Andrea@ポジティブマインドクリエイター
ドラマや映画などを鑑賞した感想を書いています。 それらの作品を観たいと思ってもらえると嬉しいです。
いろんな絵を描いてみたくて、こちらにアーカイブしています。
毎日更新、というわけにはいかないかも知れません。 が、日々、私の心に響いたことを掲載していきます。 それが、読んで下さったあなたの支えにもなってくれたら、とても嬉しいです。
私のイラストを使っていただいた記事集です。 使っていただきとても嬉しいです♡ ありがとうございます🙏
読んだ本について、何か書きたいと思えた本を紹介します。
「あの日のこと覚えてる?」 そう聞かれて、何を思い出しますか。 「あの日」という言葉を聞くだけで、私はなんとなくドキッとします。 「あの日」という言葉は特別感があって、否が応でも、印象に強く残った過去のたくさんの「あの日」が、折り重なるようにその言葉の後に隠れているように感じられるからではないかと思います。 あの日。 私はまだ小学生でした。 初めての空港。 国際線。 なにもかもが初めての景色。 でも、ワクワク感は全くなく、ただただ悲しみに押しつぶされそうでした。 水
映画を観終わって、こんな重苦しい気持ちになったのは久しぶりです。 世界の現状が、アメリカに凝縮されたようなストーリー展開とシーンの連続。 タイトルやあらすじから、ある程度の心の準備はして観に行ったつもりでしたが、それをはるかに超えるような圧迫感と恐怖感がありました。 思わず声が出てしまったシーンもありました。 息つく暇もなく、ただただ、目の前の惨状に流されてしまうだけの無力な自分。 今、世界のあちこちで散見される人々の分断の波が、いづれ自分をも飲み込んでしまうだろう肌感覚
「クシャドロ」とは、荷物に入ってくるクシャッとなった緩衝材用の紙からインスピレーションを得て絵を描く「クシャドローイング」の略です。 紙のほぼ中央部に、上下少し斜めに走る長短四本の折り目ががきっかけで生まれた絵です。 洗面所のシンクにちんまりおさまっている飼い猫の小太郎です。 この下描きから始めました。 元の写真はこれです。 実物とは全く別の色合いで描くことの楽しさを味わえました。 マジックで縁取りをした目以外は、白い部分も含めて、全身色紙を切り貼りして色づけしてい
これ、何に見えますか。 冬枯れの木。 それとも、ダムに沈んでいた村が、渇水でふたたび姿を現し、亡霊のように蘇った木。 私には、そんなふうに見えました。 木は、人々がまだそこに暮らしていたときにはその営みを見つめ、ダムに沈んでからは、水に溶け出した人々の思いを受け止めてきたのでしょうか。 自分の住んでいた場所が、まるごと水の中に沈んでしまう。 私はそんな経験をしたことがないのでわかりませんが、いったい、どんな思いがするものでしょうか。 昇華されていない思いが、今も水の中
結婚するとき、両親が買ってくれた文机があります。 「ふづくえ」とも「ふみづくえ」とも読むようです。 母が自分でも愛用していたので、母の発案で購入してくれたものです。 母もそれを寝室において、お礼状を書いたり本を読んだりするときに使っていました。 こぢんまりと部屋の隅に収まっていながら、主張し過ぎない品のいい存在感で、実に使い勝手のいい机です。 小さなものですから、収納にもスペースにも限りがあります。 だからこそ、無駄な物をそぎ落とし、必要なことにだけ集中できる場を提供し
過去に戻ってみたいと思ったことはありませんか。 この本は、それを疑似体験することができます。 「思い出が消えないうちに」は、川口俊和さんの著書「コーヒーが冷めないうちに シリーズ」の中の一冊です。 シリーズは全部で6冊あります。 「コーヒーが冷めないうちに」は映画化もされています。 元は、舞台作品でした。 ある喫茶店の特定の席に座ると、過去に行けるとの都市伝説があるのですが、そこには、とても複雑なルールがあります。 そのルールというのが、これです。 タイムパラドックス
私には母と呼べる存在が三人います。 私を産んだ実母。 父が再婚した継母。 夫の母である義母。 血のつながりがあるのは、当然、実母だけです。 継母と義母は、いわゆる義理の関係です。 では、血のつながりのあるなしで、親しみの度合いは変わるのかという疑問がふと頭をよぎりました。 そのきっかけは、私がほぼ毎朝、生存確認がてら継母に送っているメールでした。 今朝の私のメールの文面はこうでした。 それに対する継母からの返信はこうでした。 共に過ごした時間の長さ。 共有してい
今、あなたが「ヨレヨレ」なら、すぐにこの本を読んで下さい。 今、あなたが「へろへろ」なら、すぐにこの本を読んで下さい。 これは実話です。 「宅老所よりあい」という介護施設の成り立ち。 編集部「ヨレヨレ」が雑誌「ヨレヨレ」を作るまでのいきさつ。 何より、著者の鹿子裕文さんの売れっ子ならぬ干されっ子、ひまっ子ぶりからのたくましい生き様。 これら全てが、実話なのです。 軽妙でありながら、実に深遠なヒントがたくさんちりばめられているドキュメンタリーです。 生きて行くとはこう
飼い猫の小太郎が、仕事机の上に登ってきました。 自分の意志で、わざわざ足を運んできて、私の腕に触れています。 これはもう明らかに、私の側に来たくて来ています。 嫌な相手の側に動物が自ら来ることはありません。 ましてや、マイペースで自分の心地よさを最優先する猫であれば、なおさらです。 そうです。 私はこの瞬間、小太郎にとても好かれているという何よりの証拠です。 嬉しい。 そのことが、とても嬉しいです。 人間界で辛いことがあっても、嘘をつかない動物に好かれているという
たとえば何十年、何百年と同じ場所にただ静かに立っている木に、頼りたくなることがあります。 何事かに迷って動けなくなったとき、再び動き出せるための理由=答えが欲しくなります。 ただ、答えと言う言葉に対して、私は、正しくなければいけないという一種の強迫観念を感じて、苦しくなることがあります。 学生時代に、数知れず受けてきた試験の解答が思い浮かぶからなのかも知れません。 でも、人生には絶対的な正解も不正解もありません。 ただ起こった事象があるだけです。 だから、木に求めるのは
私は、しょうがないと何かを諦めることが苦手です。 表向きは、諦めたフリをすることで、その場をやり過ごします。 でも内心では、いつまでもしつこく、そのものごとや存在に後ろ髪を引かれてしまいます。 いい加減断ち切りたいと思うのに、ああすれば良かった、こんなふうに言えば良かったと、いろいろな考えが際限なく、頭の中でも心の中でもぐるぐる回り続けます。 はっきり言って、疲れます。 「いいかげんにしてくれぇ〜っ」 と誰彼となく、一番は自分に、叫びたくなります。 きっと、叫んだ方が
荷物に入ってくるクシャッとなった緩衝材用の紙からインスピレーションを得て絵を描く「クシャドローイング」。 略して、「クシャドロ」です。 前回は、自分で緩衝材用の紙をクシャッと潰してシワを作ったのですが、今回は、荷物が届いたときのままの状態のものを使用しました。 ついたシワをなぞって色をつけているうちに、こんなものができあがりました。 なんだかよくわからない、生き物のようなものができあがりました。 描いている最中は、自分でも何が浮かび上がってくるのかわからないので、普段、
仕事を無事終えた後のカフェ時間は、至福のひとときです。 でも、その充実感は長続きしません。 私の場合、持って一日です。 最初は、うまくいった部分が頭に浮かびます。 準備を周到にしたこと。 体調を整えたこと。 結果、体調も良く、クリアな頭で本番に臨めたこと。 手応えがあったこと。 でも当然ながら、これは既に完了した仕事のこと。 次の仕事がこれと同じようにうまくいく保証はありません。 うまくいったことに満足しながらも、次もうまくやるために、準備や体調管理を徹底できるか、
ある日駐車場に咲いていた花。 タンポポに似ていますが、調べてみると、ジシバリ(地縛り)という花だそうです。 数日後、枯れていました。 何度もその場所を通っていたのに、目を向けたのは、咲いていたときの一回だけでした。 次に目を向けたときには、枯れていました。 そんな、出会いを出会いとも気づかずに通り過ごしてしまった人たちが、たくさんいるであろうことに、今さらながらに気づいて、足が止まった朝です。
今回は、アメデオ・モディリアーニ風に描いてみると言うのがテーマでした。 アメデオ・モディリアーニは、三十五歳の若さで亡くなったイタリアの画家、彫刻家です。 面長な顔に、もの悲しげな目と長い首の人物像が特徴的な絵を描いています。 モディリアーニ風に描いてみるというのは、あくまでも、絵を描くきっかけに過ぎません。 当然、出来上がった絵は、似ても似つかない、モディリアーニ風といわれても、 「いやいやいや、どこが?」 という仕上がりです。 笑っていただければ、それが作者の喜びです
「今日はいい天気ですね」 という挨拶は、魔法の言葉ではないかと思います。 なぜなら、 誰に対しても使える。 否定的な意味がない。 話のきっかけにしやすい。 かと言って、話を続けなければという無理強い感がない。 それに、天気に気を配れる程度には幸せである証拠。 要するに、誰に対しても当たり障りなく使えて、その日を機嫌良く過ごすきっかけに使い易いのです。 主人公は、誰もが知るような大手有名企業を早期退職して、ゆっくりした時間を過ごすキョウコ。 そのキョウコの毎日に起きる小さ