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レシピ5:陰徳を積む

どんなに善い行ないを繰り返したとしても、あることに注意しないと、まったくの逆効果になることがあります。

それは「他人には話さない」ということです。

恥ずかしいことは隠したくなるのと同様に、良いことは他人に話したくなります。家族や友達に話すこともあれば、交流サイトに書いて「イイネ!」と共感を集めたりすることもあるでしょう。

しかし、他人に話すことで、せっかくの善き行いも、その意味が失われてしまうことになりかねないのです。

アドラー心理学では、人間とは他人と優劣を比較して生きるものだと考えています。だから、良いことは大声でアピールし、悪いことは隠そうとします。

良いことを、他人に語る理由は2つ。

1つは、自分の凄さをアピールしたいから。

もう1つが、他人から褒めてもらいたいから。

問題なのは、2番目の理由です。

他人から褒められることが、善行の目的になっているのです。

褒められるならば、別に良いことをしなくてもいい。さらにいえば、褒められないなら良いことをしなくてもいい、ということにもなります。

江戸時代の儒学者、中江藤樹は「陰徳」を大切にしました。

「善き行いは、ひっそりと他人に知られずにやるのが基本。

 少しでも他人に知られようと思うのは、慢心である。

 慢心は、悪いつながりを呼び、悪い結果を引き起こす。」(※1)


古くから、こっそりと善を積み重ねることを「陰徳」と呼んでいます。

積善と陰徳。切っても切り離せないものです。

ほんとうに小さなことでもいいでしょう。小善を重ねたら、知人には隠すようにしてください。

たとえば「みんなに伝えることで、ゴミを捨てる人に警告するんだ!」という教育的配慮も、一切不要です。むしろ自分ひとりの「善」を他人に押しつける行為にほかならず、「善」とはほど遠いものになってしまいます。

誰かのためにやるのではなく。

誰かの代わりにやるのでもなく。

ただ、ひたすらに「やるべき」だと信じることを、やる。


そう考えれば、おのずと陰徳につながるでしょう。

目の前のことを、ひとつずつ。凡事徹底です。




※1「総じて、善を成すにはひそかに、

  人の知らざるようにとりなすを第一とす。

  少しにても人に知られんと思う心は満心(まんしん)なり

  満心はかならず魔縁(まえん)となる。

  魔縁あればかならず魔障(ましょう)あり」

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タナコフスキー
拙い文章ではありますが、お読みいただき感謝いたします。 僅かでもなにかお持ち帰りいただけたら嬉しく思います。