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ハリボーから考える”人が生まれた目的” Part5



四大聖人から見る教えの違い


前回
「人生の目的」を取り扱っている古典を
2種類の分類しました。

人類の教師と呼ばれる四大聖人は
「人生の目的」について
どのように考えているのか見ていきましょう!


①釈迦

釈迦は「人生は苦であり、虚しい」と語っています。
彼の教えでは、人生の苦しみから解放されるために、
欲望を捨て、悟りを開くことが重要とされています。


②孔子

孔子は「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と述べています。
これは
「朝に人間の生きるべき道を理解できたならば、夕方に死んでも心残りはない」
という意味です。

孔子の教えは、道徳や倫理を重視し、
人としての正しい生き方を追求することに焦点を当てています。


③イエス・キリスト

新約聖書のマタイによる福音書(11章)には、
イエス・キリストが語った次の言葉があります。(引用もあるので、長いのですが)

「すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。


イエス・キリストは、人間を作った神様から学び、
その教えを人間に伝えています。

生きることに苦しんでいる人や悩んでいる人は
神様の教えをイエスキリストから学ぶことで
人生の目的に向かって生きることができます。
だから私に学びなさいと話しました。


④ソクラテス

ソクラテスは
「人生の目的は幸せになるために善く生きること」と述べています。
彼は、お金や財産よりも、魂が節度や知恵を身につけることが重要である
と考えました。


善悪の基準は人間同士の討論を通じて
確かめることができるとしています。


まとめ

釈迦、孔子、ソクラテスの教えは
自分なりに人生の目的や生きる意味を考え、
彼らの考える目的に至るために、
いいと思った方法を述べ伝えました。


一方で
イエスキリストの教えは
人間を作った方から直接学び、
人として命を持って生きる目的&価値を分かり、
個性通りに生きていく方法
です。


僕が感じたこと

僕は大学で哲学の講義を受講していた時
カントの「人間が人生の目的が何か答えを出すことはできない」
と哲学の講義で学び、衝撃を受けました。

前々から
僕自身人生の目的をずっと悩み探していました。。。

幸せに生き方のために
人生の目的を設定できても

「人がなぜ生きるのか?」
「なぜ生まれたのか?」
その目的に対する答えは分からないんだな
と分かりました。


個人的には
そこから聖書の考え方に共感し、
聖書から人生の目的を学び、
目的に立脚した生き方に切り替わりました。


次回は
人生に悩んでいたけれども、
宗教アレルギーだった僕が語る

聖書の魅力についてもう少し語ってみたい
と思います笑


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