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万事が有難く結構
やはり、どう考えてみても、人生に一番貴いものは体験である。体験の深刻な人、豊富な人ほど、どことなしに輝いている、落ちついている。いろいろな境涯をへて来たあとでなければ、人は、何もできるものではない。
この意味からいって、われわれは何をしていても、させられていても「有難い」のであり、「結構」なのである。
ものを見別ける力のない者が上に立っていたら、もはや、その事業の底は見えている。
人の世は、まァざっと、こんなものだということを悟って、小さいことにビクビクしたり、善じゃお悪じゃのと、
ちょっとしたことに激動してはならない。あるままが世であり、成るままが世である。
同情心や慈悲心は、どんな人間でも持っている。ただ、自己と道程度の同情心、慈悲心だけである。神の大慈大悲は大局的であるから、ちょっと人間の目には分からないのである。
人間ごころを出して、強いて事をしてはならぬ。自然にまかして、きわめて無理のないように心がけねばならぬ。いや、心がけるというのが、すでに人間心かもしれぬ。なるように成らしたらよいのだ。
「神さま!」ということを一心に思いつめている人は、かならず向上してゆく。自分が向上してゆけば、自然に考え方がかわってゆき、見方がちがって来る。
『信仰覚書』 出口日出麿
これまでのお示し
日の出の歌うたわむ
https://note.com/azumanohikari/n/nacc729291f95
天地一切へ感恩
https://note.com/azumanohikari/n/ne95c96878b9e