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眼鏡という聞き書きスタイルの翻訳は藤本和子スタイルだった

『曇る眼鏡を拭きながら』くぼた のぞみ/斎藤 真理子【著】

ひとりでも拭けるけど、ふたりで拭けば、もっと、ずっと、視界がひろがる。

ノーベル文学賞受賞作家、J・M・クッツェーの訳者として名高いのぞみさん。
パク・ミンギュ『カステラ』以降、韓国文学ブームの立役者である真理子さん。
「ことば」に身をひたしてきた翻訳家どうしが交わす、知性と想像力にみちた往復書簡集。

生まれ育った地に降りつもる雪、息もたえだえの子育て期、藤本和子との出会い、出版界の女性たちの連帯、コロナ禍とウクライナ侵攻の混迷……丹念に紡がれた、記憶と記録のパッチワーク!
目次
二〇二一年十二月 斎藤真理子さま
二〇二二年一月 くぼたのぞみさま
二〇二二年二月 斎藤真理子さま
二〇二二年三月 深掘り根ほり葉ほりが冴えてるくぼたのぞみさま
二〇二二年四月 手触りを大事にする斎藤真理子さま
二〇二二年五月 「オイラ」がすてきなくぼたのぞみさま
二〇二二年六月 比類なき「みのむし記録魔」の斎藤真理子さま
二〇二二年七月 眼鏡を新調したのぞみさま
二〇二二年八月 翻訳を詩から始めた真理子さま
二〇二二年十月 「牧歌的」だったあのころにお会いしてること確実なのぞみさま
二〇二二年十一月 「文学少女」という表現が嫌いだった真理子さま
二〇二三年一月 最後の最後まで頼りきりだったのぞみさま

翻訳という作業は読者が作品を見えやすくするための眼鏡であるというのは、翻訳者によって作品の傾向が変わるのは一人称一つとっても僕と私では受ける印象が違う。そういうことでは辞書的な正確さよりは文脈をどう日本の読者に伝えていくか、

くぼたのぞみと斎藤真理子の往復書簡で手紙だから読みやすく、二人が翻訳者として、文学や作家のことを聞ける。翻訳は一つの聞き書きという藤本和子の話から面白かった。藤本和子は「翻訳はコンテンツ(文脈)が大事」という。直訳の正しさではなく、日本語でどう伝えていくかなのだ(二人の翻訳小説の日本語の読みやすさは、聞き書きに通じることがあるのかもしれない。また藤本和子のリスペクト会「塩を食う女たち」(通称「塩の会」も立ち上げメンバーだという)。二人の翻訳本を読むのが多いのもそういうことなのだろうと思う。

くぼたのぞみは直前にクッツェー『サマータイム、青年時代、少年時代』を読んでいたこともあり、大いに感心するところがあった。書簡を読んでまた思い出すところもあったりして、例えば「少年時代」でクッツェーの母が自転車に乗ることに挑戦したのを、彼と父は笑っていた(女はそんなことをするもんじゃない的な)のを後になってクッツェーは後悔し、あのときの埋め合わせはしたいと決意するのだった。母親に対してのアンビバレントな感情が描かれていて、そこも良かったかなと。

直前にクッツェー『サマータイム、青年時代、少年時代』を読んでいたこともあり、くぼたのぞみの手紙には大いに感心するところがあった。ウクライナの老女がロシア兵に渡したという「ひまわりの種」の詩とか、斎藤真理子も詩から翻訳を始めたようだ。詩は辞書通りの言葉ではなく、作家の背景やら文化がその言葉の奥には潜んでいる。直訳の正しさよりもその国の文化に精通しているかがものを言うのだろう(くぼたのぞみは南アフリカで白人であるクッツェーの政治的ややこしさは解説しなければわからないという)。二人はそういう文化社会にも精通しているものがあると感じられる。斎藤真理子の翻訳するという作業と同時に韓国の民主化運動の実態を教えられたという。斎藤真理子が翻訳作業をしていた80年代のバブル時代の中でそうした孤独さに耐えていたが、また仲間もいたということだった。80年代はバブルの時代だけどその前半と後半では全く違っていくということだった。

あと斎藤真理子のメモ魔はほとんど病的とも言えるような。何冊もノートがあって、書籍の引用ノートやら、日々の間違いノート(呆け対策というような)、スケジュール帳、日記など。ほとんど感心するけどわたしはそれらはnoteになっていた。Xになる前のTwitterとか、結構過去は検索出来るようになっていた。Twitterを始めたのが東日本大震災の時だから。そのころは小島慶子のラジオを聞いていて(ラジオの女王だった)彼女がTwitterをやり始めたのでやってみたいと思ったのだ。でも、今調べたらもっとも古い書き込みは無かった。ネットはそういうのがあるから記録として残したいのならやはり手書きのノートがいいのかな?最近手書きのメモを始めたがほとんど役に立っていないで捨ててしまう。書くことによって記憶する程度か?

書籍の引用ノートは今はある程度の言葉がわかればネット検索出来てしまうということだった。アリ・スミス『夏』の冒頭で学校の宿題を検索で提出しようとする娘が引用元の書籍を示せないから母は駄目だというのを言うことを聞かない。その引用がハンナ・アーレントで「知的名言集」というどのサイトも出ているが実際のハンナ・アーレントの書籍はわからないから、彼女の言葉か確実性がないと母は主張するが、娘はその引用はアーレントのものであろうとなかろうといい言葉なんだから、それがすべてだと主張する。ネットはAIの問題もあるし、難しい。わたしは最近うろ覚えの引用ばかりしてたような。「翻訳はコンテンツ(文脈)が大事」というのは確かだから、この言葉は重要になってくる。

斎藤真理子の話で面白いのはブローティガンに飲み会で会ったときに韓国翻訳者ですと自己紹介したら罵倒されたという話。朝鮮戦争でブローティガンの親友が辛い思いをしたかで、ブローティガンは韓国嫌い。日本贔屓なのは彼の詩が良く読まれているということだったが、藤本和子がアメリカでインタビューしたときも印象がよくなかったとか『アメリカの鱒釣り』のあとがきに書かれてあるという。当時はアメリカ文学の影響は両村上とかパパアメリカ的なヘミングウェイとかメルヴィルとか偉大な父なるイメージで、わたしはアメリカ文学よりママンのヨーロッパ文学が好きだったから、あまり読んででなかった。アメリカの詩を読み始めたのもごく最近で、ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』も読んでなかった。読んだのは『西瓜糖の日々』だけだった。

だからあまりブローティガンの印象もアメリカの詩人ぐらいしかないのだが、ブローティガンは韓国でも人気で斎藤真理子が最初に訳した『カステラ』の著者パク・ミンギュにそのことを伝えたらブローティガンを主題にした短編小説が送られてきたという後日談が面白い。

さっそく『アメリカの鱒釣り』も読まなきゃ。


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