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随想好日 第十四話『河井寛次郎』という哲学者 3581字 3~5分

 ここでは丁度2年前の原稿である。本節を書いたのは彼此9年前になる。
わたしの大好きな原稿、美術系の随筆のようなものだ。わたしはこの原稿に救われている。

 この原稿があるから、今、生きていると書いてもけして過言ではないし、わたしの小説をはじめとする文藝に取り組むうえでの原点でもある。この原稿をあげてからだろう。わたしは書かなければならないと思えるようになったのは。

 さて、素人として、仕事として様々な美術品であり、多くの絵画を眺める機会を頂戴してきたが、これほどまでに我が魂に楔を打ち込んだ芸術家となると、ここの河井寛次郎、鉄と一村、御舟、ダ・ヴィンチとカラヴァッジオぐらいだろう。

 河井も鉄も、そして一村も、そして御舟も、同じ時代を生きた芸術家である。これがわからない。未だもってわたしにも解せないのである。何がこれほどまでにわたしを惹き付けてやまないのか。

 激動の大正から昭和を駆け抜けてきた芸術家の何にわたしは心捉まれるというのだろう。

 甚だ陳腐になることをお詫びしたうえで書かせてもらうが、『お慕い申し上げております』としか書きようが無いのである。
 
お陰様で、本稿は大勢の皆様に読んで頂き、また皆様からの過分なお気持ちを頂戴しておりますこと、心より厚く御礼申し上げます。

拙い紹介文の為、なかなか解かり難いものだったかもしれませんが、百聞は一見に如かず。是非一度、京都の河井寛次郎記念館もお運びくださいますようご案内申し上げます。

皆様にとりまして、2025年が多幸に彩られる日々となりますよう衷心よりお祈り申し上げます。                 

 世一

『暮しが仕事、仕事が暮し』
そう謳った"哲学者"がいた。島根県安来市出身の陶芸作家であり、大正から昭和の激動期を創作活動に身を捧げた。河井寛次郎氏がその人だ。

 創作活動期は「京都」を拠点として作陶に向き合っており、現在も河井寛次郎記念館として窯跡をはじめ様々な作品を楽しむことが出来る。
外国人観光客の足が多いのも特徴的だ。

河井は書家として、詩人としても名を知られている。
チョットインターネットでググっただけでも河井の遺した言葉にぶち当たることに苦労することは無いだろう。

 中でも『暮しが仕事、仕事が暮し』と詠んだこの作などは知られたところだ。どうだろう。この一編を読んだだけでも並みの哲学者ではないことがわかろうものではないだろうか。

 さて、まずは冒頭のサムネイルを眺めて頂けると有難い。

ここを訪れていただける優しく奇特な読者皆さんの感性をフルに働かせて眺めてみて欲しい。タイトルはあるのだがここで書くことは控え、巻末で紹介しようと思う。
  
 京都は、東大路を北へ上り、1号線の手前150メートルを西に入ると、途端に静謐な町並みに変わる。100メートルも歩くだろうか。北へ上る小さな辻があり、これを上ると右手に記念館が現れるのだが、記念館前はひっそりとしており、ともすると、うっかり通り過ぎてしまいそうな佇まいを見せている。

「営業」とは程遠い風情だ。今にして思えば(2015/02/02)受け継がれてきたご家族にとって、あの佇まいを創り上げ維持されるためには相当の試行錯誤があったであろうことが推測される。

 暮しが仕事、仕事が暮しを体現化してきた芸術家、河井寛次郎にとって、暮らし場所が「浮き上がる」ことは良しとしなかったであろうことを想像することは容易い。

 謙虚に、それぞれの生活の場に溶け込むことによって氏の仕事のスタイルは確かなものへと積み上げられたと眺めることは当然のことと思える。


 話しは前後するが、島根県安来市出身と言えば、芸術愛好家のむきには何度か通われているであろう、「足立美術館」が知られている。足立美術館の創設者・足立全康氏は特に地元出身の芸術家の蒐集に心を砕いたといわれている。そんな縁からか、足立美術館にも数十点の河井寛次郎作品が収蔵されている。

 筆者も河井寛次郎と云う名は昔から聞き知っていた。同時に作品も代表的なものは存じ上げている(見たことがあるレベル)。

 特に、ここに紹介した一枚は有名な作品の一つだろう。したがって、"以下"は私の「感性」を文字おこししたものとご理解頂ければ有難い。

 以前、氏の作品をながむる機会を得た私が感じたこれら作品群のテーマは、「シンメトリー」への拘りと「表裏」の矛盾。即ち「人間」であり、「暮らしの線上にある信仰」への畏れ。すなわち「死生観」へと行きついた。

 作品から滲みだす雰囲気は、完全にシルクロードからの影響を受けたものであることが染付からも覗うことが出来る。葉象化した梵字。草花をモチーフとしてもサンスクリットが顔を覗かせる。

河井は作品作りを通じ、「畏れ」そのものを表現したかったのではないだろうか。人々の暮らしに活きづく畏れ。それは死生観、即ち信仰へと通じる。

「自他合一」河井の座右の銘であったようだ。
畏れは敬(うやまい)に通じる。
己が限界は、合一によって更なる飛躍を遂げる。

所謂、芸術的に美術的に「美しい」と形容されるには少々言葉がそぐわない。しかし凡ての作品が「映くしい」のである。"本質"を映し出す手段としての「芸」であり、映くしさだったと私が書けば幾分恣意的にもうつるか。

この時代「バエル(映える)」という言葉を見聞きするのだが、云い得ての妙を感じられないだろうか。そう。映えるのだ。

多くの作品にシンメトリーと表裏がある。
左右対称なれども、表裏対象ではない。
氏の人間観を表した作品群と言えるかもしれない。

そんな河井がいきついた境地が円であり、丸であり、真球だった。完全なるシンメトリー、表裏の一体化、理想を突き詰め行きついたところが真球だったようだ。自他合一の究極の姿としての「真球」である。

 しかし、河井は同時に人間の持つ不完全さをも"肯定"していたことが覗える。それが、シンメトリーの「歪み」として表現されているように思えて仕方がない。人間国宝の話しも自ら断った稀代の陶芸作家である。

 己を表現する肩書など持たず、暮らしの中に仕事があり、仕事の中に暮らしがある、と戒めた創作活動は私の様な凡人の理解が及ぶところではない。

若いころの作品でも、四角い作品の凡てが、角を削ぎ落され丸みを帯びた肩を見せている。直線的な四角さはない。すべて丸みを帯びた四角さである。

 氏が、なにをテーマとしていたかを知る人は多くはないだろう。行きつくところ「死生観」だったのかもしれない。私はそう眺めている。   


 私が感じたことは、「河井寛次郎記念館」という「暮らし場所」「仕事場所」でながむるからこそ、類いまれな存在感を感じさせる作品群たり得たのではないだろうかということであり、さきの足立美術館の中で、同じテーマを感じさせることが出来るかと言えば、それはとてつもなく難しいと予測する。

 逆もまた、真なのかもしれない。もちろん、これは力量の問題ではない。
あえて申しあげるのなら「身の置き場」ということに尽きるだろう。

 それぞれが、それぞれに相応しい身の置き場に、その身を置いた時、持てる力は開放の時を得る。「芸術と哲学」は対だ。京都へお訪ねの際は是非一度お運び頂きたい。

自他合一、
シンメトリー、
表裏________。
「人間」というテーマが表だとするなら_________。裏は当然のように「死生観」と落ち着くだろう。

暮しが仕事、仕事が暮しということを突き詰めるならば「死生」を掌るもの達への畏れということに結節するのではないだろうか。

河井の書に「此世は自分をさがしに来たところ、此世は自分を見に来たところ」というものがある。どうだろう。死生観という言葉以外引き出すことが出来ぬわたしが愚かなのだろうか。それとも_________ 。

用の美、民藝作陶家。河井を形容する言葉は様々にある。それもこれも自分で付けた呼称ではない。

 人々の暮らしに寄り添ったところから本来の美のあり様を突き詰めた芸術家であり、その姿勢は河井の哲学によって裏打ちされたものと眺めることが出来るだろう。

河井寛次郎作・白地草花絵扁壺・京都国立近代美術館収蔵作品

さて、皆さんには河井がなにを表現した様にご覧になられるだろうか。

私には_________ 初夏、燕のひなが巣立ちを迎え、その雛に飛び方を教えている親燕の姿に見えるのである。

 上手に飛べよ、まあるく飛べよと__________。


文 飛鳥 世一


※サムネイルは数年前に京都市京セラ美術館での展示の際に筆者が眺めたものである。原稿は2015年にアメブロで書き上げたものをnote用にリライトを施し再掲したものである。
以下に貼り付けた写真は、河井寛次郎記念館で筆者が撮影したものであり、2015年のアメブロ原稿で使用したものである。

茶道具のひとつ、建水だろう。"こぼし"ともいわれる。
さて、河井はなぜこれを天目としたのだろう。震える。
奥に見える茶色の小壺の見事さよ。
畏れ多くて、ぬか漬けなど漬けられぬわ。
こういう旅は本当に楽しい。

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