この世をおだやかに美しくする基本
どんなに寛大であっても、あとから「ああ、あのときはあまり寛大すぎた」と悔やむことはないが、常にわれわれが後悔するのは「もう少し寛大であればよかった」ということである。
しかし、寛大と因循姑息とは全然違う。因循姑息というのは、当然なずべきことをもなさず、いたずらにグズグズしているのをいうのである。
寛大というのは、けっして、つねに拱手傍観、逡巡無策のいいではない。
怒るべきときには怒り、叱っすべきときには叱っするのである。ただその気持ちに、あくまでも豊かなところがなくてはなら