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しょうがないとぐるぐるの間

私は、しょうがないと何かを諦めることが苦手です。

表向きは、諦めたフリをすることで、その場をやり過ごします。
でも内心では、いつまでもしつこく、そのものごとや存在に後ろ髪を引かれてしまいます。

いい加減断ち切りたいと思うのに、ああすれば良かった、こんなふうに言えば良かったと、いろいろな考えが際限なく、頭の中でも心の中でもぐるぐる回り続けます。

はっきり言って、疲れます。

「いいかげんにしてくれぇ〜っ」
と誰彼となく、一番は自分に、叫びたくなります。
きっと、叫んだ方がいいのだと思います。
声に出すことは、一種の発散になりますから。

でも、無造作にそれをやってしまうと、迷惑で危ない人になるのがオチです。

ひとりカラオケにでも行ってみますかね。
あるいは、誰にも読ませないノートに、思いのたけを書きなぐるというのもいいかも知れません。


入れたら出すは、生きて行く上で必須です。
ここにはしっかりとした意志が働いています。

問題は、無意識的に入ってきてしまったものが、知らないうちに自分の中に巣くってしまった場合、どうするのかということです。

この状態を甘く見てはいけません。
放っておくと、クモの巣のように心の中ではびこり、身動きも息もしずらくなってきます。

早い段階で「しょうがない」と思い切れる人、適度な冷徹さで無視できる人は、そういう状態に追い込まれることが少ないでしょう。

だから、「しょうがない」には大事な効用があります。


でも、とそれが苦手な私は思うのです。
いつまでも後ろ髪を引かれて、ぐるぐると考えてしまう人は、ある意味、優しくて器が広いのではないかと。

ぐるぐる考えているうちに、いい解決策が浮かんだり、自分の中で昇華させて自分自身を成長させる効果があります。
まるで、真珠が貝の中で磨かれていくように。

しょうがないと一刀両断したものごとのまわりに存在する、クッションのような役割も果たします。

結局は、バランスなのです。

しょうがないだけの世の中は、ギスギスしてしまいます。
ぐるぐるだけの世の中では、ものごとが前に進みません。

だから、しょうがないとぐるぐるの間に立って、両側を俯瞰できるのが理想的です。


そうそう、ぐるぐる派の人の大事な自己防衛策は、自分にとって息苦しさの種になる気配をもった存在とは、なるべく距離を保つということです。
無意識に自分の扉を開放しないことです。

それともうひとつ。
ぐるぐる派の自分を決して否定しないこと。
自己否定は、せっかくのぐるぐるの効用を無に帰してしまいます。

今日もいい一日でありますように。



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