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ヌーソロジー

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2023年3月の記事一覧

扇を手に持ち、鳥居をくぐる

扇を手に持ち、鳥居をくぐる

昨日は椿のトンネルをくぐりながら、スローでウォーキングしたことを書きました。それはとても濃密な時間と空間であったと思います。

しかし、昨日はそれで終わりではありませんでした。そのあと、すぐ近くの神社の境内で、みなが扇を持ち、鳥居をくぐるということをしたのです。

参道というのは独特で、また鳥居というのも普通のセットとは違いますね。また桜の花びらがなにげに美しいです。

昔、バリの踊りを踊っていた

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椿のトンネルを往って還る〜トキトコロノマリ

椿のトンネルを往って還る〜トキトコロノマリ

昨日は茨城県某所において、お花見がてらの原初舞踏散歩に出かけました。

その日は朝から風が強く、車で走りながら常にどこからか舞い落ちてくる桜の花びらを感じながら、集合場所にたどり着いたら、そこに素敵なお花のオブジェがありました。

それはその素晴らしき1日の始まりとしては出来過ぎと言っても良いような予兆であったと思います。

水が入る直前の田んぼが並ぶ里山のアップダウンを歩きながら、昔ながらの大地

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原初舞踏、歩行の稽古の中で見えた世界

原初舞踏、歩行の稽古の中で見えた世界

昨日は原初舞踏の稽古がありました。歩行の稽古の中でいくつものステップがあって、それはとても意欲的な実験的な試みだったと思います。

全身全霊で歩くところから、立ち止まり、目を閉じて足の裏を感じると、足の裏がセンサーとなり目となっていきます。ほんの少しだけ身体を動かすことで、その向こう側にいる自分の影?分身?を感じながら、どんどんと自分という存在の領域が大きくなっているのかも知れません。

ここまで

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いよいよ動くぞと言ってみる!

いよいよ動くぞと言ってみる!

このnoteを書き始めて、これで274日目、なんと274日連続で書いたのだそうです。

記事の本数としてはこれが298本目と言うことで、なんだか遠くへ来たもんだという感じがします。

最初は目指せ100投稿くらいの気持ちで始めたのですが、気がついたら9ヶ月を超えていました。ここまで来たら、1年は続けたいなと思っていますが、果たしてどうなるでしょうか? 

最初はとにかく僕自身書くことがコンテンツと

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伝統芸能におけるスローと原初舞踏におけるスロー、スローの意味とは?

伝統芸能におけるスローと原初舞踏におけるスロー、スローの意味とは?

先日来、YouTubeで見つけた地唄舞の武原はんさんという名人と謳われた踊り手の方の動画を見て、その動きに興味を覚えました。その動きがとてもゆっくりで、いわゆる原初舞踏で行なうスローの稽古を彷彿とさせる動きだったからです。

また扇子も使われていますし、最初は何気なく見ていたのですが、やがてこの動きをなぞって動いてみると、それはやはりスローで動いていますから、僕自身は独特の意識状態に入っていくのを

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この世に存在する最大級の嘘

この世に存在する最大級の嘘

今日はこちらの動画を見て、思うところがあったので、言葉として残しておこうと思います。

彼女の言うように、自分とは何かと問うことから始まりますね。

この世に存在する最も大きな嘘は自分が何者なのかということに関するものであるということです。

そこに最も大きな陰謀が隠されているということですね。

これはまさしく三次元の中で時間に追われて生きているという視点のことだと思います。

それは社会的な自

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いのちとは!? 自分で自分を看取る時代

いのちとは!? 自分で自分を看取る時代

今日はFacebookの中で、知り合いがシェアしていた、養老さんの動画を見ました。

最初の方に、自殺率が非常に高くなっていることについて語られています。一人当たりのGDPと自殺率に相関関係があるというような数字は興味深いです。

これまで人間が良かれと思い進化させてきた方向性、たとえば、技術が発達し、世の中が便利になり、医療が発達し、食糧も増産できるようになり、人が即座には死ななくなったという事

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人間型ゲシュタルトから変換人型ゲシュタルトへ

人間型ゲシュタルトから変換人型ゲシュタルトへ

今日は1月の関西ヌーソロジー研究会のレクチャーからの切り抜き動画が配信されていました。世の中はいろいろ不穏な情報で溢れていますが、この川瀬統心さんの話しぶりを聴いていると、ヌーソロジー的な世界観が見えてくることで、人間がどのように変化していくのかということがわかる感じがします。

ことわりが見えることで、今の位置がわかることで、人間は不安や恐れから解放されるのだと思うのです。むしろ、これから起こる

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名も無きものと共に在る今

名も無きものと共に在る今

最近、よく見ている小野さんの動画です。

はっとすると言いますか、

名も無き者としての自分と、
名付けられた自分と、
これは地と図のようなもので、
片方にいるときは片方が消え、
反対に移れば、反対が消えるような関係なんですね。

先日、「われここにあり」と宣言することを書きましたが、この「われ」は名もなき自分でありながら、その実、切っても切れない関係として、名付けられた自分も重なっているわけです

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「正面が正面を観る視線」から触発されて考えたこと

「正面が正面を観る視線」から触発されて考えたこと

本当にいろんなことを含んでいて、思わず唸ってしまった小野満麿さんの動画「正面が正面を観る視線」。今の自分のテーマにドンピシャというのもあるかも知れない。

最近しょっちゅう考えている言葉が並んでいて、それらを自分の中で並べ直してみたり、再構成してみることで、今自分の中で進行中のプロセスが何なのか、あらためて問い直してみたいと思った。

なぜ翁だったのか、その先に何があるのか、なぜ大地に横たわるとこ

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