タナコフスキー
現代・百鬼夜行絵図。 誰の心のなかにもひそむ闇をカタログ化。
思考実験小説。
記事作成のことや、日々のことなど、たまーに綴ります。
やっぱり人生、身体が資本。 太極拳や脳科学を学び、人生経験を重ねる中で、有益だと思った情報を共有していきます。
1.幸せの十分条件 もしも幸せかどうかと尋ねられたら、なんと答えるだろう? さらに「理由もあわせて答えなさい」と意地悪く問われたとしたら、こう言えばいい。 「理由のある幸せなんて、本当の幸せではない」 そう。 幸せには、十分条件があるわけではない。 高価な装飾品や贅沢な食事、絶世の美人、桁外れの残高欄などの諸条件を満たせば、必然的にもたらされるものではないのである。 持たざる者からすれば、持てる者は幸せなんだと思うだろう。 しかし、所有欲は、食欲などと同じ
古代中国の歴史書『魏志倭人伝』には、当時の日本列島の住人の風貌について、こう書かれている。 黥面文身、と。 「黥」の部首は「黒」である。魚偏の「鯨」ではない。これは「墨」を表している。「黥面」とは顔に、そして「文身」とは身体に、入れ墨があることをいう。 つまり、卑弥呼の時代の日本人は、全身に入れ墨を施していたということになる。その理由は明確ではないが、魏志倭人伝にはサメやウミヘビなどの危険生物を避けるための装飾だったと記載されている。 江戸時代においても、身体中
1. 尊敬する人物は? 「尊敬する人物は誰ですか?」 学校の先生から聞かれて、困った記憶もあるかもしれません。 なんとなく知っている有名人の中から、いちばん凄そうな人を選んでみたり、適当にお茶を濁した人もいることでしょう。 「尊敬する人物」というと、一般的には、偉大な功績を残した英雄や、歴史を変えた偉人たちの名前が挙がります。 ランキングでいつも上位を飾るのも、次のような偉人たちの名前です。 「レオナルド・ダ・ヴィンチ」 「スティーヴ・ジョブズ」 「アルベル
葛城の古い神、「すべてを一言で言い放つ神」とされた一言主(ひとことぬし)を起源とする。その名のとおり、やたらとコメントしてくる妖怪だ。 とりあえず、一言、なにかを言わずにはいられないらしい。頼んでもいないのに、とりあえず口をはさんでくる。 現代の記号化社会において爆発的な増殖を示し、インターネット、特にソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で頻繁に遭遇することが知られている。 現時点では、大きく2種類の系統が報告されている。 ① 巫術系: 民衆
「なぜ、人間は悪と知りつつ、悪をなしてしまうのか?」 散歩中に見かけた光景をきっかけに、しばらくのあいだ、この問いから離れることができませんでした。 その光景とは、カメラをぶら下げた団塊世代とおぼしき男性が、立ち入り禁止の区域に平然と侵入し、そこに咲き乱れるハクモクレンの花を撮影していたというもの。 妖艶なハクモクレンの純白の花被片は、確かに人を惑わし、惹きつけるものであったことでしょう。しかし、ロープで囲まれ、明らかに立ち入り禁止とわかる場所であっても、かの素人
初めは「摺衣(すりごろも)」かと思った。 しかし、忌まわしき邂逅の場から立ち去って、しばらく経つのに、心中のざらつきは治まることを知らなかった。 そこで、はたと気がついた。 これは「疫病神」だ、と。 疫病神とは、祟りや穢れといった不穏なものを身に纏うものの名である。 忌まわしき黒い靄のようなものが、ねっとりと渦巻きながら、その身体を覆い包んでいる。その霧に触れた者は、同じように霧に取り込まれてしまう。すなわち「感染」するのだ。 霧に感染した人間は、怒り
2015年11月30日、漫画家の水木しげる氏が亡くなりました。93歳でした。 私は、どちらかというと烏山石燕や柳田國男の系統であり、それほど水木氏の熱心なファンというわけではありませんでした。 しかし、水木しげる氏がいなければ、妖怪の存在が、今日において、ここまで語られることはなかったかもしれません。 現代社会に妖怪の存在を伝え、あるいは、自由自在に妖怪を生み出した水木氏は、まさしく烏山石燕の正統な後継者であり、その功績は無視すべからざるものだと感じています。偉
JR西千葉駅に併設された商業施設「西千葉めりーな」内にあるヴィドフランス。 店内に充満した焼き立ての香ばしい小麦と、ソーセージなどが撒き散らす豊潤な獣脂の匂い、そしてチーズのわずかに焦げた香りがミックスされて、周囲の通行人の鼻腔をくすぐる。 店舗に彷徨い込んでくる客の大半は、おそらくこの匂いに捕捉された哀れな犠牲者なのだろう。 JR総武線の高架下で営業している西千葉めりーな。駅ビルと呼ぶには抵抗があるが、書店や飲食店、ドラッグストアなども兼ね備え、小規模ながら、
賑やかな人混みのなかで、一瞬静寂が走ることがある。 妖怪「依り耳」がそっと近寄り、耳を支配した瞬間に他ならない。 依り耳は、取り憑いた人間の客観的な判断力を奪う。 依り耳に憑かれた人間は、言葉の内容ではなく、その言葉を発した人間が誰なのかによって、物事を判断するようになる。 その歴史は古い。 古代ギリシアの時代に、アリストテレスが『弁論術』の中で、聴衆を説得する方法として挙げたのが以下の三要素である。 1. エートス(話者の人柄) 2. パトス(聞き手の感情に訴え
「男もすなる日記というものを女もしてみんとてするなり」 有名な紀貫之『土佐日記』の書き出しです。 われわれも日記を書いてみましょう。 ただし、誰にも見せない日記を。 ソーシャルメディアの隆盛から、誰でも手軽に日々の姿を記録することが可能になりました。わざわざ日記を書かなくても、SNSやブログ、それこそ電子メールの履歴からも、その日に何が起こったのか、ある程度は振り返ることができるようになりました。 そんな時代に、なぜ、あえて日記なのか? 具体的な批評はラ
「誰にも咎められないとしたら、すべての人は悪事を働くのでしょうか?」 三浦佐保は、拾い上げた指輪を見つめながら呟いた。 「宮本さんは、透明人間になれたら、なにをしますか?」 そう言いながら佐保は、ゆっくりと宮本に視線を移した。静かな色をたたずませる切れ長の目が、一瞬きらりと光った。 ----------------------------------- 千葉市中央区松波町。八卦女子高校の前衛的な校舎を囲む閑静な住宅街にひっそりとまぎれるように営業する小さな甘味
美女から生えた無数の腕。その指先からキラキラと光を反射する細い糸が伸び、周囲の人々にまとわりつく。まるで人形浄瑠璃のように、見えるか見えないかという脆弱な糸で人々を意のままにあやつろうとする。 それが浄瑠璃蜘蛛である。 ひたすらに、周囲を支配することを欲する妖怪である。 その糸に捕らえられた犠牲者が、その意に従わないときは、激昂とともに激しく叱責する。極端な場合、異なる意見や自由な感想すらも許されず、敵対的行動として問題視される。周囲に求められるのは、ただ服従ばかりであ
職場や学校・商業施設のトイレを利用したとき、ペーパーホルダーに芯だけが取り残されてるのを見ると、ガッカリします。 ロールの交換ばかりか、ゴミとなった芯を捨てることまで「おまえ、やっとけよ!」と押しつけられたような気分になるからです。 トイレットペーパーが切れたら、ロールを交換して、芯は捨てる。 せめて自分のケツぐらいは、自分で拭きたいものです。(トイレだけでなく) イエローハットの創業者で、「凡事徹底」の提唱者としても高名な鍵山秀三郎先生は「不合理を他者に押しつけない
餓鬼の一種。 他人を蹴落としてでも欲求を満たそうとした人間が、餓鬼道にも落ちず、現世をさまよう姿だという。いわば未熟な餓鬼。とりつかれると、他人の迷惑を顧みず、欲望に駆られるがままに行動しようとする。 その行動は2種類に分類される。 1つが、自分の利益を必死に追うパターン。 たとえば、他人を押しのけてでも電車の座席を狙うおばさん。たとえば、子どもや障がい者を排除してでも自分のペースで歩き続けるおじさん。 自分が日差しを浴びれば、誰かが日陰になる。それは仕方がないとし
現代妖怪図鑑は、念のために言っておくと、私の創作妖怪です。 行動指針となる「幸せレシピ」とは、真逆のベクトルとして、反面教師としての効果を狙った「やっちゃいけない行動」を妖怪の姿を借りて、描き出したものです。
どんなに善い行ないを繰り返したとしても、あることに注意しないと、まったくの逆効果になることがあります。 それは「他人には話さない」ということです。 恥ずかしいことは隠したくなるのと同様に、良いことは他人に話したくなります。家族や友達に話すこともあれば、交流サイトに書いて「イイネ!」と共感を集めたりすることもあるでしょう。 しかし、他人に話すことで、せっかくの善き行いも、その意味が失われてしまうことになりかねないのです。 アドラー心理学では、人間とは他人と優劣を比較して