能力の形成と発達障害
ある夢を見た。中学の頃、冗談を言う人にツッコミを入れて、周囲を笑わせていた時代の夢。
私はその時代のことに全く関心がなく、楽しかった覚えも、戻りたい気持ちもない。
それは夜中のことだった。
ふと、大学の教授が言っていたことを思い出した。
発達障害には、感覚や感情の「細かな度合い」の形成がない。
重要な要素を忘れていた。
発達障害は、幼児の頃の両極端な反応が、そのまま残っているんだ。
私の発達障害領域はたった1つ―好意。
好きな人ができるとそれがすべてで、つながりの希望を失うと相当な苦しみに襲われる。
好意のない人を切り捨てるのは容易で、利害でしか他人を評価しない。趣味すらない。たぶん業務をこなすだけなら、経営者向きの性格をしている。
「好き」の反対は「嫌い」じゃない。
「無関心」だ。
そこには0と1しかない。
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幼児を観察していると分かるが、実に単純な感情の動きをする。
嫌だったら何が何でも泣き、喜んだら笑う。
他の動物もそうだが、感情的な動きをする動物は、生存本能に従って「快ー不快」の反応を示す。
反射的に「これ嫌っ!」ってなったり、「めっちゃ好き」となるのは、この『快ー不快気分』が幼児の頃から残っているから。
ただ、それが日常生活で困った事態をもたらすことはない。
というのも多くの人は、社会で成長していくにつれて、0から100の間の度合いを形成していくから。
例えば、人から特に嬉しくないプレゼントを貰っても、素直に「これ要らんわ」と言う人はなかなかいない。嬉しそうなフリを一応しておく。
というのも、人間関係のいざこざを防ぐために、反応を調節する能力を獲得しているからだ。
発達障害でコミュニケーションが苦手な人には、これがうまくできない人がいる。
反応が両極端だったり、思ったことをすぐに口にしてしまったりするから、「空気が読めない」と言われてしまう。
例えば、知能が高い人がいるとしよう。
よく、「IQが20離れていると、まともに会話できない」と言われる。
もしIQ120の人が、IQ100の人と話すと、「何でこんなことも分からないのだろう」とか、「何でこんなに感情的で、理屈が通じないのだろう」とか思うことになる。
もしIQ120の人を基準にした場合、IQ100の人は「知能遅れ」になる。
基準より20も低くなるからだ。
だが、現実はそうじゃない。
なぜなら、IQ100は知能の平均値だから。
多くの人が「そうである」ことが平均値で、それより劣ったり、過剰だったりすると発達障害になる。
多くの人は社会で成長していく中で、幼児的な両極端な反応を、制御できるようになっていく。
それができない人を、平均的な人は、「何で彼はああなんだろう」と不思議に思う。
平均的に「彼は何かどこか変な人」と思われれば、その「どこか」の領域は発達障害と疑われるかもしれない。
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他にも発達障害の特徴には、
・強い思い込みや拘りがある
・関心事が極端で視野が狭い
・なかなか習慣が治りにくい
・自己評価の客観性に乏しい
というものがある。
子どもなら皆そうだが、年を重ねても極端に変なところがある場合、発達障害になりかけているケースがある。
親が早い段階で子どもの成長遅れに気づけず、治療しないまま大人になると、大変なことになる。
年功序列の職場で、大人の発達障害の人が上司になると、それはもう大変。
「自分の気に入らないことがあると怒り、しかも反省することもない」というモンスターの相手をするはめになる。
いわゆるモンスターペアレントや神様クレーマーは、こういった人々。
自分の非は棚に上げ、人を責めることは当然という思い込みを常識として生きている。
逆に、周囲からの評価を気にし過ぎる人は、極端に自分を責め、抑うつ気分などの二次障害を引き起こす可能性がある。
たまに、発達障害で特異な才能を持っていて活躍する人もいるが、大半は普通のほうが生きやすい。
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発達障害になる原因で主なのは、「胎児状態から出産にかけてのトラブル」。
例えば、「生まれてきたときのグラム数が平均より少ない」とか「一ヶ月早産だった」などがあると、健常に発達できない可能性が高まる。
たぶん、脳神経が通常の働きとは異なってしまうのだと考えられる。
ちなみに治しにくい理由は、「正常状態が障害」だから。
例えば風邪を引いた場合、風邪の状態が身体にとって異常だから、「元の状態に治す」といったことができる。
けれど、発達障害は「元の状態が障害になっている」というケースなので、医者に薬を貰って治すという治療法は通用しない。
発達障害の治療は、別の人間に変わる必要がある。
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では、何で発達障害の人が問題を抱えつつも、本人でそれを治せないままなのかというと、「自分の問題がどこにあるのか認知できていない」場合が多いからだと思う。
人は関心のないことは、右から左に受け流している。
それは頭の中に引っかからないのだ。頭が働いていない。
本をじっくり読んだ経験がない人は、読む能力が形成されてないから、何かを吸収することがない。頭が働かないで、目だけ文を追うことになる。
「何で自分は本を読めないんだろう」と疑問に思っても、思うだけで、自分では治しようがない。頭が働いてないから。
逆に言えば、疑問の問題点をキチンと認識し、適切なプロセスを踏めば、問題に対処できる。
その適切なプロセスとは、能力を形成することを意味する。
幼児が初めて言葉を覚えたときは、理屈じゃなくて、何度も言葉を反復して聞いて習得した。
重要なのは「習慣的に学ぶ」こと。
大抵の人は、コツコツやれば、何事も何とかこなせるようになる。
日本の学校教育は、それが習慣になるように設定されている。
集団の中で協調性を身につけ、与えられたルールを守る「いい子」であることを学ばせる場だ。
大抵の人はそれで何とかなるが、発達障害はそれで何とかならないから発達障害なのである。
日本でのキャリアに関する社会制度は、平均値に合わせて作られているから、そこに合わない人は難しい。
気質を活かして成功する者もいるが、レールから外れて辛い状況へ陥る人もいる。
別に余所の国だったら問題ないわけでもなく、何らかの障害を持っている以上、経済活動を行うのに、一般人よりもリスクが高い人材となる。
だから概ね、「治療」という形を選択することになる。
具体的な治療法だが、薬が効くかはよく分からない。
私の理論では、発達障害の原因を「度合いを調節する能力形成の遅れ」としているため、薬で何とかなるとは考えていない。
だが、本当にそれが原因なのか検証したわけでもない。
脳に起因する障害なら、薬の影響で神経が何かいい感じになり、改善する可能性もある。
個人的には、「認知行動療法」的な治療法がベストだと思った。
認知行動療法は、うつ病改善やアスリートのメンタルサポートにも用いられているもの。
気分が落ち込むと、何事も悲観的に考えてしまうことは、よくあると思う。
これが極端に進み、仕事や生活がままならないほどパフォーマンスが落ちると、適応障害や抑うつ気分障害、うつ病となる。
主に悲観的に成り過ぎるのは、本人の頭が極端に働き過ぎるから。
言ってみれば、極端に思考する幼児性が機能してしまっている。
認知行動療法は、主観的に働く思考に対し、客観的な事実を認知させることで、歪みを治す。
例えば、悲観的な人は「自分はダメだ」と思ってしまうことが多い。
だが実際、他の人と一緒に検討していくと、そこまでダメではないと確かめられることの方が多い。
逆に、「自分は凄い」と極端に思い込んでいる人に、客観的なエビデンスを示して、それを矯正させる治療も行える。
認知行動療法はうつ病改善に一定効果があるらしく、「極端思考」が構造上似ている発達障害にも、おそらく効果が見込める。
ただ、発達障害で悩む人は、自分がどんな問題を抱えているのか認知できていない人も多い。
それを本人が認めるようになるまで相当時間がかかるだろうし、受け入れた上で改善するよう誘導するのは、本当に骨が折れる作業だと思う。
だがおそらく、能力形成に近道はないのだろう。
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「認知行動療法」という専門家しか聞き慣れない治療法を提示したが、もっと簡単に考えればいい。
子どもが知能を上げるために、学校でどのように教わっているか、と。
小学一年生に、六年生レベルの学びは難しい。
だから、解ける問題から徐々に、ステップアップしていく。
同じように、本人ができる課題を設定して、徐々に発達を健常レベルへステップアップしていくわけだ。
本人が頑張ってトレーニングすれば、修得できる領域を「発達の最近接領域」と言う(ヴィゴツキーより)。
年齢に応じて、クリアできる適切なレベルは違う。
発達障害は、このレベル間が多くの人と異なる。だから、特別クラスで教育する方針を学校は採る。
ただ発達障害と言っても、学校で対応するのは学習障害ぐらい。
自閉症スペクトラム症候群やパーソナリティ障害等は、どこが発達障害か人それぞれで違うため、分類も正確とは言えない。個人差がありすぎて一般的な治療法もほぼない。
反社会性パーソナリティ障害の人に、倫理観を身につけさせることができれば、再犯なんてほとんどなくなる。
しかし治療の難易度は高く、その方法も確立されていない。だから、そもそも犯罪が起こらないように、法治インフラを整える方が低コストで済む。
あえてその治療コストをかけるなら、まず「相手の気持ちへの共感性」を鍛える必要があるだろう。そしてこれが難しい。
嘘ではなく、本心として、相手の気持ちが理解できなければ、再び罪を犯す。
それまでの経験で、相手の気持ちや倫理を理解したことがない人に、いったいどのように教えたらいいだろう?
理屈抜きで感情に訴える必要がある。それなら、物語がいい。
もしかしたら、親から読み聞かせを受けずに、育ってきたのかもしれない。
素直な頭じゃない大人に、読み聞かせや物語で共感性を養うのは難しい。けれど、やれることからやっていくしかない。
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発達障害とは違うが、「職業病」みたいな人もたまにいる。
ミスをしてはいけない仕事に勤めていると、注意が細かくなりすぎたり、失敗への耐性が弱くなりすぎたりしてしまう。
そこで働く上では問題ないが、別の環境でも同じ振る舞いを突き通すと、不適合になってしまう。
どんな環境でも自分をトレーニングして、順応する「柔軟性」が大切だ。
まあ、頭では難しく考えてしまいがちだが、いざやってみると、何とかなるものだったりする。
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たぶんだが、皆どこか発達障害的なところはある。どこかが幼児の頃のまま、成長してきちゃった人はたくさん居る。
発達障害で目がつく人は、特に重要な「対人スキル」の発達障害だから、生き辛くなっているのだろう。
他人と違っても、それは「個性」でしかない。
治す必要があるのは、働いたり、生きたりする上で、支障がある場合だ。
対人スキルに問題があっても、それが必要のない仕事があればいいし、何か生きがいがあればいい。
企業には障碍者枠を設けているところもある。生きるのはそんなに簡単ではないが、道がないわけではない。
当然、治療に成功する場合もあるだろう。
どちらにせよ、自分が可能な選択肢を選び取っていくしかない。
現実は理想には遠く及ばない。
認知は、その理想に合わせるものではない。
認知は目の前の現実に合わせるものだ。
現実とは、やれることを、ひとまずやっていくことだと思う。