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『頑張りたいのに心が苦しくてたまらない』
君はがんばり屋かと聞かれたら「昔はがんばり屋だったのかな」と返すだろう。
じゃあ今はというと頑張りたくても頑張り切れない状態なんだと思う。
またどうやって頑張ればいいのか見失ってる自分もいた。
大学にいた頃はサークルを3つ掛け持ちしていたし、中国留学や中国語スピーチコンテストに参加しては賞ももらっていた。あの頃のように戻れたらと振り返ることもある。
大学生活は無理していたせいで健康診断すると保健室に呼ばれるのが常だった。
「やりたいことは全部やる!」この精神が後々苦しめることになった。
冬に落ちこみ気味になる体質が躁うつ病(双極性障害)になった。
エネルギッシュな自分と鬱の自分を受け入れなければならなくなった。
障がい者雇用で働いても時々鬱の顔が出すときがあった。「もっと頑張りたいのに頑張れない…」病気で仕事が出来ないのも嫌だったし、直属の上司を心配させるのも嫌だった。
がんばり屋の自分を押さえ込まなければならなかった。
そして気がついたらがんばり屋だった自分がいつの間にか消えていることに気づいた。
「僕は躁鬱病だからこれは出来なさそうだな」と諦め癖がついていた。
大学生活の時みたいにやりたいことを全部やれたら幸せだろうか。アルバイトもやっていて休みなく活動していたが不幸な気持ちはなかった。
病気がなければなぁと思うときがある。それでも僕の病気と付き合っていかなければならない。
ふと気づいたことがある。
「頑張っても心が苦しくならないことを頑張ればいいんじゃないか」
当たり前のことだが、それに気づくのに時間がかかった。
ちょうどnoteを友人に勧められ始めた。頑張ってない(頑張っているという感覚がない)のにスキやコメントがつくのが嬉しくてついついやってしまい一周年がたった。
もちろんnoteをやっていて楽しいことだけじゃない。毎日noteをやっていて記事のテーマを決めることが大変なことがある。そんなときは図書館に行ったり、本屋によく行く。するとアイデアをもらえるのだ。noteは自分の生きがいになった。
しかし頑張りたくても出来ないことがある。仕事のフルタイムなど。苦手な業務と向き合うと心が苦しくてたまらないこともあった。頑張れない自分に自己嫌悪するときもある。
いつになったら楽になるんだろう。労働という名の懲役50年から解放されても、きっとどう生きればいいか分からなくなる。
頑張りたい症候群でもなったように何かを頑張らなくてはと思うのは病気なのかもしれないし、人間の性なのかもしれない。
頑張ろうとすると心が苦しくてたまらないときがある。頑張らず生きる方法を探すことも楽しむのも一つの生き方なのかなと思うようになった。
頑張りたい自分と頑張れない自分のバランスを保ち生きていこうと思う。