フラッシュバックと共に生きる日記(3)

4日目 波紋

ついに一睡もできなかった。
この徹夜の病理は、明らかにPTSDによって交感神経が過剰に亢進した結果引き起こされた過覚醒・過緊張だ。というか、これまでの人生全般における入眠困難もおそらく同様の原因によるものだろう。

過緊張に消化管(特に食道・胃)の締まりが伴うことに気づいた今、この不眠に対しては抑肝散加陳皮半夏が良い適応になるのではないかと思い至った。
次回、主治医の先生に相談してみよう。

(参考)

(追記:友人にこのことを話してみたところ、友人は腹部症状は少なく、主に喉が締まるらしい。トラウマが出る身体の部位にも多様性があるんだなぁ…)


さて、布団の中で昨日の日記を一気に書き上げたあと、「なんで今回はこんなに楽なんだ?フラッシュバックが強烈だったときと、そうでない今の違いはなんなんだ?」と疑問が湧いた。
幸い、強烈だったときの記録がちょっと残っている。どれどれ…

わたしには、明確なきっかけなく突然自分の元にやってきて、自分を平静ではいられなくさせる、強烈な感情が3つある。

①「自己否定」…坂口恭平さんが挙げていたとおりのもの。
②「寂しさ」…わたしには、わたしのことを無条件に世界でいちばん大切だと思っていて、溢れんばかりの愛を注いでくれる存在が、過去にも現在にも居てくれないのだという強烈な悲しみと、そのことによる情緒的土台の心もとなさ
③「恨み」…どうしてわたしがあんな目に遭わさなければならなかったのか。逃げ出せない環境での、自分を守ってくれるべき存在からの理不尽な暴力に対する強い強いやるせなさ・怒りと、母があの母でなければわたしはもっと幸せだったはずなのに、という、過去・現在に対する嘆き

「自己否定をやめるための100日間ドリル」を買った【後編】より

んん!?「自己否定」「寂しさ」「恨み」今回、どれもないぞ!!!!!
あれ!?なんでないんだ!?!?!?
それぞれについて、今の自分が思うところを書いてみた。

①「自己否定」
えーっと…。基本的にはどんなわたしもわたしなので、否定しようがないというか…。「ああ、今日はそういう状態なんですね(事実確認)」というだけだ。

②「寂しさ」
うーーん。自分に寄り添えるようになってから、「どうして誰もわたしを見てくれないの、広すぎる宇宙にひとり置き去りにするの」みたいな、精神が裏返るほどの寂しさを感じることがなくなってしまった。あれは、母への思いのようでいて、母の姿勢をそのままトレースしていた自分自身への思いだったのだ。
ただでさえこんなに辛いのに、本来自分の一番の味方であるべき自分に少しも気にかけてもらえないんじゃ、そりゃ〜世界が終わるほど辛いよね。

(※自分に寄り添うための具体的手法については、1月に有料記事を書いています。気になる方は遡って探してみてください)

③「恨み」
「どうしてわたしが」?それは、わたしがこのわたしだったから。
あの親のもとに生まれることは選べなかった。そして、わたしがこの気性を持って生まれた以上、衝突も、虐待も、避けられなかった。だから、もういい。生まれる家も、そのあとのことも、当時のわたしの力でどうこうできることではなかった。親のしたことは一生許さなくていいし、もう、「なんで」と苦しまなくていい。

…なんてこった………。
考えていることが、2ヶ月前とはまるで別人だ………。
(天を仰ぐと書いて仰天)

そうか。これまでは、普通のフラッシュバックに、現在も過去もひっくるめたあらゆる自分の否定という特大のデバフがかかっていたから、しんどさが千倍ぐらいになっていたのか。

今回生じたのは、(警戒せよ、備えよ、自分を加害者から守らなければならない)という、強烈な身体反応。そして、虐待されていた当時に感じていたままの、なまなましい感情だけだ。

…えっ!?もしかして、本来、フラッシュバックって、これまでみたいな「精神の危急存亡状態」ではなく、今回みたいな「心身の異常覚醒侵入反応」で片付けられるものなのか…?
そもそも、何をもってPTSDとするんだっけ…?

「犯罪被害者のメンタルヘルス」p.104

確認した。「記憶の侵入を伴う心身の異常覚醒反応」という理解で間違いなさそうだ。(参照したDSMもICDもひとつ前のバージョンだけど、大差あるまい)

そうか。わたしは、PTSDの一番苦しい症状が出ていてもなお、前を向けるほど回復が進んだんだな……と感慨に浸りかけたら、お腹がさらに固くなって喉もギューっと締まった。まるで、身体に「お前なに感慨に浸っとんねん!そんな場合ちゃうわ!まだまだ死ぬほど辛いねん!!!」と言われているみたいだ。

そうだった。わたしは、理性の力で必死に前を向いているだけだ。自然にリラックスしても前を向けるほど回復しているわけではない。それに、現在のわたしが持つ肯定的自己概念はまだまだ根付き始めたばかり。盤石なものとして扱うべきではない。
それから、今のつらさを、くぐり抜けてきた地獄と比較するべきでもなかった。それより深い地獄があったとしても、当然、つらいものはつらいし、苦しいものは苦しい。

未来を安易に楽観せず、かといって悲観もせず、でも望む未来を見据えながら、今日を生きることをひとつずつ重ねていく。


はじめから読む場合はこちら

いいなと思ったら応援しよう!