扇を手に持ち、鳥居をくぐる
昨日は椿のトンネルをくぐりながら、スローでウォーキングしたことを書きました。それはとても濃密な時間と空間であったと思います。
しかし、昨日はそれで終わりではありませんでした。そのあと、すぐ近くの神社の境内で、みなが扇を持ち、鳥居をくぐるということをしたのです。
参道というのは独特で、また鳥居というのも普通のセットとは違いますね。また桜の花びらがなにげに美しいです。
昔、バリの踊りを踊っていた時には、日本においても神社やお寺の参道で踊らせてもらうということが度々ありましたが、それはバリ島でなんらかの儀式やお祭りの時に踊らせていただく時と、なんら変わることなく、そこに立つと自然と背筋が伸び、身体は準備をするのだと思いました。
ある意味、扇を持ちながら歩行をするわけです。ゆっくりと進みながら、稽古場での歩行の稽古を思い出しながら、やはりここにおいても、「われここにあり」と宣言しました。
参道を少し進んだときに、「われはここにあり」、しかしどこに向かって進んでいるのか? すぐにそのようなことが脳裏に浮かびました。
扇はまるで前方におわしますお方との間をとりもち、通信を可能にするためのツールのようでもありました。アンテナであり、反射鏡であり、モールス信号のように、揺らぎを通して、お互いの間の緊張を和らげてくれているように思いました。
扇が返るたびに、次元を進むということのようでもあり、だからバリでは身体でも扇でも、あらゆるものを無限大に回すのかと思いました。
「われここにあり」と宣言することは、同時に「彼方になんじあり」と、他者との間の対化の関係が浮かび上がるということなのだと気がつきました。そして、目の前のお方は、まごうことなき、他者であると思いました。
だから「われここにあり」と宣することは、「われもまた神なり」と宣することに他ならないのではないかと、参道の中程に達した時に頭を掠めたのです。
そのまま進み、次の鳥居をくぐることに対して、正直なところ少したじろぎました。しかし、その時に力をくれたのが扇だったのだと思います。扇が自然と動き、回転しながら、前に向かって進む力をくれたように思います。そして、我と汝の交替化に当たって、汝の汝としての我となることが、汝に会うときに必要なことであったという事を思い出しました。
扇は、ある時期肌身離さず、どんなときにも手に持って過ごしていたことがあります。バリ島の扇を使った踊りを極めたくて、夜寝るときも布団の中でもずっと握りしめて寝ていたこともあるほどでした。
その当時は扇の呪術的な意味など知りませんでしたが、扇を使ったスローの稽古などの過程で、扇とは奥行きの空間を示し、折りたたむことで、一本の直線になり、それはアカシックの象徴のようなモノであると知ったわけです。だからここを扇を使って前に進むということ、扇が道を開くということはごく自然なことと思えました。
そうして無事に鳥居をくぐり終え、一礼して歩行を止めました。これでよかったのだと清々しく感じながら、参道脇に出て振り返ると、まさに最上さんが二の鳥居に差し掛かろうとされるところだったので、その最後の舞を見届けました。
最上さんの舞は力強く、静かに激しく、
掲げられた扇は輝いていました。
音としては聞こえてこないけれど、大地が揺れて何かが噴き出してきそうだというような迫力を感じました。
そうして、最後の時が来て、拝殿に向かって一礼されると、場自体がとても満たされたような空気になったと感じました。
そして、最後に皆で集合写真を撮り、このなんとも不思議な感じの写真が撮れたというわけです。
そしてもう一枚。
これを企画してくださり、ナビゲートしていただき、たくさんの素晴らしい写真を撮っていただいた古谷さん、そしてこのような体験にいざなってくださった最上さん、本当にありがとうございました。