日本でよく知られている禅宗には二つの主要な宗派がある。その一つである曹洞宗は、座禅を中心とした修行を行うが、もう一方の臨済宗は公案や禅問答を含むため、理解が難しいとされることが多い。これから、「禅の悟り」や「喝」の意味について解説する。
臨済宗
臨済の人物像
臨済義玄は、中国唐代の禅僧であり、臨済宗の開祖。当初は経典を学んでいたが、心の安らぎを得ることができず、禅の道に転じて黄檗希運の門に入る。そこでの厳しい修行を経て、大きな疑問に直面した後、大愚に師事し、その一言で悟りを開く。臨済は悟りを得た後、中国禅宗史の頂点に立ち、特に「喝」という激しい叫び声を使う厳しい指導法で知られるようになる。
その厳格な禅風から「臨済将軍」とも称され、多くの禅僧に影響を与えた。
臨済録
臨済は、孟子のいう「大丈夫」
自己の本質を理解し、それをしっかりと体得することが大切である。この本質を理解すれば、世の中の偽物に惑わされることはない。自己が本来の自己であることが最も尊いのであり、それ以上に何かを付け加えたり、考えすぎたりしてはいけない。ただ「あるがまま」でいることが良いのだ。
しかし、お前たちは外の世界に何かを求め、それを頼りにしようとしている。それが間違いである。求めるべきものは外にはないのだ。仏を求めようとするが、その仏とはただの名前に過ぎない。その求めるものが何なのか、しっかりと理解しているのか。外の世界に仏を求めてはいけないといいながら、実際には外に仏を求めている。現代のお前たちもまた「法」を求めているが、その法とは一体何であるのか。
法とは「心」である。心は形がないが、この世界に満ち溢れ、生き生きと働いている。しかし、多くの人はこれを信じきることができない。そのため、菩提や涅槃といった概念や言葉にしがみつき、文字や概念の中に仏法を求めようとするが、それは全くの見当違いである。仏法は文字や概念の中にはない。心こそが真実であり、それを見失わないようにしなければならない。
赤肉団上《しゃにくだんじょう》と乾屎橛
|赤肉団上に一無位の真人=生身の肉体の大丈夫
禅の根本思想
禅の思想:基本概念とその意義
禅宗の根本思想は、教外別伝、不立文字、直指人心、見性成仏の四つの原則に基づいている。これらの原則は、禅の精神を形作り、その独自性を際立たせている。本論文では、それぞれの概念を解説し、その意義について考察する。
教外別伝:文字を超えた伝承
禅宗は、仏陀の悟りが以心伝心によって受け継がれ、経典を超えた方法で伝えられてきたと主張する。この伝承は、西天28祖から始まり、中国の六祖慧能に至るまでの系譜に見られる。しかし、特にインドにおける伝法の部分は、歴史的な証拠に乏しく、中国思想の影響を受けて形成された新たな考え方である可能性が高い。この伝承が禅宗の正統性を主張するために創作されたものである可能性も否定できない。
不立文字:言葉を超えた悟り
禅の悟りは、言葉や文字では表現できないものとされる。これは、科学における実験結果が日常の言語では正確に表現できないのと同様に、坐禅によって得られる純粋な経験は、二元的な論理思考を超えているためである。しかし、現代の脳科学の視点から見ると、これまで表現不可能とされてきたものも、言語で解明可能なものとなりつつある。そのため、「不立文字」という概念は、将来的には「可立文字」や「富立文字」といった表現に置き換えられる可能性がある。
直指人心:心に直接触れる体験
禅の悟りは、経典の学習によって得られる知識ではなく、坐禅による直接的な体験から得られるとされる。この体験は、仏法と自己に対する深い問いかけを持つことで初めて到達できるものであり、禅においては知識よりも体験が重視される。
見性成仏:本性を見て仏となる
禅の究極的な目的は、自己の本性(仏性)に目覚め、それによって仏の境地を達成することである。この「見性成仏」という概念は、特に慧能の南宗禅において強調されている。禅宗では、悟りとは心の深い理解と体験を通じて得られるものであり、それによって仏と同じ境地に達することが可能であるとされる。
禅宗の教えは、経典に縛られることなく、直接的な体験を通じて悟りを追求することに重点を置いている。この点で、禅宗は仏教の他の宗派と異なる立場を持ち、深い精神的な探求を促す。これらの基本概念は、禅が他の仏教宗派とは異なる方法で人々の心に働きかける理由を示しており、その意義は現代においてもなお重要である。
禅の公案
隻手の声
参考文献
仏教の基礎知識シリーズ一覧
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