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15時の手紙

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ささやかな昨日のできごと。
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2023年10月の記事一覧

一緒に同じ時を祝福したい

妻が主催するコンサートが週末に迫ってきた。 新型コロナウイルス禍を隔てて4年ぶりの開催になる。会場は彼女にとって「ホーム」と呼べるような地元の小ホールで、聴衆も昔から足を運んでくれる人びとで、すでにチケットは完売目前まできている。 彼女は主催者の立場で公演を迎えるので、演奏の稽古に加え、こまごました事務作業に追われている。 舞台小道具を手作りし、構成台本を書き、プログラムを印刷して丁合いし、経費の帳簿をまとめ、打ち上げ会場の手配をし、受付スタッフなどに当日の段取りを説明する

スコーンを焼くと妻が喜ぶので

ホットケーキミックスをボウルにあけ、少しのオイルと豆乳、ミックスナッツとチョコレートチップを砕いたら、あとは一気に手でこねる。粘土のようにまとまったら、平たく形を整え、包丁で8等分に切り、オーブンで15分ほど焼く。これでスコーンのできあがり。 外側はクッキー生地のように硬く、内側はほろほろとほどける、素朴で甘さ控えめの味。とても簡単。誰がどれほど適当に作っても失敗のしようのないこの料理に、妻が欣喜する。妻が喜ぶと、ぼくも喜ぶ。 妻いわく、市販のスコーンは洗練されすぎていて、

友がみな、われよりえらく見ゆる日よ

夜。妻と近所を散歩している。ふたりともそれぞれの理由で肩を落として歩いている。 妻は、来週のコンサートのリハーサルで思ったような仕上がりになっておらず、落ち込んでいる。 ぼくは、自分の文章を書くことに対して十分にがんばりきれていないことに、落ち込んでいる。 「20年も取り組んでいるのに、こんなレベルなのかと自分でがっかりする」と妻がいう。 「よその人のことは見ないようにしていたのに、たまに“当てられる”と自分に引き戻してがっかりする」とぼくがいう。 力不足ゆえに、結果が

ぼくらが山に登る3つの理由

妻と山に行くのは3回めで、だいぶ慣れてきた。荷造りも、お手のものである。 平日の朝9時に、山奥の無人駅に降りる。 登山客は数組。登山路がいくつもあるので、めいめいに出発する。駅前のベンチでサンドイッチを食べてから、登山口まで半時間ほど舗装路を歩く。 今回は妻も、トレッキングポールとCW-Xを装備しているので、歩行がずいぶん楽になっているはずだ。(特に翌日の筋肉痛の重度がまるで違う) 山頂では、手作りスコーンと、その場でハンドドリップしたコーヒーを飲んだ。平日ということもあり

結婚生活にいちばん必要なものは

「結婚生活に必要なものは」と、ある映画の劇中で尋ねられた既婚者が、シニカルに答える。 忍耐。 妻もぼくも、激しい違和感を抱く。(ほとんどブーイングの心境である) ぼくらの答えは一致している。 会話。 これである。 忍耐も5番手くらいには必要だろうけれど、初手であるわけがない。 逆に、いのいちばんに忍耐をしてまで続けたいと思う結婚とはいったい何なのだろう。(世間体や、子どもや、経済事由か) 知り合いの夫婦に、結婚生活の秘訣を訊ねることがある。 ある人は、喧嘩しても

本を読むことは、急がずに生きること

土曜日。ハモニカ横丁の鮨屋〈片口〉で妻と少し早めの晩飯を済ませると、古書店〈百年〉へ向かう。生ビールと白ワインを飲み、ほろ酔い気分である。 店に入ると、妻もぼくも静かに各々の書架に向き合う。1冊ずつ背表紙を読み込み、相変わらずの選書のセンスに唸る。知らない本ばかりだ。気になる本が次々に出てくる。自然と背筋が伸びる。 ぼくは5冊ほど手にしていたけれど、閉店間際まで吟味し、最終的に2冊に絞って購入した。『掠奪美術館』(著・佐藤亜紀)と『ハードボイルド・アメリカ』(著・小鷹信光)

どれほど高騰しようとも爆安な秋刀魚

今週からとたんに冷え込み、正真正銘の秋がきた。 扇風機を仕舞いこむのと入れ替えにヒートテックを取り出して着こんでいる。陽が落ちるのもやたらと早い。夕方5時半には真っ暗闇である。ついこないだまで夜7時でも薄明かりが残っていた気がするのに。 妻のみみさんは、花粉と冷え込みが一挙に押し寄せる秋が苦手だという。 ぼくは、紅葉と散歩を楽しめる季節としてとても好きなので(特にジャケットを羽織って出かけられる気軽さが大好きで)、少しでも秋を楽しんでほしいと思い、唐突ながら、秋刀魚を買って

サイドFIREという、令和のキャリアデザイン

駅前の駐輪場の受付や駐車場の警備で、高齢の男性が働く様子をしばしば見かける。むしろこうした場では、老後の男性以外を見ることが少ないくらいだ。 退職後のシルバー人材サービスは、人手不足の今、エッセンシャルワークの重要な担い手になっている。 しかし、炎天下や寒空の下でも立ち仕事をしているのはいかにも老体に鞭を打つようで、見ていて心細くなる。 同年代の同僚とのつながりを通して社会関係資本を持てることには大きな意義があるかもしれないけれど、多くの理由は経済問題だろう。老後資金が足り

世界史上最も無責任な中央銀行総裁の華麗なる脱出

大型客船が、氷山に向かっている。 周りからしきりに警告されている。 それでも頑として航路を変えなかった船長が、氷山に衝突する前に一人で逃げ出し、勝ち誇ったように言う。 「ほら、だから大変なことになると言っただろう」 元日銀総裁・黒田東彦の耳を疑うような(非公開)発言が新聞に載っている。 「異次元の金融緩和」を「黒田バズーカ」と世にも愚昧な呼称を冠し、それを10年間も続けた男が、日銀の債務を膨張させても「問題ない」「出口戦略は時期尚早」としらを切り続けた張本人が、退任した矢

15の夜のポリティカル・コレクトネス

1983年発表、尾崎豊のデビュー曲『15の夜』。今からちょうど40年前の歌になる。 尾崎豊の総てが詰まったような楽曲で、ぼくは折に触れて聴いている。 切ない旋律、切ない歌詞、切ない歌声。 総てが、切ない。 まず絶妙なのがこのタイトルだ。14の夜ではどこか幼い気がするし、16の夜ではどうも切なさが足りない気がする。 そして歌詞の透徹さと正確さときたら、いつ聴き返しても打ちのめされてしまう。 この一行だけで、まるで短歌のように決まっている。 「震えている」のは西野カナだけで

カッコーの巣の上でディーセンシーを考える

1975年製作、アカデミー賞5部門受賞の名作『カッコーの巣の上で』を観た。 ジャック・ニコルソンの“怪演”や、無名時代のダニー・デビートやクリストファー・ロイド(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドク役)を観られたのは貴重な機会だった。 (以下ネタバレ含みます) 舞台は、1963年の精神病院。 ジャック・ニコルソン扮する粗野な男が、刑務所から(精神疾患の詐病で)移送されてくる。そこは強権支配的な婦長が君臨する閉鎖病棟で、ジャックはことあるごとに対立する。 最終的に、ジャ

50歳の深津絵里は、やはり50歳に見える話

「若く見えると言われます」と、無邪気に他人に言える人は、女性より男性のほうが多いと思う。 女性のほうが外見についてシビアな目線に晒されがちなので、自身で冷徹な客観性を備えているし、何より自らわざわざハードルを上げるメリットがない。本当に若く見えたとすれば嫌味だし、年相応に見えたのだとすれば痛々しい。どちらに転んでも良いことはないので口をつぐむようになる。 一方の男性は、相対的に外見に無頓着で、周囲の社交辞令を脳天気に真に受けてしまう。 (さらに言えば、この言葉が「婚活」の

猫は「かわいい」の一点突破で生きる所存

妻の最大の才能は散歩中に猫を発見する能力だと思う。 路地を歩いていると、「あ!にゃんこ!」と妻が叫ぶ。 その声に驚いてぼくが眼を凝らすころには、猫はどこかに去り、先ほどと何も変わらない路地が取り残されている。 あの道をよぎったの!と妻は遠くの彼方を指差し、身の潔白でもはらそうとするかのように力説する。ぼくも妻を疑っているのではない。ただどこにも見えなくて困惑しているのだ。 たまに猫が舞い戻り、目の前に現れることがある。彼女は「にゃあご」と声真似をし、猫を呼び寄せようと試み