読んで確かめてくれ。メインストーリーとは一見関係ないようで、よくよく考えると実は深いところで繋がっている哲学だ。結局のところ、学問の追及を通じて磨いた知恵や頭脳は何のために存在するのか? 誰かの役に立ってこそじゃないのか?」ゆえに私は作中のあの男は幸せだと信じている。

「こういうセリフをさらっと入れてくるのが、軽そうで考えさせる東野圭吾の読み応えの正体かもな」「先輩」「ん?」鼻先に熱っぽい眼差しを感じた。尊敬されたかもしれない。「いま言ったこと、全部POPに書いていいですか?」「どうぞ」「やっぱり直木賞ってすごいんですね」「直木賞だからすごいんじゃない。作品がすごいから直木賞にも選ばれた」

賑わう昼下がり。巡回の途中で飾られたPOPを見る。頬の内側を噛んでにやけるのを堪えた。ちょうど背後を彼女が通り掛かった。「どうですか?」「そうだな」わざと間を空けた。「実に……」「じゃあ休憩行ってきまーす」

人知れず顔が火照った。あの眼差しは何だったのか。こういう時、湯川ならどう対処するだろう。さっぱりわからない。

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