オレンジ色のガーベラのそばで
雨の降りしきる日に出逢った。
一匹の蝶が水たまりで動けなくなっているのをみつけ、一時保護をして羽を乾かせばまた飛べるかな、なんて思って手を差し伸べた私は大きなショックを受ける。
救出すると、羽は右は外向きに折れ曲がり、左はボロボロに裂けて穴が開いて縮れてしまっていた。
両羽を失った蝶。
もう二度と飛べないことを悟った私。
蝶はまだ若くて美しかった。
何があってそうなってしまったのかは分からないけれど、自然の掟では、自然のままに、人がそこに手を出したりしてはいけない。そんなことは十分に分かっている。それでも水たまりで溺れているのを見て見ぬふりしたり、まだ降り続くものすごい風雨の中で飛べない蝶と知りながらそっとどこかへ置いていくことなど私には出来なかった。その先は想像に容易かったから。
掟に反して手を出した罰を受けなければならないというのなら、甘んじて受ける覚悟はある。
虫籠を持っておらず、はじめはお家にあった段ボールの箱に入れていたけれど、つるつるした表面は掴まりにくいようで、必死にしがみついて滑りながら登っていた。落ちても落ちても何度でも登ってきて、高いところから羽ばたこうと全身で羽を震わせていた。永遠にその動きを繰り返すので体力の消耗を懸念し、不織布で貼られた、蝶が掴まりやすそうな箱を新たに空けた。
広げられなくなった両の羽はもはやこの蝶にとっては枷でしかない。
飛べないことを分かっていないまま羽を引きずる姿に、私も苦しくなった。
過去には
昆虫を家で飼うのは人生で2度目。
6年くらい前に、レタスについていたイモムシを育てたことがあった。
“レタスにつくイモムシ”の時点で、蝶ではなく蛾になることは承知だ。
来る日も来る日もケースから脱走して、夜遅く職場から帰るとケースからいなくなっていて、バスマットの裏や天井など、その途中には障害物だってあるのにどうやってそんなところへ行ったのかと思うほどの距離を移動しての大冒険が毎日のように繰り広げられていた。
「今日はどこにいるかな…?」と、玄関を開けるところから大捜索ははじまり、帰宅後はまず脱走したイモを探すのがお決まりになった。
イモをムート(Mut)と名づけた。その行動力と生命力、勇敢さにちなんで。
10月の下旬に入ると、あんなにも毎日手を焼いていた子が、ある時急にパタリと食べなくなり動かなくなる。すこし縮んでしまって本当に心配した。
でもそれはどうやら次への準備で、しばらくすると蛹になった。蛹になると目に見える変化も動きも全くなくなる。私の日々もそれに比例するかのようにぽっかりと穴があいた。
もうすぐ冬になってしまうよ…!と声をかけたりした日もあった。
羽化する気配が一向に見られないため調べてみると、越冬蛹だということが分かり、春までこの状態のままだということに正直驚愕したのを覚えている。
蛹が乾燥してしまわないようにたまに霧吹きで水をかけて湿潤を保ったり、声をかけたりもした。
ところが。冬を越え、春になっても羽化しなかった。場合によっては蛹のまま駄目になってしまうこともあると耳にして、あと少だけ…あと少しだけ待ってみようと、一日一日不安と心配を掻き消すように蛹を信じて眺めた。
桜も散り、年度末の繁忙期も過ぎ去り、4月も半ばに。
「あの〜、ムートさんすみません。もうすっかりお外は春ですよ〜!」
と、蛹を優しくつんつんして言ってみた。笑
それからまたしばらく経ったとある日。
職場からいつものように夜遅くに帰ってくると、蛹が忽然と消えていた。
大困惑。
時々お部屋にやってくるヤモリや蜘蛛にたべられてしまったのかな💦とか、外的要因のしかも最悪な結末を頭に思い浮かべてしまった。
「わぁぁ…!」
ケースの反対側に回って腰を抜かした。それは安堵と驚きの。
ふわっふわでくりくりおめめの可愛い蛾が、ケースのふちで羽を乾かしていた。
「ムート!」
待って待って待ち続けて良かった。
羽の生えたムート。あの超絶やんちゃなイモムシが美しい成虫の姿で目の前に現れ、生命と自然の神秘を目の当たりにしてとても感激した。至近距離からじっくりと観察もした。
みんながきっと小学生で経験してきたことを、私は大人になってから経験した。
5年生の時「生き物係」だったけれど、教室で飼育していたのはメダカやミッキープラティだけだった。
「強く生きるんだよ」
翌朝の爽やかな早朝に、ムートは東京の空へと舞った。
あんなに動き回るイモは人生でもう見ることはないと思う。
─そんな1回目があった。
4日間の命
蝶の命の灯と最後まで寄り添った。
まずは私も蝶の気持ちになってみる。
無機質な箱ではとても寂しく不安で、自然を再現してあげたくなった。
蝶が、生まれてからイモムシ時代に親しむ大好きなアブラナ科の草花や柑橘の枝葉を入れてあげたくて探したけれど、菜の花は季節外、祖母の家のかぼすと柚子の木の枝を切ってきた。実もサービス。
野の花々はすぐに萎れてしまうので、摘んでも鮮度はわずかな時間しかもたず、お仕事帰りにまだやっていたお花屋さんを訪ねて「アゲハ蝶の好む花」を選んで買うことにした。
真っ先にオレンジ色のガーベラを手に取る。あとは細かなお花がたくさんつく品種が欲しかったけれど、残念ながらそのようなお花は店頭にはなかった。ウロウロする私に店員さんが「なにかお探しですか」と声をかけてくださったので、経緯を説明する。
急にやってきて「蝶にお花を選んであげたい」とおかしなことを言い出す大人の客にも嫌な顔を一つせず「私も蝶、大好きなんです」と黄色のアルストロメリアを選んでくださった。ツツジ科はアゲハ蝶が好むそうで。
助けたのは何の種の蝶なのかまで確認してくださる日比谷花壇の店員さん。流石だ。
他に、コスモスとリシアンサスも選んだ。もしも今外を飛んだら観えるお花や色を選んであげたかった。
さっそく箱の中に秋を運んだ。
華やかに茂ったお部屋で、蝶は好きな花や枝へ移って過ごしていた。
箱は、外の光の入る窓辺に置いた。1日を私に合わせた点灯操作による電光やその明るさの元ではなく、日が昇って沈むまでを自然光に近い状態で過ごしてもらった。暗くなると蝶は好きな場所で羽をやすめていた。
地産の良質な蜂蜜を買ったばかりだったのもタイミングが良く、開封してお水で薄めた蜂蜜水を作って紙にふくませた。カルピスやジュースも蝶の個体によっては好きだよと聞いたので、ミネラル水と合わせて3種を自由に吸えるように用意した。買ったばかりのシャインマスカットも真っ先にカットして蝶にあげた。嬉しそうにストローを伸ばして味わっているようだったので私も嬉しく、安心した。
蝶が来て4日目の出勤前の朝。
子どものように泣きじゃくった。どこかでセーブしていた感情のストッパーが外れてしまったように。
急に涼しくなってから、ここ数日職場でも悲しいお別れが立て続いていた。別れは何度経験しても辛くて悲しい。
もう一度見せてあげたかった花々と枝葉たちの青々とした力強さと生命力が、かえって悲しみを助長させる。
蝶はオレンジ色のガーベラの花びらに頭を寄せて永眠していた。
“ありがとう”
“がんばったね”
出逢った瞬間から深い悲しみを観た。
その出逢いは蝶への救いや幸せに果たして本当になっていたのかな。
これまでも職場で感じ考え続けてきた「延命」についての葛藤を、ひとり静かにぐるぐるとまた考える時間でもあった。
もしもまた次にもう一度蝶に生まれ変わったなら、思いきり好きな場所へ羽ばたいてほしい。木々や草、花から花へ。たくさんの冒険もしてほしい。
私がお花屋さんで真っ先にオレンジ色のガーベラを選んだ理由と希望。
昆虫も動物も、生き物すべて。
どんな小さな命でも私には同じ大事な命。どんな子も、出来ることなら自然界に帰したい。ずっと自由でいてほしい。
私が一生ベジタリアンでいいと幼少期に心に誓った理由はそこにあって、今なお変わらない。
すべての生命が、その生まれた姿のまま自由に好きな環境でその命を全うできること。
そこに人間の都合や勝手や欲望を決して持ち込んではいけない。
いつかのムートと同じように、
蝶と過ごしたこの4日間を私は忘れない。
【オレンジ色のガーベラの花言葉】
神秘、我慢強さ、忍耐強さ、冒険心
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