私がエッセイを書き続ける理由
私は何のためにエッセイを書き続けているのだろう。
その問いに答えられているか分かりませんが、いま思うこととして、自分なりにエッセイの意味(役割)を考えてみました。
自分自身に捧げるエッセイ。そんなタイトルの1ページに相応しい内容になると思います。
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エッセイという存在との出会い
田中泰延氏の著書「読みたいことを、書けばいい。」の引用ですが、事象と心象を織り交ぜた文章が随筆(エッセイ)に相当します。要するに、事実と感想を合わせた文章は全てエッセイなのです。
これまで自分の周りには論文のような感じの文章が多くて、自分も論文なりレポートを書くことに多くの時間を割いていました。
上記の通り、まさに「研究者」が書くような文章ばかりに触れてきました。
ブログ(note)を書き始めて、新たにエッセイに進出して、ようやく新しい自分を発見できました。
エッセイを楽しんでいる今の自分は、自分自身でも驚くほどの大発見です。
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私なりのエッセイの役割
私が書くエッセイは過去の自分に関する振り返りが大半を占めます。過去の自分との対話です。
常に自分自身の本音に向き合いながら、描きたい未来について広く深く考える。それを考えるには、自身の過去に触れることが必須です。
自分が本当にやりたいこと。私に対しては難しい質問です。周りの期待に応えることに軸を置いていた、まさに受け身の自分でしたので。
ここで書くエッセイは、将来の自分を描くための大切な自分だけの文集です。そして、最も直近的な自己投資でもあると考えています。
すなわち、自分の心の奥底にある願望を探し出すためのエッセイなのです。
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エッセイを通して自分を癒す
前にも書いたことですが、私はブログを通して自分の心の中の声を聞きたい。つまり、心のモヤモヤなど沸々としたエネルギーを昇華させることです。
現実社会では、数多くの意見を浴びせられます。それに対して共感や反発しながら生きています。多くの感情の揺動の果てに疲労困憊した自分を救うこと。これが私のエッセイを書き続ける理由です。
書くことは生き方を示すことと同義です。自分の生き様に対する一番のファンは自分であるべきなのです。そうでなければ、誰も付いてこない。
自分の文章の意義は、自分自身を自助努力で癒して、現代のストレス社会を生き抜いていくこと。そう考えれば、かなり立派なものだと思えてきます。
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おわりに
最後は自画自賛で終わりましたが、私のエッセイは自分がこの世で生きていくために必要な癒しであり、私なりの自助努力です。
自分自身が一番のファンでなければいけない。これは今回紹介した本からの主張ではありますが、自分を受け入れるためには、自分という素材を好きでなければいけないと思います。
自己肯定感と言えばそれまでですが、自己肯定感を育むためのいち手段として、エッセイを書き続けるのはアリだと、最後に皆さんに伝えたいです。
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最後まで読んで頂き、ありがとうございます。この記事があなたの人生の新たな気づきになれたら幸いです。今後とも宜しくお願いいたします♪♪
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