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死んでほしい

私は“普通の人”とは一生分かり合えないと思っています。この“普通の人”というのは、どう定義すればいいのか分からないけど、「自分は人とは大きく違う…普通じゃないんだ…」と認識したことがない人を指している感じです。

恵まれない環境や境遇で苦しい、辛い経験を数え切れないほどしてきた…。そういう人たちの生きる気力が失われているのは当然のことです。私が恵まれているのかどうかはさておいて、私の死にたいという強い気持ちは、悪い気持ちが積み重なった結果です。

私は自分や家族だけでなく、周りの幸せそうな人たちを見て、「死んでほしい」と時々思います。世界の滅亡や破滅を祈っていたこともありました。デカい隕石でも地球に衝突して、星ごと消えてなくなればいいのに…、宇宙の塵になればいいのに…、とまるでつまらないフィクションにありそうな内容を頭に思い浮かべていたこともありました。

私は家族連れを見ると恐怖や気持ち悪さを感じます。働いていた時は家族連れを見る度に、その人たちと関わる度に、意識していないだけで、実はものすごい嫌悪感を抱えていた気がします。

私は基本的に人が嫌いなので子供もそんなに好きではないんだと思います。ただ汚い大人よりは純粋無垢な子供の方がマシだと捉えているだけです。

声が大きい子供を見ると、たまに「ウザい」「キモイ」と思います。子供はそういう自由奔放な生き物であるのだろうけど、正直私は気持ち悪いと思うこともあります。人間誰しも子供だった時期があるはずなのに、他人の子供を見て疎ましく思う大人は意外と多いです。私もその大人の一部であるような気がするんです。

多分、私もそういう子供のことを快く思わない大人に属する人間です。人前では何も言わないけど、子供はなんとなく嫌いです。そんな考えに至るくらい、いつの間にか私の心は腐敗しました。

自分の心が腐敗しているから、悪いことばかり考える、世界が歪んで見える、人が嫌いなんだ…と思えば、合点が行くのでそういうことにしています。

自分を下げることで楽に世界を捉えることができる気がするんです。私はすでに死んだような気分で生きています。自分の人生を生きるつもりもそんなにありません。早く死ねることを願って息をする毎日です。正直、私に明日はいりません。

やりたいことがあったとしても、それを叶えられなくたって、私は全然大丈夫なんですよね。元気も出ないし、気力も湧かないし、自分の身体だけどこかに置いてきてしまったような感覚です。

ただベットの上でぼんやりしている。夜は眠れない。眠りたくない。漠然と死にたい。明日が来ないでほしいなあと願う。でも、気づいたら、知らぬ間に時間が経って明日になっている。そして、一日が始まる。機械のようにやるべきことをこなす日々。

希死念慮を抱えながら、自分に死んでほしいと思いながら、時間に流されるままに過ごす私の行く末はどこなんだろう…と思いました。私はどこに向かって進んでいるのか、それに興味はあります。どんな最期を迎えるのか、自分の目で自分を見たい、今はただそれだけで生きています。

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