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思い出すだけでしんどい…。そんな感情とどう向き合う?
「近づきたくない感情、ってあるよなあ。」
昨日、日記にふと書いた言葉です。
今日は、そんな「近づきたくない感情」とどう付き合っているのか、少しだけ書いてみようと思います。
わたしの近づきたくない感情
いまだ言語化したくない体験。
適応障害の契機となった、クライアントとのトラブルです。
詳細を書くのは控えますが
ひじょーに恐怖と嫌悪を感じました。
退職して一ヶ月。
事が起こった部屋の様子や、やりとりを思い出すのは大丈夫になったのですが。その時抱いた感情には、近づきたくない。
不意に思い出すと、槍が体を突き刺します。
傷、深いですね。
感情との付き合い方
思い出してしんどくなる感情。
その付き合い方は、人それぞれだと思います。
わたしの場合、感情を映像に仕立て上げ、擬人化するのがいい感じ。
近づきたくない感情を、生き物のように「感情さん」と呼びます。
感情さんには、わたしから少し離れたところに座ってもらう。無理に話しかけることはしません。
「あぁ、そこにいるんだなあ。」
そう気づいているだけで、今は十分、と思っています。
パワハラ上司に対する怒り
正直、彼に対しては今でもぶん殴りたい衝動があります。
けれど、その衝動にのまれると、わたし自身が崩れる。
なので、その衝動さんにも、今は近づきません。
遠目で「ああ、衝動さんがいる。」と眺める感じ?
いや、それさえしんどい時は、「今は無関心でいますんで」と宣言してます。
理想を言えば、あらゆる衝動・感情と友好的な関係を築ければいいのだけれど、今はできない。
そうやって、「できないんだなあ」と気づいていることが、今のわたしには必要なのだと思っています。
何事にも時がある
亡き母がおしえてくれた言葉に、こんなものがあります。
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「天の下では何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」
生まれるのに時があり
死ぬのに時がある。
愛するのに時があり
憎むのに時がある。
黙っているのに時があり
話をするのに時がある。
もう20年以上、この言葉を暗唱していますが……。やはり救われる。
しんどい感情と向き合うのにも、きっと"時"があるのでしょうね。
無理に今かかわる必要はない。
自分のタイミングで、近づきたいと思ったらそっと近づいていけばいいのかも。
書いてて、そう思いました。
もしかしたら、これを読んでくださってる方の中にも、思い出すとしんどい出来事、感情があるかもしれませんね。
そんなときは、感情さんを自分から剥がして、遠くにいてもらうと、少しラクになるかもしれません。
「近づきたくない感情」
そこにのまれて自分自身がしんどくなるのが分かるから、あえて近づかない。
「今はこうしててもいいんだな」
そう自分に言ってあげられる時間が、わたしはすきです。
そんな時間が
きょうも、あすも
つづきますように。