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青波零也
2019年11月1日 06:31
オズはよく、窓辺に腰掛けて霧の天蓋を見上げていた。 その頃のオズはまだ言葉も喋れなくて、だから何を考えてるのかなんてさっぱりわからなくて、そこに何が見えているのかも、誰にもわからなかった。だから、ぼんやり頭上を見上げるオズの横で、オズの好きな――好きか嫌いかくらいは流石の俺にだってわかった――歌を歌うのが、朝の仕事を終えた後のもう一仕事だった。「なあ、オズ」 歌の合間に話しかけても、もちろ
2019年11月2日 06:25
ある時期から、手紙のやり取りを許された。 とはいえ、手紙を出す相手など、たった一人の友くらいしかいなかった。彼は昔からそうであったように今も筆まめで、不自由な手で綴った長い近況報告の手紙を私に寄越してくる。それに対して私は、もはや日が過ぎるのを数えるのもやめてしまった、単調な独房の日々を端的に綴って返すだけだった。 果たして、私が『雨の塔』に来てからどれだけ経ったのだろうか。彼からの手紙で外
2019年11月3日 06:25
「これ、何です?」「芋だ!」「……本当に芋か、これ」「何か紫色してるけど」「こっちのやつは青いぞ」「大丈夫! オズが鼻血出して鑑定したから! これは芋!」「だからオズがいないんだね……」「オレが言うのもなんですけど、『虚空書庫』の無駄遣いやめません?」「後でオズを見舞ってやらんとな……」「というわけで。今からこいつを焼いて食うぞ!」「ボクはパス」「オレもパス」「私もやめてお
2019年11月4日 09:36
人恋しくならないのかとアレクシアは言った。「こんな場所でずっとひとりなのだろう? 人恋しい日もあるんじゃないのかい、叔父さま?」 正確には常に誰かの目に晒されてはいるのだけれど、実質「ひとり」であるのは間違いない。私に必要以外の言葉を投げかける者は一人もいないのだから。 しかし、私はアレクシアの言葉に頷くことも首を横に振ることもないまま、曖昧に笑うことしかできなかった。不思議そうな顔をする
2019年11月5日 06:18
『怪盗カトレア』が最初に狙ったのは、とある富豪が所有しているブルートパーズだったとされる。トパーズが安置されているべき場所に『怪盗カトレア参上』と書かれたカードが残されていたことから、かの怪盗が『怪盗カトレア』という名であることが明らかになったのだった。 それから『怪盗カトレア』は首都のあちこちで高価な宝石「のみ」を奪い去る、まさしく怪盗の名に相応しい活躍を見せていたが、ある時からはそれに加えて
2019年11月6日 06:17
気づけば、目の前に見知らぬ光景が広がっていた。 霧の中に浮かぶのは、色とりどりの霧払いの灯に照らされた巨大な門で、その向こう側は霧に霞んで見えないが、いやに明るい場所であるということだけはわかる。ほとんど光の塊にしか見えないそれが何なのかわからないまま、私はぼんやりと門の前に立ちつくしていた。「お客様、チケットはお持ちですか?」 不意に声をかけられて視線をやると、今時劇場でしか見ないような
2019年11月7日 07:25
「ああ、麗しのガートルード。君の眼は宝石のように煌いて、私を魅了してやまない。君の声は私の知るどの楽器よりも美しい音色を奏でてみせる。君の指先は世界中の彫刻家を招いたとしても再現することは叶わないだろう。果たしてこれは創造の女神のいたずらだろうか、君を形作る全てが、霧の中に輝いて見えるのだ」「……ネイト」「どうかその眼を私に向けてくれないか。その声で私の名を呼んでくれないか。その手で私を招いて
2019年11月8日 07:40
カンヴァスに筆を走らせる。 大きなカンヴァスいっぱいに広がっているのは闇。けれど、ただの闇ではなく、その中にいくつもの光点が輝いている、そんな風景。 ――これもひとつの「空」なのだとオズワルド・フォーサイスは知っている。 いつから、見たこともない「空」の夢を見るようになったのか、オズははっきりと言い切ることはできない。ただ、物心ついた頃には既に「空」に取り付かれていた。果てなく広がる青い空
2019年11月9日 06:20
ポツン、とどこかから水滴が跳ねる音が聞こえる。『雨の塔』の周辺は不思議と雨ばかりで、もしかするとどこかで雨漏りをしているのかもしれない。この部屋は塔のうちでも随分高いところにあるようだったから。 ポツン、ポツン。 どこかリズムを取るように響く雫の音に、遠い日の記憶が重なる。 その頃の私はまだ学生で、当然の作法のひとつとして楽器を嗜んでいた。おそらく友もそうだったのだとは思うが、私と決定的
2019年11月10日 06:21
翅翼艇に乗っている時の感覚は、霧航士によって大きく異なるのだという。 例えば、ゲイル・ウインドワードは翅翼艇を通して風の音色が「歌」に聞こえるのだといい、トレヴァー・トラヴァースは自らの身が溶けて翅翼艇と一体になる感覚なのだという。 そして、オズワルド・フォーサイスにとって、翅翼艇とは「水」のようなものだった。 うなじに同調器を取り付けて、目を閉じる。ゲイルの歌声を聴きながら、人間の肉体を
2019年11月11日 06:22
女王国首都の地下迷宮『獣のはらわた』には未だに解明されていない不思議が山ほど詰まっている。 例えば、地下であるにもかかわらず、四季と呼べるものがある、だとか。 ぽつん、とフードに何かが落ちてきた感覚に『ヤドリギ』は少しだけ視線を上げる。見れば、ぽつ、ぽつと天井から水滴が不規則に降り注いでいるようだった。「そうか。もう、そんな季節だったな」 誰にともなく『ヤドリギ』は呟く。 地下迷宮にも
2019年11月12日 06:17
先生には妙な癖がありました。 ネイト・ソレイルは、いつも不思議に思いながら先生の仕事を見つめるのです。 先生の右手には、使い古された万年筆がひとつ。黒い軸に金色の装飾が施されたそれは、先生のお気に入りで、たくさんある先生の万年筆コレクションの中でも使われる率が随分高いものであることをネイトは知っています。インクの色はブルーブラック。青みを帯びた文字が、紙の上に躍っていきます。 そして、先生
2019年11月13日 06:34
「あの病院を見ると、思い出しますね。 数年前、大きな病気を患って、あの病院に入院していたことがあるんです。 その時、病院の中庭で、すごく綺麗な人に出会ったんです。その人も患者さんだと思うのですが……こんな言い方、おかしいかもしれませんけど、どこか人間離れしていて、まるで絵本の中から出てきたような。そう、妖精のような人だと思いました。そのくらい、ただ綺麗なだけではなく、不思議な雰囲気の人だったの
2019年11月14日 06:20
ゲイルのポケットの中には何でも入っている、と信じていた頃がオズにもあった。 ゲイルがポケットに手を入れれば、出てくるのは銀色のコインにつやつやの硝子球、綺麗な形の小石にその辺で釣ったザリガニ。そういうものをいっぱいに詰め込んだポケットはいつだってぱんぱんで、そんなゲイルをオズはきらきらした目で見つめていたのだと思い出す。 ……その悪癖が今も続いているというのは、流石にどうかと思うのだが。「