レシピ6:他者に不都合をおしつけない。
職場や学校・商業施設のトイレを利用したとき、ペーパーホルダーに芯だけが取り残されてるのを見ると、ガッカリします。
ロールの交換ばかりか、ゴミとなった芯を捨てることまで「おまえ、やっとけよ!」と押しつけられたような気分になるからです。
トイレットペーパーが切れたら、ロールを交換して、芯は捨てる。
せめて自分のケツぐらいは、自分で拭きたいものです。(トイレだけでなく)
イエローハットの創業者で、「凡事徹底」の提唱者としても高名な鍵山秀三郎先生は「不合理を他者に押しつけない」ことの大切さを説いています。
鍵山秀三郎『凡事徹底』致知出版1994 P.43~44
「自分にとって不都合なことは他人にとっても不都合なのです。他人にとって不都合であるということに対する思いやりがないのです。思いやりに欠けた行為をすることによって、そのときは合理的になったと思ったことが、必ずそれ以上の不合理になって返ってくるんです。」
使用済みのコップや食器を流し台にポンと置いたままにするということは、誰かに「洗え」と命令しているようなものです。
ゴミを分別せずに捨てたら、誰かがゴミまみれになりながら分別することになります。トイレを汚したら、誰かが他人の排せつ物を掃除するわけです。
私たちが放棄した手間は、誰かの手間になります。その自覚を持って、極力、他者に手間を押しつけることがないよう行動したいものです。
その一方で、私たちは他者の手を煩わせずに生きることはできません。
仏教研究家ひろさちや氏は、以下のように言っています。(「般若心経入門」日経ビジネス人文庫 P.163-164)
わたしたちはみんな、他人に迷惑をかけています。極端に言えば、人間が生きているだけで他人に迷惑なのです。人間が一人いれば、それだけ地球上の酸素は少なくなるのです。(略)自分が他人に迷惑をかけているのを赦されているのだから、わたしたちもまた他人の迷惑を耐え忍ばねばなりません。この世の中は、満員電車のようなものです。自分が乗っているから満員になるのです。他の人間が乗っているのは迷惑だ。他の人間は降りろ! そんなエゴイズムは通用しません。
むしろ生きるということは、迷惑をかけること。
重要なのは迷惑をかけたときに、どういう態度が取れるか。私が考えるに、それは「相手に感謝すること」です。
いま、そこにある不都合を通じて互いに助け合うことで、世界を共有する。
それが人間の自己肯定感の源泉となる「共同体感覚」を育むことにつながります。
極力、他人に不都合を押しつけないよう意識するものの、まったく迷惑をかけないのは難しい。そんなときには素直に「ありがとう」と感謝できる人間になりたいものです。
そして、もしも誰かが助力を申し出てくれたら、素直に甘えるべきです。
甘えて、他人に借りをつくることも人間力のひとつ。「自分ひとりでやるんだ!」と突っぱねるのは、むしろ共同体感覚が未熟な、他人に弱みを見せられない人間の姿です。
「無償の愛」といえるものは、親子の情ぐらいかもしれません。
それ以外の人間関係は、すべてギブ&テイクで構成されていると言っても、あながち間違いではないでしょう。
夫婦や恋人であっても、赤の他人です。
他人に対して、なにも報酬を与えることもなく、一方的に奉仕を求めれば、それこそ突然、奥さんから離婚届を突きつけられることにもなりかねないでしょう。
他者の奉仕に対して、生理的欲求や社会的欲求を満たすような報酬を与える必要があります。特に「誰かに認められたい」という承認欲求や獲得欲求は、人間にとって根源的なものです。
そして、承認欲求に対して有効な報酬の1つが「感謝」の言葉なのです。
感謝の言葉が難しい場合は、獲得欲求を満たす方法もあります。
家政婦であれば、時給1350円程度とのこと。
どうしても不都合を他人に押しつけたくなったときには、1350円をお支払いするという手も考えてみてはいかがでしょうか?(笑)