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エッセイ

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ネタでもなんでもない日常生活の中で感じたことを書き連ねた文章
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一匹の蛾

一匹の蛾

気がつくと、空を飛んでいた。

羽を生やし、空を舞っていた。懸命に二枚の羽を羽ばたかせ、地に足がつかないように努力する。小刻みに、身体を揺らし、できる限り重力に逆らっていた。

しかし、本能では抗えないこともあった。私は光を視た。感覚器官がとらえた光の指す方へ、ぱたぱたと吸い寄せられていた。見ると、周りには同じような虫たちが、同じように光へ吸い寄せられていた。
その時はじめて、それが蛾の大群で、つ

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言霊

言霊

高校3年生の時のことだ。1年生の男の子が自殺した。当時それなりに話題となり、学校には記者が押し寄せた。教師たちは、学生をメディアから守るという大義を抱え、その実、野球部内の「いじめ」が原因で死人がでた情報を外部に漏らさないようにと躍起になり、駅から校舎まで、まるで人で道を作るかのように教師たちが連なって両腕を広げ、学生と大人の間の壁となった。良い歳した、それも普段、教壇に立って偉そうにしている彼ら

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巨悪

巨悪

いったい、人間一人にどれだけ責任を負うことができるのだろう、と考えます。



人が人を殺すなどということは決してあってはならないことです。しかし、人が人を殺すということは、全く自然なことだとも思います。朝の数十分、テレビをつけただけでも、訃報を聞かない日はありません。今日も昨日も、先週、一か月前、100年も昔、カインがアベルを殺したその日から、人一個人が為せる最大の巨悪は、しかしそのスケールに

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ただの、オタクの、独り言

ただの、オタクの、独り言

終わっちゃったね。『アイカツ!シリーズ 10th ANNIVERSARY アイカツ!ミュージックフェスタ FINAL』が。
別に本気でこれが最後のライブになるとか思ってないし他の名前で復活することは知ってるんだけど

や〜〜〜終わっちゃったね〜〜〜〜

思い出したね〜アイカツが人生だったことを

人生の全部をアイカツに捧げていたことを、思い出したね〜

ユリカ様のコスプレしたES送ってバンナム落ち

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終わっている人間

終わっている人間

今更「なんのために生まれてきたんだろう」なんて悩むことはありません。それは10代に与えられた特権のようなもので、26にもなってしまった今となっては、私の有感するすべて、ひいては私が私の母親の胎内から生まれ落ちたことになんら意味などなく、ただ事象としてそれが起こったというだけだと、とっくに理解できてしまっているからです。

しかし、なぜ生まれたのかの無意味な問いと比較して、「なぜ産んだのか」と、さな

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知性と反知性、不仲無き絶縁という形。

知性と反知性、不仲無き絶縁という形。

 僕は親と絶縁し、勝手に県外へ引っ越したのでもう両親は5年、祖父母は10年近く顔を見ていないことになります。まぁ26にもなって絶縁もクソもないんですけど。

 親子の縁を切るという行いからは容易に家族間の不仲が推測されます。少なくとも子は親を嫌い、卑下し、「あぁはなるまい」と決意し荷物をまとめる。そんな光景がありありと、まるで見てきたかのように思い浮かぶのではないでしょうか。
 それでは、件の僕も

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エッセイ:若さと許し

エッセイ:若さと許し

「若気の至り」という言葉があるように同じ行為であってもいい歳した大人では許されず金はないが生命力を持て余した若人であれば許されるというケースはたくさんあります。

例えば路上ライブという行いは基本的にいかなる路上であろうと禁じられています(許可を取ればいいと思われるかもしれないが、基本的に路上ライブに許可がおりることはない)。これは大人であろうと子供であろうとEXILEであろうと変わりませんが、金

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エッセイ:『美』の囚人

エッセイ:『美』の囚人

 僕は、心の底から美しいものしかみたくないのです。

 というと、“美しい”という語の解釈違いを起こして、精巧な建築物だったり、美術館で飾られるような名画であったり、そういったものを連想されるかもしれませんが。違うんです、いや、違わない。少なくとも、精巧な建築物や名画に心を攫われ、そこに美を感じる人がいるという事実は、嘘でない。しかしそれは、私においては違う。
 “違う”というのは、なにも私が建築

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エッセイ:秋葉原駅前で『涼宮ハルヒの憂鬱』の歌を歌い続けた

エッセイ:秋葉原駅前で『涼宮ハルヒの憂鬱』の歌を歌い続けた

『涼宮ハルヒの憂鬱』(以下、ハルヒ)は俺のオタクとしての原点といっても過言ではありません。たしかにハルヒ以前に『遊戯王』にのめりこんでいたり、『カードキャプターさくら』で初めて戦う女の子像に惹かれて親に「あんたそれ女の子が見るアニメよ!」と怒られたりはしていましたが、まだ「昼のアニメ」と「夜のアニメ」に明確にカルチャーが二分されて、前者を健常者が、そして後者を非-健常者、反社会性力、パブリックエネ

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エッセイ:「酷ぇ家」

エッセイ:「酷ぇ家」

昔マジでひでぇ家に住んでました。昔って言っても高校生くらいですけど。

スーパーが1軒だけあってほかに施設のなんもない、コンビニもない場所にある家を不法占拠してた時なんですけどね、

その家ってのがマジでゴミで、水道もガスも通ってなくて電気はなんかそこら辺に転がってた電線引っ張ってコンセントに金具ガシャガシャしたら使えたんで勝手に使ってたんですけどまぁゴミで。

ゴミっていうのが文字通りゴミ屋敷で

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エッセイ:人生は親が9割

エッセイ:人生は親が9割

 「人生は親が9割」これはもう疑いようのない事実だと僕は思うんです。

 というと間違いなく「毒親の家庭に産まれてもその後の努力で勝ち組になった人はいる」「何者でもないことの言い訳に親を利用しているだけ」というような反論を至極簡単に想定することができるわけですけども、これについては、運が良かったとしか言いようがない。

 努力でどうこうという反論を用いる論者は、結局当人の運がよかったか、実情を舐め

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エッセイ:神秘体験としての美

エッセイ:神秘体験としての美

 人生の豊かさを欲望からの解放であると仏教は説きますが、般若心経みたいな空(くう)ガチ勢でなければ欲望からの解放を求めて修行に励む姿勢そのものが欲であり、つまるところ人は悟りを開くのみとするのが東洋宗教の真髄であると言えます。そんなこと言ってもそれは輪廻転生だったり如来だったりあるのかも居るのかもわからん非常に不確かななにかを盲信できるからこそ導出される論理で、科学的であることが善であることとほと

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